マリアーンスケー・ラーズニェ

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マリャーンスケー・ラーズニェ(Mariánské Lázně)は、チェコカルロヴィ・ヴァリ州の都市。人口は約1万4千人。カルロヴィ・ヴァリなどと並ぶ温泉保養地として有名である。ドイツ語ではマリーエンバート(Marienbad)で、国際的にはこの名称でよく知られる。

地勢・産業

ドイツからチェコにかけて広がる「ボヘミアの森」の中に位置する。海抜は約650メートルほど。カルロヴィ・ヴァリ、フランチシュコヴィ・ラーズニェと並ぶチェコ有数の温泉地である。この三つの温泉地が三角形を描くように位置しているため、あわせて「ボヘミアの温泉三角地帯」とも称され、多くの湯治客を集める。近隣の都市としては、約30キロメートル北東のカルロヴィ・ヴァリ、25キロメートル北西のヘプなどが挙げられる。15キロメートルほど西がドイツ国境。

歴史

16世紀前半、近隣のテプラー修道院の僧によって温泉が発見された。18世紀後半より療養目的で温泉が用いられはじめ、19世紀初頭に療養施設が成立した。鉄道網の発展などに伴い、多くの人物が訪れるようになった。19世紀半ばから20世紀初頭にかけて豪壮華麗な保養所が多く建設され、現在に至るまでホテルや一般の住居として用いられている。

温泉

呼吸器、泌尿器、肝臓疾患などに効用があるとされる。泉質は、アルカリ塩などを多く含む。飲泉は、コロナーダと称される社交所を兼ねた施設で行われることが多い。

温泉を訪れた著名人

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年 - 1832年)
ドイツ最大の作家の一人。その生涯の晩年にあっても情熱家であったゲーテは、「マリーエン・バートの哀歌」という詩の中で、19歳の娘への恋心をつづっている。同都市の郷土博物館の2階には、長くゲーテが滞在していた部屋が残されており、現在でも多くの観光客を集めている。
フレデリック・ショパン(1810年 - 1849年)
19世紀ポーランドの作曲家。フラヴニ通りには、彼の滞在していた家がショパン記念館として残されている。恋人ともこの地に訪れていた。
フランツ・カフカ(1883年 - 1924年)
変身』『審判』などの作品で知られる作家。病弱であった彼はこの街で湯治を行ったが、暴飲暴食がたたりプラハに戻ったというエピソードがある。
ヨハン・シュトラウス2世(1825年 - 1899年)
コロナーダの近くにある「歌う噴水」で、彼の曲がよく流される。
エドワード7世(1841年 - 1910年)
ノヴェー・ラーズニェの個室風呂には、彼が好んで利用した風呂が残されている。

その他、シュテファン・ツヴァイクフリードリヒ・ニーチェリヒャルト・ワーグナーマクシム・ゴーリキーマーク・トウェインなど多くの人物がマリャーンスケー・ラーズニェを訪れた。外国君主では、イギリスのエドワード7世のほかでもロシアのニコライ2世などが同都市に立ち寄っている。

交通

プラハから特急列車で3時間強。カルロヴィ・ヴァリから2時間弱でマリアーンスケー・ラーズニェに到着する。

有名な出身者

姉妹都市

関連項目

外部リンク

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