QWERTY配列

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QWERTY配列クウォーティーはいれつ、クワーティはいれつ、クウェルティはいれつ)は、ラテン文字が刻印されたタイプライターコンピュータなど、文字入力用キーボードの多くが採用する(デファクトスタンダードの)キー配列である。英字最上段の左から6文字がQ,W,E,R,T,Yの並び順であることから「QWERTY」と呼ばれる。

1872年クリストファー・レイサム・ショールズによって配列の原型が提案され、1882年に下記の配列が登場した[1]

QWERTY配列

QWERTY配列が完成するまでの過程

クリストファー・レイサム・ショールズが1867年に試作したタイプライターは、キー配列がABC順だった(アメリカ特許第79868号)。さらにショールズは、タイプライターのキー配列を改良し、アルファベットの前半を左から右へ、後半を右から左へ配置した[2]

入力されたアルファベットを印字する機械としては、デイビッド・エドワード・ヒューズジョージ・メイ・フェルプスによって製作された印刷電信機が、当時すでに実用化されていた。ヒューズとフェルプスの印刷電信機では、ピアノに似たキーボード上に、アルファベットの前半が左から右へ、後半が右から左へ配置されていた(下図、アメリカ特許第26003号)。ショールズは、このキー配列を、タイプライターに流用した[2]

ヒューズ=フェルプス印刷電信機のキー配列

上記の印刷電信機のキー配列から、母音A・E・I・Y・U・Oが上段に取り出され、最上段に数字が付け加えられて、以下のキー配列となった[2]

  2 3 4 5 6 7 8 9 -  
  A E I .  ? Y U O ,  
B C D F G H J K L M  
  Z X W V T S R Q P N

このタイプライターは電信会社に売り込まれ、その際、IやSのキーが移動された。I(数字の1にも使用される)が8の隣に移動されたのは、当時の年号「1871」を打ちやすくするためであり、SがZとEの間に移動されたのは、当時のアメリカのモールス符号においてZが「・・・ ・」で表されることから、ZとSEの判別がしばしば困難となり、続く文字を受信してからZあるいはSEをすばやく打つためである[3]。さらに下段からT・Q・W・P・Rが上段に移されるなどした結果、Iは9の近くに押し出され、以下に示す最初の商用タイプライター『ショールズ・アンド・グリデン・タイプ・ライター』のキー配列(アメリカ特許第207559号)となった[2]

ショールズ・アンド・グリデン・タイプ・ライターのキー配列

1882年には、MとCとXのキー位置が変更された『レミントン・スタンダード・タイプ・ライターNo.2』が発売され、現在のQWERTY配列が完成した[1]

QWERTY配列誕生の諸説

現在のテンプレート:要出典範囲な通説は、タイプライターの技術的な限界から打鍵速度を落としてアームの衝突を防ぐために考え出された配列だと言われる[4]

また、タイプライターのセールスマンが、顧客に対して簡単に美しく「typewriter」という単語の打鍵を披露できるようにしたものだとも言われる。最上段のキーのみで、「typewriter」のほかにも「property」のスペルが打てる[5]

その他にも、最も続けて打つことが多い文字、TとHのタイプバー(アームとも呼ばれる[1])を遠くに離すことで、内部の機械の故障を起こしにくくしたという説[6][7]がある。

諸説に対する見解

これに対し、京都大学安岡孝一京都外国語大学安岡素子は、著書『キーボード配列 QWERTYの謎』ii頁において「タイプライターのキー配列が現在と同じQWERTYになったのは、一八八二年八月のことだが、その時代のタイプライターにアームなんていう機構はない。アームを有するフロントストライク式タイプライターが発明されたのは、九年後の一八九一年六月で、実際に普及するのは二〇世紀に入ってからだ。一八八〇年代には存在していないはずのアームの衝突を防ぐために、タイプライターのキー配列をQWERTYにした、なんてのは全くナンセンスだ。」(原文縦書き)として「打鍵速度を落としてアームの衝突を防ぐためにQWERTY配列が完成された」との説を否定している[2]。しかし実際にはアーム機構を有するタイプライターは、1870年代より存在する[8][9](1883年[10][2][3]

さらに同書41頁において、1874年「当時の商標は『Sholes & Glidden Type-Writer』なのに、SholesもGliddenも一つの段で打つことはできない。Type-Writerにしてもハイフンを含んでおり、ハイフンが同じ段にない以上、この説はナンセンスと言わざるをえない」[2][4]としているが、テンプレート:独自研究範囲 [5][6][7][8]

また、同書40頁において「英語の連続する二文字で最も頻度が高いのは「th」であるにもかかわらず、TとHはQWERTY配列では離れていない」とあるが、『ショールズ・アンド・グリデン・タイプ・ライター』において衝突の対象である「T」と「H」の活字棒は、ほぼ対角線上に離れて位置している[2]。 

さらに、同書162頁に「英語の連続する2文字のうち、最も使用頻度が高い「th」に関しては、確かに『ショールズ・アンド・グリデン・タイプ・ライター』において、「T」と「H」の活字棒はほぼ対角線上に位置している。しかし、その次に使用頻度が高い「er」+「re」に関しては、活字棒はほとんど隣り合わせに配置されている」と主張している[2]テンプレート:独自研究範囲[9]

QWERTYが普及した理由

タイプライター用鍵盤配列において、1880年代「QWERTY配列」を採用していたレミントンには、テンプレート:要出典範囲

双方は「科学的根拠」を持ち出して宣伝合戦を繰り広げるとともに[1]、「どちらの配列を使えば、より素早く入力できるのか」を競うための打鍵速度コンテストも行っていた。コンテストではそれぞれの入力方式を操るユーザが少なくとも一度勝っており[10]、速度面での優劣を示すことはできないままとなっていた。

テンプレート:要出典範囲

ユニオン・タイプライター傘下に入ったレミントンとカリグラフを含む大手数社は、タイプライター・トラストの優位性を確立する手段の1つとして「キー配列を統一し、QWERTY配列のみに絞る」ことを選択した[1]

英文入力用鍵盤配列の差に由来する性能競争は、「タイプライター・トラスト」の実行によって、性能面での最終決戦を行わないままに、競争の意味そのものを失った。

大手のタイプライターメーカーが「タイプライター・トラスト」に基づき、揃ってQWERTY配列を採用したタイプライターを製造し続けた。その結果、タイプライター市場ではQWERTY配列がデファクトスタンダードとなった。[1]


QWERTYと「全指タイピング」「全指タッチタイプ」の関係

QWERTY鍵盤は、全指[11]タイピング(10本の手指を用いてタッチタイプする技法)と、全指タッチタイプ(鍵盤を見ることなく文字入力を行う技法)が成立する前に設計された[1][11]。そのため、基本的には全指タイピングや全指タッチタイプで操作されることを前提とした設計であるかどうかが不明である。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリーは、いずれも1882年にQWERTY配列向けの運指法と「カリグラフ」向けの全指タイピング法を発表した[12][13][12][13]

フランク・エドワード・マッガリンは、テンプレート:独自研究範囲[14][15][16]。(左手の親指は使わない九指タッチタイプ法。[11])

タイプライター用鍵盤から印刷電信機(テレタイプ)用鍵盤へ

かつての印刷電信機は、デイビッド・エドワード・ヒューズによるピアノ鍵盤様のもの・ジャン・モーリス・エミール・ボードによる5キー同時打鍵方式によるものであった[14]ドナルド・マレーは、1901年に発表したテレタイプに対し、QWERTY配列を基本とした鍵盤配列を搭載した[1][14]。 マレーのテレタイプ用鍵盤配列は、数字入力に専用のキーを持たず、シフトキーと英字キーを組み合わせて数字を表現する仕掛けを採用した。QWERTY鍵盤配列の「文字」並び順と「数字」並び順がここで紐付けされたため、それ以外の鍵盤配列をテレタイプへと採用することが、事実上不可能という状況となった[1]

印刷電信機用鍵盤から電子計算機用鍵盤へ

1949年に発表されたEDSACをはじめとして、初期のプログラム内蔵型電子計算機では、操作や対話を行うためのインターフェースとしてテレタイプを用いていた。このテレタイプではQWERTY鍵盤配列を用いていた[1]


QWERTY配列の亜種とその他のキーボード配列

QWERTY配列は(欧文アルファベット入力用として)世界の大多数で採用されていたキー配列であるが、各国の言語事情に合わせて改良型が導入された。フランス語圏においてはAZERTY配列が、ドイツ語圏・チェコ語圏においてはQWERTZ配列が作られるなど、QWERTY配列の亜種も存在する。またそれぞれも国によって細かい違いが存在する。

また、アルファベットではない文字を、主に母語の表記で用いる国の中には、アルファベット入力用としてQWERTYを用いつつ、母語の構造に適応する配列を上乗せして、切り替えながら使用する例がある。日本語、韓国語、中国語などの例がそれに当たる。

オーガスト・ドヴォラックは、1933年にDvorak Simplified Keyboardを発表した。この鍵盤配列はQWERTYとは異なり、はじめから全指タイピング法を目指して設計されていた[1]

参考文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 安岡孝一: QWERTY配列再考, 情報管理, Vol.48, No.2(2005年5月), pp.115-118.
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 安岡孝一、安岡素子『キーボード配列 QWERTYの謎』、東京、NTT出版、2008年3月、ISBN 978-4-7571-4176-6。
  3. 誠文堂新光社子供の科学、2010年9月号、46頁
  4. テンプレート:Cite journal
  5. Pitman's Typewriter Manual, 2nd Edition, London: Sir Isaac Pitman & Sons, 1897.
  6. David, P.A. (1986): Understanding the Economics of QWERTY: the Necessity of History. In: Parker, William N.: Economic History and the Modern Economist. Basil Blackwell, New York and Oxford.
  7. テンプレート:Cite web
  8. Wisconsin magazine of history: Volume 32, number 4, June 1949 p.396
  9. テンプレート:Cite journal
  10. テンプレート:Cite journal
  11. 11.0 11.1 注意!「全指」について。
  12. Mrs. M. V. Longley: Type-Writer Lessons for the Use of Teachers and Learners Adapted to Remington's Perfected Type-Writers, Cincinnati, 1882.
  13. Mrs. M. V. Longley: Caligraph Lessons for the Use of Teachers and Learners Designed to Develop Accurate and Reliable Operators, Cincinnati, 1882.
  14. 14.0 14.1 安岡孝一・安岡素子 『文字符号の歴史 欧米と日本編』 共立出版、2006年、29-59頁、ISBN 4-320-12102-3。

関連項目

外部リンク

テンプレート:Asbox テンプレート:Grammatology-stubit:Tastiera (informatica)#QWERTY