アプリリア・RS

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RS(アールエス)は、アプリリアが製造販売しているレーサーレプリカタイプのオートバイである。水冷2ストロークエンジンを搭載しており、シリーズ車種として排気量別に数車種が生産されている。

RS50

RS50は欧州の大柄な体格のライダーに合わせて車体を設計しているため、日本の原付規格車両と比べると大柄な車体をしている。1993年の発売開始から、一貫してミナレリヤマハ製の単気筒エンジンを搭載しており、出力 8.8ps/9750rpm・トルク 0.77kgm/8500rpm(1998年時のメーカー公称値)を発生する。近年の車両は出力が発表されていないが、EUの騒音規制・排ガス規制により出力が低下している模様。

2006年

RS125同様にフルモデルチェンジが行われ、ベースモデルをDERBI GPR50Racingとした後継モデルに生まれ変わっている。

1993年MMA型(DGM型)

前身であるAF1/50 FUTURAからフルモデルチェンジされ、RS50が発売される。DGM型とも呼ばれる最初期型のRS50の登場である。AF1/50からフレーム、スイングアームを受け継ぎ、ホイールデザインを星型から3本スポークに変更し、エンジンをこれまでのRV4に代わりヤマハ(ミナレリ) AM5に変更するなど細部で大きな変更が行われている。なお、フレームとスイングアーム自体は従来のモデルから受け継いでいるため、カウルのデザインも大きな変更を受けていない。この年から、ロリス・レジアーニとマックスビアッジが乗っていたChesterfieldカラーのモデルがラインナップされている。アプリリア車は昔からこれらのGPマシンのレプリカカラーを採用することで大きなデザインアクセントを得ていた。やや台形の角目ライトが特徴のモデル。この型自体はDGM~から始まるフレームナンバーを持っている機種なのだが、形状が以後の1996年-1998年と同じため便宜上MMA型と呼ばれている。公称馬力は1993年から2001年モデルまでは8.8ps(6.6kw)である。

1995年MMA型(DGM型)

マイナーチェンジが行われ、アッパーカウルのデザイン変更と半月ライトの採用を行っている。これは、前年に販売開始されたRS250のスタイルに合わせた変更であり、内部的な変更は一切行われていない。なお1995年式は、RS50にØ19のキャブレターが搭載されていた最後の年式となっている。この型自体はDGM~から始まるフレームナンバーを持っている機種なのだが、形状が以後の1996年-1998年と同じため便宜上MMA型と呼ばれている。

1996年MMA型

販売台数の増加と共に、国別仕様の適正化が行われる。それによりキャブレターをØ14に絞ることで出力の低下を招いた仕様がいくつかあった。日本仕様の登場は、この1996年式からとなる。1995年との見分け方は、フレームの塗装色が明るい灰色であることで識別できる。

1997年MMA型

マイナーチェンジを行う。ヤマハ(ミナレリ)AM5に代わり、6速ギアを採用したAM6が搭載されている。なお、この年式にはレプリカカラーが一切存在しない。

1998年MMA型

マイナーチェンジを行う。ロッシレプリカ仕様、原田レプリカ仕様が登場。フォークキャップの変更、リアサスのレート変更、ミラーの形状変更などの細かい変更が行われている(ミラーは後継機に受け継がれている)。

1999年PGE型

フルモデルチェンジを行い、世界初のアルミダイキャストフレームを採用しこれをボルトで連結するという構造に変更。走りを追求するため、RS50の大きな特徴であったリアの片持ちスイングアームを廃止し、両持ちのスイングアームに変更。カウルデザインはRS125と同等の当時のGPマシン流で美しい流線型を描くデザインとなった。エンジンについても変更を受けており、中回転域のトルクの増強を行うべくポート形状を変更し騒音の減少のためのサイレンサーを従来の直管型からパイプを分ける形に変更

  この型から、フレームナンバーから名前をとってPGE型と呼ばれるようになる。

2000年PGE型

マイナーチェンジ。毎年カラーリングの変更と共に細かい変更が入っていることに注意。ラジエータの厚みが縮小されて、冬場のオーバークール傾向が改善されることになった。しかし、このラジエータの厚みの問題は、エンジンチューニングを行った際に容量不足に陥る傾向がある。なお、この次の2001年もカラー変更が行われているが中身の変更はない。

2002年SE型

そして2002年、SE型へとマイナーチェンジされる。新しく搭載されたエンジンは排ガス規制と騒音規制、さらにモペッド規制に対応させるために出力に大幅な制限を受け、坂道で後退するなど、従来のRS50と比べ、大幅なスペックダウンとなった。具体的には、エンジンをAM6の規制バージョンに変更。速度計は従来のPGE型の表示部分をブラックアウトした80km/h表示になり、キャブレターをPHBN12に変更。同時に特徴的であった、金属レバーのチョークレバーは廃止されて、左ハンドルのスイッチBOX部にチョークレバーが追加されている。さらにパワーダウンにともない、フロントスプロケットの歯数が12Tから11Tに変更されている。
ユーザーたちはもちろんのこと、販売店も大混乱に陥れたSE型RS50だが、これによって日本での販売は一気に低迷。なお、この年からRS50の公称馬力は発表されていないが、SE型の実馬力はおおよそ2~3ps程度といわれている。ちなみに、このモペッド規制はチャンバー内部のリストリクターを除去することで解除できる(それに応じたキャブの再セッティングは必要となる)。社外チャンバーに交換するのが最も効果的な規制解除となる。エンジンの燃焼室の設計が変更されているため、チューンしてもパワーが以前のエンジンより出ないと言われているが、現在、ボンネビルで50ccのストリームライナーによる速度記録を保持しているマシンのベースエンジンは2002年式のRS50用AM6を流用したエンジンである。

但し、SE型は日本や一部の国に対するモデルであり、輸出先によっては2002年式でもPGE型と同型のエンジンを搭載している(要するにフルパワー仕様)モデルも存在する。

2004年TSJ型

2004年に突如、TSJ型がデビューする。このモデルは日本仕様だけの特殊なRS50で、SE型から過剰なモペッド規制を外したモデルとなり、ある程度の性能を回復させたモデルである。基本構成は、SE型と同一ながら、吸排気のリストリクターの除去とキャブレターのセッティング変更を行ったモデル。これにより最高速はSE型の45km/hから、70km/h程度まで回復したものの、それまでのMMA、PGEといったモデルから比べると比較にならないほど低出力(実馬力はおおよそ4~5ps程度)であった。

2006年TSJ型

RS50に最後のマイナーチェンジが行われる。事実上このRS50としてのファイナルエディションである。フレームはバフ掛けされている。

2007年

ベースモデルをDERBI GPR50Racingとした、新型RS50が日本でもデビューした。GPR50Rからの変更点は、新型RS125と同デザインのカウルを装備し、メーターパネルをRS125と同等の装備にしている。そのほかの、フレーム、エンジン、前後ホイール、足回り、ブレーキシステム、果てはアンダーシートエキゾーストに至るまで、ベースGPR50Rがそのまま使われており、それまでのRS50とは全く違う車体になっている。馬力はTSJ型と同じく4~5ps程度とされる。
馬力の抑制は、キャブのイン側のインシュレータ、排気側に漏斗の形をした金属パーツが点付溶接されている。

(点付溶接は、ドリルで揉む事で簡単に除去できる。)

これらを取り払い、メインジェットを90番(10月中旬のセッティング)、にする事で、フルパワー状態になる。
ただし、元々の重量とギア比の関係で、100km/hには届かない。
100km/h超えを目指す場合は、「フロントスプロケット14T」「エレクトリックコイル(CDI)」の組込みで達成できる。

RS4 50

2012年

ベースモデルは、前回と同様DERBI GPR50Racing。
カウルやフレームなど、RS4 125の流用がありコスト的には抑えられている。デザイン的にもなまとまりが良いが、前モデルではトップブリッジやフレームがアルミ地剥き出しだったのに対し、RS4では銀色の塗装となっていて、コストダウンが目に付く。
シフトはエンジン直付タイプ。その為、リンク式から乗り換えると違和感を感じる。
ユーロ3の排ガス規制をクリアする為に、メインジェットを絞り更にキャタライザを装備している。
この為、前モデルと比較してえげつなくパワーダウンをしている。スプロケットを変更しない場合は、75km/h前後がMAXスピード。
ノーマルCDIは、9000回転でリミッターがかかる。この為、チャンバーのみを変更しても、パワーが盛り上がったと思ったらリミッターが作動する為、エレクトリックコイルとのセットでの交換は必須。
ただし、潜在的なポテンシャルは高くチャンバーとリミッターを変更すると、とても50CCと思えないような強烈な加速を伴い12000rpm/hまでよどみなく回る。
6速でも吹け切ってしまうので、フロントスプロケットの丁上げは必須。(T13が最適と思われるが、T14でも十分走れる。)
RS4 50のノーマルでは、4ストスクーターにも勝てないが、「スプロケット」「チャンバー」「ビックキャプ」「エレクトリックコイル」の4点セットを交換すれば、NSR50のチューニング仕様と比較しても遜色のない加速性能を見せる。これは、NSR50との重さの差が約50kg近くある事を考えると驚異的である。
50CCとはいえども、4半世紀前に設計されたエンジンと最新のテクノロジーで設計されたエンジンとの違いは、はっきりと感じ取る事が出来る。
(もちろんコーナーリング勝負では12インチのNSR50に軍配があがってしまう。)



2013年

2013年8月に30台限定で、ピアジオジャパンより正規輸入を行なった。

RS125

ファイル:Aprilia rs125.jpg
イタリア人レーサーのヴァレンティーノ・ロッシカラーを施した1998年モデルのRS125

RS125オーストリアのエンジンメーカー、ロータックス社製2ストローク単気筒・クランクケースリードバルブ・125ccエンジンを搭載しており、最高出力は34psを発生する。エンジンはレーシングカートに使われているものと同じ系統のモデルを使用しており、極端な高回転高出力型の特性を持つ。近年のモデルは排ガス規制などでパワーが抑制されているため、マフラーキャブレターの交換などでパワーアップさせるのが定番となっており、交換することにより元の34ps近くの発生も可能とされている。元々RS125は、AF1/125というモデルの後継機種として開発されている。AF1の晩年のモデルは現在のRS125に非常に酷似した形状となっている。

EXTREMA以降

1992年

AF1/125から、フレーム・前後足回り・スイングアーム・エンジンなどありとあらゆる部分に手を入れてフルモデルチェンジし現在の原型であるRS125EXTREMAが生まれる。エンジンはROTAX123、キャブレターはデロルトVHSB34である。最高出力は34ps/11000rpmである。また低回転域のトルクは122エンジンに比べ劣るものの、7800rpmを過ぎ排気デバイス“RAVE”が開いたときはROTAX122を上回るパワーを発生する。
このときに採用されたフレーム・スイングアーム・そしてROTAXエンジンの組み合わせは、小変更のまま16年後の2008年最終モデルまでそのまま使われている。1994年にワークスカラーとしてチェスターフィールドカラーが登場。

1995年

マイナーチェンジを行い、同時期に発売されたRS250と同じスタイルにするべく半月ライトとカウル形状の採用、そしてメーターパネルが従来型の3眼メーターから2眼+デジタルに変更される。この年が最後のチェスターフィールドカラーとなる。

1996年-1997年

エンジンの変更を受ける。従来使われていたエンジンユニットは、オーストリアロータックス社のROTAX123であったが、よりトルクフルなエンジン特性を求めてROTAX122に変更される。ROTAX122はROTAX123の欠点である、街乗りで扱いにくい極端すぎるピーキーさをマイルドにしたものだけではない。クラッチハウジングをカセット式にして取り外しを容易にしたり、クランク径を小さくして振動を抑えている。また1996年、1997年ともにシルバーがラインアップされるが、見分け方として1996年がシートが黒く、1997年はシートが茶色(赤色?)となっているほか、1996年はアンダーカウルのステッカーが「aprilia」、1997年が「Racing」と微妙に異なっている。

1998年

リアサス周りに変更を受ける。この型が最後のRS125SPとして認識されており、VHSB34LDキャブレターを装備した最後のRS125となっている。またこの年はワークスレプリカとして原田仕様とバレンティーノ・ロッシ仕様の2種類が用意される。
1995年~1998年のRS125を見分け方としては、この半月ライト形状のRS125をMP型というのだが1995年の半月ライトのRS125はフレーム番号がGS-****で始まっている。この半月ライトのRS125がGSフレームの場合はエンジン、キャブともにROTAX123、デロルトØ34という構成でいわゆる前年のEXTREMAモデルと同じフルパワーである。翌年1996年よりフレームがZD4MP****となり、エンジンがROTAX122チェンジされる。キャブはデロルトØ28になる。ROTAX122とデロルトØ34の組み合わせが標準なのは非常にまれで、おそらくSP仕様のみと推測される。この時代の車両でエンジンの見分け方として、タコメーター裏側にタコメーターケーブルがあればROTAX123、ケーブルがなくハーネスのみの場合、ROTAX122エンジンである。ROTAX123は電気式タコでなく、機械式である

1999年

RS250から遅れること1年、RS50共々マイナーチェンジが再び行われる。RS50ではフレームやスイングアームを変更するといったフルモデルチェンジを敢行したのに対し、RS125は大きな変更が必要なかったためカウル形状変更やポジションの変更を行うマイナーチェンジで対応している。また、このときにキャブレターをPHBH28にしパワー特性を穏やかにすべく変更を受けている。

2004年

RS125はチャンバーに触媒が仕込まれ、パワーが低下。それまで海外仕様として売られていたモデルよりは、出力に余裕はあったが日本メーカーの市販の125ccスポーツモデルと同等程度までパワーダウンしてしまうことになる。エンジン本体についてもヘッドの変更などを受けている。

MY06以降

テンプレート:Infobox オートバイのスペック表

2006年フルモデルチェンジを行い、左右2灯式のヘッドライトを備えたフロントフェイスは同社のフラグシップスポーツであるRSV1000Rに似たものとなった。新車価格は約50万円。大きく変更されたカウルを含む外装、オド&トリップメーター・水温計・ラップタイム計・デジタル時計を表示可能なデジタルメーターなどの外観部品のほかに、倒立式フロントフォーク、ラジアルマウントキャリパー搭載のブレーキシステム、エキゾーストにそれぞれ変更を受け、最新のスーパースポーツを意識した仕様になっている。日本への正規輸入はMY08をもって断たれているが、販売は継続されている。MY10はカラーリングも変更されており、赤(Replica Sbk)、黒(Black Line)、白(White Glam)の三色ラインナップである。

RS250

ファイル:Aprilia-rs250.jpg
1997年モデルのRS250 前期型モデル

RS250スズキ・RGV-ΓをベースとするV型2気筒の250ccエンジンを搭載し、最高馬力は85psの発生も可能とされていた。ガンマのエンジンタイプは、VJ22A型式のヨーロッパ仕様が元になっており、RS250発売開始当初はベースの62psのガンマより8psアップした70psの出力があることになっていた。チャンバーの位置はVJ22A型ガンマとほぼ同じ位置。(写真右)最高出力などの性能表示については、元々日本とイタリアでの計測方法や表示の違いで、表示上では70Ps、圧縮比12~13となっているが、実際はガンマの輸出仕様とおおむね変わらない出力性能である。

RS250には前期型モデルである「LD型」、後期型モデルである「LDA型」と2種類の車両が存在しており、前期型モデルにはアプリリアチャレンジカップ用のパーツを組み込んだRS250SPというモデルが存在している。登場した一時期はスガヤ製のチャンバーを備えたSP車両も存在した。(RS250SP2、RS250GPというモデルもあるが、構成は同じなので基本的にはRS250SPで統一しても差し支えない)

1994年

最初期型であるLD型がデビュー。当初の扱いはGP250チャンピオン獲得に伴う記念モデル的な車両だったため、1995年までの車両にはフレームのネック部分にライセンスプレートが取り付けられている。カラーは1994年から1995年が青/赤(いわゆるレジアーニカラー)、銀、黒が存在した。

1998年

RS250はマイナーチェンジを実施し、LDA型に変更される。カウルは当時のGP250のトレンドである流線型の大柄なものになりテールカウルは涙滴型となる。エンジンも改良され、ヘッド形状が変更されて低回転域のトルクの増強と出力の安定化を図っている。また排気バルブユニットの動作を変更し、回転数に合わせて無段変速するというアプリリアならではの制御が行われている。これにより、LD型に見られた8000rpmを超えてから唐突な出力を発揮する特性が適正化されている。
日本メーカーが2ストロークレプリカバイクの生産を終了してからも、アプリリアはRS250を生産しつづけていたが、環境規制とスズキからのエンジンのデリバリーが終了したことにより2003年に生産終了となり、このオートバイが世界で最後に生産された250cc2ストロークレプリカバイクとなってしまった。元々エンジンは1万台の生産契約ということで、生涯生産台数が初めから決まっていたRS250だが、思いのほか長期にわたって販売されることになった。このときに余ったフレームなどを使って、MXV/SXV/RXVの450ccVツインエンジンを搭載したRSV450が開発されるとの噂が流れたことがあるが、現在ではその望みもついえている。

外部リンク

テンプレート:アプリリアのオートバイの車種