NON STYLE

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テンプレート:Infobox お笑いコンビ NON STYLE(ノン・スタイル)は、石田明と井上裕介の2人による漫才コンビ。所属事務所吉本興業よしもとクリエイティブ・エージェンシー)東京本部。2000年5月14日結成しオーディションを受けてbaseよしもとに入る。出囃子はKEMURIの『prayer』。

爆笑オンエアバトル第9代目チャンピオン。2008年M-1グランプリ王者。

メンバー

石田 明(いしだ あきら、1980年2月20日 - )

ボケ・ネタ作り担当。既婚者。身長173cm、大阪府立東淀川高等学校卒。
立ち位置は左。血液型はB型大阪府大阪市出身。全身白の衣装を着用することが多い。ツッコミの井上がナルシストになりきる場面ではツッコミ役になる。
漫才ではコミカルな役をすることが多いが実は極度の人見知りである。

井上 裕介(いのうえ ゆうすけ、1980年3月1日 - )

ツッコミ担当。未婚者。身長163cm[1](公称165cm)、神戸学院大学経済学部卒。
立ち位置は右。血液型はA型大阪府大阪市出身。ジャケットの下にタンクトップの衣装を着用することが多い。ナルシストになりきる場面ではボケ役になる。
個人でDay of the legend(ミュージシャン)としても活動。また、期間限定でロックバンドflumpoolのサポートメンバーとしても活動。

来歴

元々2人は同じ中学・高校に通っていた。高校で仲良くなった2人は遊びで漫才やコントをしたことがきっかけとなり「井上が大学に落ちたら一緒にNSCへ行こう」と話をしていたが、井上は大学に合格したため進学し、石田は(父親が板前であったため)板前として就職することとなる。

石田は板前修業をしていた2年の間に、高校時代の友人2人に誘われ「ほりごたつ」というトリオで心斎橋筋2丁目劇場のWachachaブレイクに一度だけ出演した。解散後は「ジャッジメント石田」と名乗り、ピン芸人となる。一方井上は、大学でパンクバンドを組んでいたが解散し、ストリートミュージシャンになろうとしていた。

石田の状況を知った井上による「俺がギターを弾くからお前がベースを弾け。合間に漫才をしよう」という誘いを石田が受諾し、NON STYLEが結成された。しかし路上での漫才中、酔っ払いの男に漫才について2時間も説教をされ、男を見返すために漫才だけに絞った。今では漫才の大会で何回も優勝をしているため、「その男の人に感謝をしている」と発言している。

結成直後は神戸・三宮駅付近の路上で漫才を行っていた。ときには徳井義実チュートリアル)や八木真澄サバンナ)が2人の漫才を見に来ていたこともあるという。また、この路上では後にデビューするコブクロもライブをしていた。

2000年5月14日にbaseよしもとのオーディションに受かり吉本興業に所属。プロデビュー。(吉本興業に入る前の数ヶ月間はケーエープロダクションの短期間研修生だった)

オーディション組だが、大阪NSC22期生(ダイアンミサイルマンネゴシックス中山功太キングコングなど)、東京NSC5期生(大西ライオン三瓶平成ノブシコブシピース5GAPラフ・コントロールなど)と同期扱いとされている。他事務所所属の芸人では、オードリー鳥居みゆきが同期にあたる。

2006年、第4回MBS新世代漫才アワードで優勝し、同年末に初冠番組『NON STYLEのフリースタイル!!』が放送された。2007年までにお笑いの新人賞6冠を獲得、baseよしもとのトップ組に昇格するなどして活躍。

爆笑オンエアバトル』では、チャンピオン大会を含めた全ての挑戦で上位5位以内をキープしている。なお、チャンピオン大会に出場経験があり、且つ挑戦回数が4回(通常のチャンピオン大会出場基準)以上の芸人に限定すると、(爆笑オンエアバトル終了時)までにこの記録を達成しているのはますだおかだ、NON STYLE、しんのすけとシャンの3組のみ。 また、全戦全勝(4連勝以上)に限定すると、NON STYLEは唯一1度も400KBを下回った事がないコンビとなる。

2008年4月6日をもって、8年間所属していたbaseよしもとを卒業し、東京進出。両名とも東京に住居を構え、以降は、京橋花月ルミネtheよしもと等に活動拠点を移す。

2008年12月21日、第8回『M-1グランプリ』(テレビ朝日系列)決勝進出。9組目のオードリーまで暫定1位を保持し(ただしオードリーは敗者復活枠)、最終決戦で審査員7人中5票を獲得して優勝を果たした。『爆笑オンエアバトル(チャンピオン大会)』と『M-1グランプリ』の両方で優勝したのはアンタッチャブル以来2組目。NSC卒業生ではない、俗に言う「オーディション組」からの優勝者はNON STYLEが初であり、また彼らは優勝当時二人とも芸歴8年7ヶ月という、M-1グランプリで優勝を納めたコンビの中では最も芸歴が浅い芸人であった[2]

2009年、第9回M-1グランプリに連覇を目指し出場することを表明。歴代王者が再び出場するのは、第3回王者フットボールアワー以来となり、優勝者が翌年も出場するのはM-1史上初だったが、準決勝敗退。その後敗者復活戦から勝ち上がり決勝進出。ファーストラウンドで3位を獲得し、2年連続最終決戦進出を果たしたが、結果は3位だった。(2004年度M-1王者のアンタッチャブル・山崎弘也はラジオ番組『アンタッチャブルのシカゴマンゴ[3]において、間隔を空けて出場したフットボールアワーと比較した上で前年王者の再出場に苦言を呈している。逆に、サンドウィッチマンはM-12009終了直後のよしもとオンラインで「自分達は(連覇を狙う)勇気がないから凄い」と賞賛している。)

2010年12月23日には、S-1バトルのグランドチャンピオンで獲得した賞金1億円を使用し、埼玉スーパーアリーナにてお笑いライブでは過去最大規模となる1万2千人を収容して「NON STYLE NON COIN LIVE in さいたまスーパーアリーナ」を無料開催した。(因みに、S-1バトル6月度月間チャンピオン時の賞金は、7月31日~10月12日 に行われた単独ライブ、「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」で、来場者に配布した無料ステッカーの製作費に使用した。)

略歴

芸風

スピード感のある話術やテンポの良さを重視するコント漫才が主流。 主に井上が話を進めるが、石田が鼻であしらう態度を取るというものが多い。

2007年までは井上が自身に陶酔する等の特徴的な「イキリ漫才」と呼ばれるスタイルを主とし、『爆笑オンエアバトル』も「イキリ漫才」によって優勝している。

2008年以降は「石田がボケた後井上が突っ込み、さらに自分自身の右太ももあたりをグーで殴り自省するのを井上が突っ込む」というスタイルの漫才に変更し、テンポがさらに速くなった。この変更について石田は、2007年までのM-1グランプリでは準決勝までしか進めなかったことを受けて「今の漫才の形ではこの先は無い(と思ったから)」と語っている。[4]また、雑誌のインタビューでは「ネタ合わせの時に試しに入れたら、井上がそれで笑ったんで」とも語っている。また、優勝後しばらく経ったのち漫才ではこのスタイルを封印している。2012年頃からは「井上がやりたいドラマの1シーンを石田とやろうとするが、石田がひたすらボケ続けるために一切話が進まない」というスタイルの漫才も行うようになった。このスタイルはTHE MANZAIでは視聴者票を得やすい[5]スタイルであるためか、THE MANZAI2013では決勝・最終決戦共に「99点」という破格の値を叩きだすこととなった。

ただし、『エンタの神様』などでネタを披露する際に、イキリ漫才のスタイルが残るネタはあった。また、ダイノジ大地のよしもとオンラインでの発言によると、東京では「イキリ」という言葉が通じないため、説明を行うことでの時間の浪費を抑えるためという。

ネタ作りは主に石田が担当している。ネタ帳にはルーズリーフを使用し、これまで書いたものを全部積み上げると電子レンジ2台分ぐらいの高さになるという。ちなみに、二人とも即興性を好むということもあり、ツッコミの大半は井上がアドリブで作っている[6]。また、井上は「石田が書いた台本を井上に見せずにネタをやる」→「台本を見せてからやる」→「その日の晩、電話で井上にネタの確認をする」という流れでツッコミを考えると共にネタの完成度を高めている。「電話でネタのおさらいをさせる」のは、石田がどのボケが印象深いのかを探るためである。[7]。 新ネタ以外は事前のネタ合わせを一切せず、舞台に立ちしゃべり始めた内容で決める。

また、コントをすることもあり、キングオブコント準決勝進出の経験がある。 コントの内容は「ブサイクなのに格好をつける井上に対して、石田がイライラして心の声で悪口を言い続ける」というもの[8]や、メルヘンチックなキャラクターが登場するもの(例:「チェリー」、「同棲(モスキーニョ)」、「指」など[9])が主。

エピソード

  • 井上が前向き・外向的であり、石田が気が弱い・内向的であると語られることが多い。
  • 二人の関係は「井上がNON STYLEの社長で、石田が従業員(下請け)である」と本人たちが述べている。
  • 結成当初は淀川の河川敷でネタ合わせをしていたため、石田はコンビ名の候補に「淀川ピーナッツ」を提案するも、井上はダサいという理由から却下し、当時井上が好きだったHi-STANDARDのように「○○スタ」と略されたいと思っていたことや「コンビ名に“ん”が入っていると売れる」と言う験担ぎ、当時横文字のコンビが少なかった事等をふまえて「NON STYLE」と命名した。[10]
  • 中学時代、出席番号1番が石田で、出席番号2番が井上だった。しかし中学時代はほとんど喋ったことがなかったという。また当時は石田の方が身長が低かった。
  • 中学時代、修学旅行のバスの中がカラオケで盛り上がっていたとき、歌が苦手な石田に順番がまわってきたが、流行の曲を知らず親の影響で『ロンリーチャップリン』の男性ボーカル部分だけを仕方なく歌うが、案の定バスの中は気まずい雰囲気になってしまった。そのとき女性ボーカル部分を歌いデュエットしたのが「当時まだそんなに仲良くなかった」井上だった。石田曰く「優しい人もおるんやなぁと思ったけど、やっぱり歌い方はイキっていた」。[11]
  • 高校時代、井上は新大阪駅構内のカレー屋でアルバイトをしており、また駅構内の他のお店でアルバイトをしていた女の子が好きだった石田は、よく井上のバイト先に愚痴を言いに遊びに行っていた。ちなみに石田も駅構内でアルバイトをしようと面接に行ったが、当時声が小さく初対面の人とうまくしゃべれなかったり、目に覇気が感じられないとすべてのお店の面接に落ちたという。[12]
  • 2008年3月頃に井上の提案による東京進出を巡って大ゲンカになったことがあり解散話にまで発展したが、今では無効とされている。石田は後に「寧ろ東京に来てからしっかり話し合うようになった」と発言している。
  • 上京から半年後テレビでのレギュラー番組はゼロになったが、石田は「暇だったが逆にネタを作れる時間ができたので、何も文句はなかった」。またこの夏に「M-1グランプリで優勝したいんですツアー」を敢行し「優勝しなかったら恥ずかしい思いをするのは自分なので、敢えて崖っぷちに追い込んだ」と井上は振り返っている。[13]
  • 2008年M-1グランプリ優勝会見では、記者の「優勝したのは誰のおかげだと思いますか?」という質問に対し、井上は「いろいろアドバイスをくださった先輩方」、石田は「まだネタが出来ていない内から今年のM-1は優勝しますと宣言して、僕を引っ張ってくれた井上」にそれぞれ感謝していた。
石田
  • 吉本男前ランキング最高3位(2009年)。
  • 実家が貧しく食生活に恵まれなかったため、骨年齢が72歳血管年齢は73歳と判定されている。その他にも虚弱なエピソードが豊富である。
    • スキップをしたら足の指を骨折した。
    • デコピンをしたら中指を粉砕骨折した。
    • 医者からシッペを止められている。
    • 相方、井上のツッコミにより肩を脱臼した。
    • 写真撮影で後ろに振り返ったらアバラにヒビが入った。
    • 病院食で痛風になったことがある。
    • 蛍光灯で日射病になったことがある。
    • タバコを吸ったら風邪をひく。
    • 手を洗うと指先から流血することがある。
    • 野球をしているとき、ボールを投げただけで腕を螺旋骨折した。螺旋骨折した右腕は、16本の金属のプレートとボルトで補強しているため、電磁波や静電気に過剰反応してしまう。
  • 全身白の衣装がトレードマークとなったきっかけは、井上に「ボケやったらもっと明るい色を着てこい」と言われたことであった。ただし、そもそもオシャレで通っていた石田は明るい色を着るのに抵抗があり、且つ相方に言われた為納得できず、反抗心から全身白にした[14]と言う経緯がある。衣装はネクタイ、シャツ、パンツ、靴、ベルトを毎回変えているが、本人曰く「誰にも気づかれない」。元々は白ネクタイを着用していたが、2009年8月頃から「かわいく見えるように」という理由で、白の蝶ネクタイを着用している。白ネクタイを外したきっかけは、山崎弘也と上半身の衣装が被りネット上で『コザキヤマ』と書かれているのを見てしまったことだった。[14]
  • 西野亮廣キングコング)とは大阪時代から仲が良い。
  • 閉所恐怖症でありフルフェイスのヘルメットが被れない。また番組の企画で潜水をした際、過呼吸に陥った。
  • 重度の神経過敏・不安症である。寝床につく時に呼吸の仕方がわからなくなり、メトロノームに合わせて呼吸をしていた事を吉田敬ブラックマヨネーズ)に相談していた。
  • M-1グランプリ以前から、分不相応な車を所持していたせいで借金が400万円以上あったため、賞金500万円のほとんどを借金返済に充てなければならなかった。本人曰く「自分を追いつめないとがんばれない子」。
  • 演歌歌手のジェロと親交があり、ジェロを通じて藤あや子坂本冬美とも交流している[15]
  • 趣味は読書、紙粘土、井上に悪戯を仕掛ける事(鞄に大量の飴やプルタブを詰める、私服の靴の先にバカと書いた紙コップを詰める、楽屋の弁当を一口食べる等)、ブーメラン等。石田曰く「ブーメランの魅力は人は行ったら帰ってこないが、ブーメランは行ってもちゃんと返ってくること。」[16]
  • ペットにオカヤドカリ15匹とクリオネ、食用目的で購入したヤシガニ1匹を飼っていた。
  • 家には大量の玩具がある。
  • トータルテンボスの野球チーム「アフロモンキーズ」の一員。(ただし一度も試合に参加していない)
  • 無類の酒好きであり、酒豪。酔うと気が大きくなる節があり、以前酔った際白い服を着ていた井上に「白い服着んのやったら俺に許可とらんかい」と絡んだ。
  • 板前の経験があり、料理が得意。黄金伝説の「0円生活」において、対戦相手のブラックマヨネーズから「俺らは男の料理を食べているのにあいつらだけ料亭みたいな料理を食べている」と嫉妬された。
  • 動物の毛のアレルギー。
  • 2009年6月16日、大阪時代から一般女性と交際していた相手がいたことが判明したが、2011年の年初に破局[17]
  • 小学校から高校までの9年間野球を経験しており、巨人のファンである[18]。現在は前述の螺旋骨折によりピッチングができない為、野球をプレーすることはない。
  • 相方やレギュラーの共演者と所持品が被ることを極端に嫌う。
  • 彼女にプレゼントをしすぎて150万の借金をしたことがある。
  • 21歳の時に受けてもいないバイトの不合格通知が届いた事がある。
  • 実家に帰ると兄から突然「借金苦で自己破産する」と相談された。少しでも助けになろうと、石田が借金が幾らあるのか聞くと「6万円」と言われた。唖然とした石田はM-1で優勝したのもあって、「返さなくていい」と10万円を兄に渡した。数ヵ月後に再び実家に帰ると、兄が借金を返さずにチワワを3匹購入していた。
  • 2012年10月2日に一般女性と入籍し、翌週10月9日に発表。
  • クラッシュ癖があり、殴られると楽しいらしい。
井上
詳細は井上裕介を参照。

受賞歴

  • 2004年 - MBS新世代漫才アワード準優勝
  • 2005年 - ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞
  • 2005年 - MBS新世代漫才アワード準優勝
  • 2006年 - 上方漫才大賞優秀新人賞
  • 2006年 - MBS新世代漫才アワード優勝
  • 2006年 - NHK新人演芸大賞演芸部門大賞
  • 2006年 - 上方お笑い大賞最優秀新人賞
  • 2007年 - 爆笑オンエアバトル第9代チャンピオン
  • 2008年 - M-1グランプリ決勝 - 優勝
  • 2009年 - M-1グランプリ決勝 - 3位 (敗者復活枠)
  • 2010年 - S-1バトル優勝

出演番組

レギュラー

テレビ
ラジオ
Web

主な過去の出演

テレビ
テレビドラマ
ラジオ
CM
脚本

Web

  • NON STYLE(ザ!!トラベラーズplus) モッテコ書店 (2010年05月25日)
  • かんたん!Cook STYLE(全4回)味の素Cook-Do ※Cook-Do 1グランプリに優勝
  • よしもとオンライン「NON STYLE パーティー」(Yahoo!バラエティ)(2008年12月25日-2010年12月24日)
  • NON STYLE石田の明語(2012年12月18日~、星海社運営Webサイト「最前線セッションズ」に掲載)石田のみ。佐藤友哉との対談。

PV

  • rhythmic「キミに伝えたくて」 石田のみ
  • flumpool「大切なものは君以外に見当たらなくて」

書籍

  • 「HON STYLE〜こんな感じで、本出しちゃっていいんですか!?〜」(2009年、ワニブックス)
  • 「万歳アンラッキー」(2012年2月20日、ワニブックス)-著者は石田。尚、発売日の2月20日は石田の誕生日でもある。

舞台

DVD・CD

DVD

  • 新風baseよしもと ネタトウタ2004(2004年12月15日)
  • baseよしもと ネタトウタ2007(2007年5月23日)
  • NON STYLEにて(2008年2月13日)
  • 犯人と人質(2008年11月19日)
  • NON STYLE LIVE 2008 in 6大都市 〜ダメ男vsダテ男〜(2009年1月14日)
  • 爆笑オンエアバトル NON STYLE(2009年3月31日)
  • M-1グランプリ2008完全版 ストリートから涙の全国制覇!!(2009年3月31日)
  • NON STYLE LIVE 2009〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜(2010年2月24日)
  • NON STYLE NON COIN LIVE in さいたまスーパーアリーナ〜(2011年3月9日)
  • NON STYLE TALK 2011 Vol.1(2011年9月7日)
  • NON STYLE TALK 2011 Vol.2(2012年3月7日)
  • NON STYLE 12 前編 〜2012年、結成12年を迎えるNON STYLEがやるべき12のこと〜(2012年9月26日)
  • NON STYLE 12 後編 〜2012年、結成12年を迎えるNON STYLEがやるべき12のこと〜(2013年3月6日)

CD

  • ニコニコチャンプ」(2007年9月5日)
    • テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』10代目エンディングテーマ
    • 作詞・作曲:井上裕介
  • 「見上げれば、青い空」〈ミニアルバム〉※Day of the legendとして
    • 作詞・作曲:井上裕介
  • 「おかあちゃん」
    • 日本テレビ系音楽番組『MMM』の「第2回・芸人マジ歌フェスティバル」にて披露。
    • 作詞:NON STYLE 作曲:井上裕介
    • CDは発売していないが、MMM携帯サイトよりダウンロードできる。

単独ライブ

脚注

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外部リンク


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テンプレート:DON!
  1. 2010年6月23日放送回『イチハチ』(毎日放送)の企画「モテたくて必死な芸能人No.1決定戦」出演時に発言。本当は163cmだが168cmと5cm多く言っていた時期があった。尚、現在の公式プロフィールでも2cmサバを読んでいる。base時代から相方石田にも「本当は163cmなのに165cmと偽っている」と度々ネタにされてきた。
  2. 結成から優勝までの期間ではフットボールアワーの「4年8ヶ月」や、ブラックマヨネーズの「7年」に劣っているが、両者は「1994年デビューの芸人がそれぞれ1999年と1998年に結成したコンビ」であるため、芸歴では優勝当時NONSTYLEよりも遙かに上であった。
  3. 2009年12月17日放送回
  4. M-1グランプリ2008の事前番組にて。
  5. 視聴者が「アハハハハ」と笑う感覚でボタンを押し、視聴者がボタンを押した回数を100点満点に換算する方法で、そのシステムの構成上、ボケを多く量産する(視聴者がボタンを押すタイミングを多く与える)タイプのネタをする芸人が高得点をとる傾向が第1回大会の頃からある(ナイツHi-Hiオジンオズボーン等)
  6. 台本にも、井上のセリフは「(#ツッコミ)」としか書かれていない(2010年10月23日放送分の「トップランナー」より)。
  7. 2010年10月23日放送分の「トップランナー」より。
  8. 主なネタは「Bar」、「刑事」、「舞台雑用」など。
  9. ほとんどは正式名称が不明。「チェリー」はS-1グランプリでは「愛のカタチ」という名前になっていた。
  10. 異種格闘対談-Ring【round2】より
  11. 2009年6月9日のよしもとオンラインにて、石田はこの曲を個人的な想い出のある名曲としてあげている。
  12. 2009年8月22日深夜放送の『地元応援バラエティ このへん!!トラベラー』での石田の発言より
  13. 2009年3月21日放送『ルミネtheよしもと ネタ超一流シーズン4』より
  14. 14.0 14.1 2012年11月8日『アメトーーク!』、「衣装決まってる芸人 」で発言
  15. 2009年4月19日放送『おしゃれイズム』より
  16. 2008年8月7日の無限大ホールで行われたトークより
  17. [http://www.oricon.co.jp/news/confidence/85564/full/ ノンスタ・石田、結婚目前だった彼女と1ヶ月前に破局 原因は「マリッジブルー」 ]
  18. 2009年7月11日放送の地元応援バラエティ このへん!!トラベラーより