ウィリアム・クァントリル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年3月11日 (月) 10:04時点におけるAddbot (トーク)による版 (ボット: 言語間リンク 12 件をウィキデータ上の d:q714490 に転記)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索
ファイル:Quantrill2.jpg
ウィリアム・クァントリル

ウィリアム・クラーク・クァントリル (William Clarke Quantrill, 1837年7月31日-1865年6月6日) は、アメリカ西部開拓時代ゲリラ部隊長。オハイオ州ドーバーに生まれる。

経歴・人物

はじめ教師をしていて、1858年ユタ州に移住して軍人になったが、長続きせずに再び教師生活に戻った。賭博に身をやつして、1859年、殺人や馬泥棒の疑いを受けミズーリ州に逃走した。

1861年、南北戦争が勃発すると南軍に身を投じて大尉としてQuantrill's Raidersと呼ばれるゲリラ部隊を率い、カンザス州やミズーリ州で北軍と戦った。1863年8月21日、ローレンスの戦いで450人の部下を率いて奴隷制反対住民を襲い女子供を含む約150人を虐殺した。1865年5月10日、クァントリルはケンタッキー州で北軍の奇襲を受け負傷し、その傷がもとで6月6日に死亡した。

Quantrill's Raidersは略奪暴行をほしいままにしたと伝えられているが、人権意識が低かった当時の軍隊と比較してQuantrill's Raidersがとび抜けて凶悪な部隊であったとは言い切れない。彼の部下の中に、後に有名になるジェシー・ジェイムズがいた。