グローリアス (空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年6月28日 (土) 19:09時点におけるK-SYAN (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索
ファイル:HMS Glorious.jpg
艦歴
発注
起工 1915年5月1日
進水 1916年4月20日
就役 1917年1月
退役
除籍
その後 1940年6月8日に戦没
性能諸元
排水量 満載:26,518 トン
全長 786.5 ft (240 m)
全幅 81.5 ft (27.75 m)
吃水 24.9 ft (7.5 m)
機関
最大速 31.42 ノット (56 km/h)(公試時)
航続距離 16ノットで5,860
乗員
兵装
搭載機 48機

グローリアス (HMS Glorious, 77) はイギリス海軍の艦船。「バルト海上陸作戦」のための大型軽巡洋艦として建造され、後に航空母艦に改造された。同型艦は、カレイジャス

概要

ファイル:HMS Glorious - Battlecruiser.JPG
「大型軽巡洋艦」時代のグローリアス 1918年の撮影

当初グローリアスは同型艦のカレイジャス、準同型艦のフューリアスと共に、大口径砲塔2基を備えた「大型軽巡洋艦」として建造された。これは「バルト海上陸侵攻作戦」支援のための特殊艦艇として、強力な砲撃力と高速力が求められたもので、「大型軽巡洋艦」という名称も秘匿のためのものであり、事実上は大型・高速の「モニター艦」であった。

グローリアスは1915年5月1日ハーランド&ヴォルフ社で起工され、1916年4月20日に進水し、1917年1月に竣工したが、「バルト海上陸侵攻作戦」は中止されたため、本来の用途には使われず、戦後の1924年から1930年にかけて航空母艦へ改造された。

設計

テンプレート:Main

搭載機変遷
39年 9月 計42機 802Sqn(シーグラディエーター×6)+812Sqn(ソードフィッシュ×12)+823Sqn(ソードフィッシュ×12)+825Sqn(ソードフィッシュ×12)
39年11月 計48機 802Sqn(シーグラディエーター×12)+812Sqn(ソードフィッシュ×12)+823Sqn(ソードフィッシュ×12)+825Sqn(ソードフィッシュ×12)
40年 4月 計29機 802Sqn(シーグラディエーター×9)+803Sqn(スクア×11)+804Sqn(シーグラディエーター×9)
40年 6月 計18機 802Sqn(シーグラディエーター×9)+823Sqn(ソードフィッシュ×9)

艦歴

第二次世界大戦開戦時には地中海艦隊に所属していた。1939年10月、グローリアスはスエズ運河を通ってインド洋に入り、短期間ドイツ海軍のアドミラル・グラーフ・シュペー捜索に当たった。

1940年4月にドイツ軍がノルウェーに侵攻すると、グローリアスは本国海域に呼び戻された。4月23日、グローリアスと空母アーク・ロイヤルはイギリスに到着し、翌日ノルウェー海域へ出撃した。グローリアスはノルウェーのドイツ軍陣地に対し、その搭載機による攻撃をおこなった。4月27日に給油のためイギリスに戻ったが、5月1日には再びノルウェーに戻った。5月28日、グローリアスはホーカー ハリケーン戦闘機隊をバルドゥフォスへ運んだ。6月2日、グローリアスの搭載機はナルヴィクからの撤退を支援した。続いてグローリアスは連合国軍のノルウェーからの撤退作戦(アルファベット作戦)に参加した。

6月8日、陸上基地から移された第263戦闘機隊所属の10機のグロスター グラディエーターと第46戦闘機隊所属の8機のホーカー ハリケーンを載せて、駆逐艦アカスタアーデントに護衛されスカパ・フローへ向かっていたグローリアスは、ドイツ海軍の巡洋戦艦シャルンホルストグナイゼナウに捕捉され、3隻とも撃沈された。救命筏で脱出した乗員と操縦士の一部は、3日間漂流した後に45名が救助された。(ノルウェー沖海戦

脚注


参考文献

  • 「世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史」(海人社
  • 「世界の艦船増刊第80集 航空母艦全史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第67集 第2次大戦時のイギリス戦艦」(海人社)
  • 「BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR」(Naval Institute Press)

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:グローリアス級航空母艦テンプレート:Link GA