カリーニングラード州

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テンプレート:基礎情報 ロシアの連邦構成主体 カリーニングラード州Калининградская область, Kaliningradskaya oblast')は、バルト海沿岸のロシア連邦オーブラスチ)。ロシア連邦の最西端で、飛び地である。琥珀を産したことからヤンタルヌイ・クライЯнтарный Край, 「琥珀の土地」の意)と通称される。

最大の都市は州都カリーニングラード。カリーニングラードは、かつてケーニヒスベルク Königsberg (ドイツ語で「王の山」の意)と呼ばれ、プロイセン公国プロイセン王国首都であった。 州名は革命家ミハイル・カリーニンに因む。

地理

面積は15,000km²。人口密度 71人/km²。南はポーランド、北はリトアニアと国境を接する。主要な河川はプレゴリャ川ネマン川バルト海沿いには大きな2つの潟湖として、ポーランドに跨るヴィスワ潟とリトアニアに跨るクロニア潟があり、クロニア潟とバルト海を分けるクルシュー砂州世界遺産文化遺産)に登録されている。主要な湖にヴィスティティス湖がある。

行政

ファイル:KaliningradOB.png
カリーニングラード州の地図

標準時

この地域は、カリーニングラード時間帯標準時を使用している。時差はUTC+3時間で、夏時間はない。(2011年3月までは、標準時がUTC+2で夏時間がUTC+3時間であった)

住民

人口は968,200人(2004年)。うち、741,800人が都市に住む。カリーニングラード市には州の人口の約半分430,300人が住む。

住民の約82%をロシア人が占める。そのほか、ベラルーシ人(5.3%)、ウクライナ人(4.9%)、リトアニア人(1.5%)、アルメニア人(0.9%)、ロシア系ドイツ人(0.9%)、タタール人(0.5%)など。なお、ロシア系ドイツ人とは、ロシアの他の地域から移動してきたドイツ人であり、東プロイセンにもとから暮らしていたドイツ人のことではない。現在の人口の約半分ほどが同地で生まれ育ったと推定される。

歴史

20世紀初頭までのこの地域の歴史については、プロイセン東プロイセンを参照。

現在のカリーニングラード州の地域は、東プロイセンと呼ばれる一帯の北部にあたる。

1918年第一次世界大戦におけるドイツの敗戦にともなって西プロイセンがポーランドに割譲されたことで、東プロイセンはいわゆる「ポーランド回廊」によってドイツ本土と隔てられた飛び地となった。第二次世界大戦では、プロイセン地方は、ドイツ軍が劣勢になるに従って東部戦線の戦場となり、 敗戦直前の混乱の中で虐殺・強姦を繰り返すソ連軍を恐れたプロイセンの人々は大量の難民となって西方に逃亡した。

第二次世界大戦後、東プロイセンは分割され、北半分はソビエト連邦の、南半分はポーランドの領土とされた。それを受けて、すぐにケーニヒスベルク特別管区が設置され、ケーニヒスベルク州としてソビエト連邦に編入された。1946年カリーニングラード州と改称。1947年までに、残っていたほぼすべてのドイツ人住民はドイツに追放された。

戦後、カリーニングラード州はソビエト連邦でも特に軍事施設の集中した地域となり、「ソビエトの不沈空母」とさえ呼ばれた。

ソビエト連邦崩壊以後

1991年以降、約12,000人のドイツ人がカリーニングラード州内に移住することを試みたが、ほとんどは数ヵ月後に再びドイツに移った。

1992年、ロシア連邦のボリス・エリツィン大統領は、1945年ヤルタ会議で計画されていたように、この地域はポーランドに譲渡されるべきであると述べた(ヤルタ会議の取り決めでは、ドイツがシュチェチン地方を領有するかわりに、ポーランドはケーニヒスベルクを得ることになっていた)。しかし、1996年にポーランドが北大西洋条約機構(NATO)への加盟を求めて以降、この発言は撤回された。

2004年5月1日、国境を接する2ヶ国、ポーランドとリトアニアが欧州連合(EU)に加盟したことで(しばしば「紙のカーテン」と形容される)、カリニングラード州は二重の意味で飛び地となり、国境の通行はさらに困難になった。カリーニングラード州の住民は、ロシア本国の住民と同様に、周囲のポーランドやリトアニアへの入国のためにビザが必要である。また、カリーニングラード州の住民がロシア本土に入るためには、リトアニアを列車で通過することになるので、リトアニア大使館から許可を得る必要がある。

カリーニングラード市の周辺の地域は、ソビエト政府が巨大な軍事施設を設置していたために、50年間ほど完全に封鎖されていた(いわゆるZATO(閉鎖都市))。冷戦の終結以後、その軍事施設の規模や環境破壊の深刻さが次第に明らかになってきている。

本土から遠く西に離れたカリーニングラード州は、ロシアの対NATO軍事戦略にとって重要な位置にある。ミサイル防衛構想への対抗策として短距離弾道ミサイルイスカンデル」を配備する計画を度々表明している。

経済

カリーニングラード州は、軍事拠点として、また不凍港として、ロシアにとって重要な地域である。大規模な造船場や、自動車の組立工場もあり、漁業が盛ん。しかし、周囲の国々や、ロシア本国からの隔絶した地理的環境が大きな足かせとなり、輸出の不振や高い失業率が問題となっていた。だが最近リトアニアへの越境審査が簡略化され、それ以降は高い成長を維持している。また、バルト海で発見された油田に期待が持たれている。

カリーニングラード州は世界のコハク(琥珀)の90%以上を産する。ヤンタルヌイ市にコハクの加工工場がある。

交通

国際空港がある。鉄道モスクワサンクトペテルブルクや、グダンスクベルリンと結ばれている。

関連項目

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