FISM

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FISM(フィズム, テンプレート:Lang-fr-short,テンプレート:Lang-en-short)は、世界各国の団体が加盟する、マジックにおける世界最大規模の連合体である。FISMの統一された日本語訳はなく、奇術師団体国際連合[1]国際マジック団体連合[2]マジック協会国際連合などと訳されることもあるが、FISMが一般的である。3年に1度開催される「FISMマジック世界大会」をFISMということもある。

概要

1937年フランスジュール・ドッテルが提唱し、世界規模でのマジック団体の交流をめざして企画された案は、第二次世界大戦の影響で立ち消えとなったが、大戦後の1948年スイスローザンヌで設立された。現在では43カ国、83の団体が加盟し、FISMに含まれるマジシャンは全世界で50,000人を超える。FISMは法的に団体としては世界中どの国にも登録されておらず、歴史的側面からスイスでの登録に向けて活動している。

2005年FISM事務局長E.エスウィンより「FISMの将来について」[3]と題する文書が各国マジック団体代表者に向けて発表された。それによると、「FISMはマジック芸術の促進のための先導的なグローバルな基盤と位置づけられるべき」とされ、「世界中で先導的なプロマジックの機関へと発展するために、今後の活動やシステムについて整備」されようとしている。FISMがヨーロッパを中心とした組織から脱皮し、国際的に認知されるために、世界をアフリカ、アジア、ヨーロッパ、中南米、北米、オセアニアの6つの大陸組織に分け、これらを国際的FISMの下部組織とする構想が進められている。

FISMの基本理念は、国によって異なるマジック文化やマジシャンの交流、コンテストの運営であり、これらを行うFISMの世界大会および総会が3年に1度開催されている(FISM-World Championship of Magic(FISM-WCM)、 FISMマジック世界大会)。

FISMマジック世界大会

第1回大会は1948年にスイス・ローザンヌで開かれ、以後毎年開催されたが、1955年第6回オランダアムステルダム大会から3年に1度の開催となった。大会は世界最大規模のマジックのイベントで「マジックのオリンピックともよばれる。7月下旬の6日間にヨーロッパで開催されるのが通例だが、1994年日本横浜)、2009年中国北京)とアジアで開催された。

FISMのショーに出演することは名誉なことで、世界的に通用する実力であることが認められることになる。また、コンテストに入賞あるいはグランプリを獲得すれば、マジシャンとして最高の誉と名声を得ることになるため、世界中から毎回100~150組近くの演技者が出場する。コンテストで要求されるレベルは非常に高く、第一線で活躍しているプロマジシャンが真剣勝負する様は圧巻である。

以下に最新の審査基準と表彰区分を示す。

世界大会の審査基準

  • テクニカルスキル/ハンドリング(技術)
  • ショーマンシップ/プレゼンテーション(演出・表現力)
  • エンターテインメント バリュー(楽しさ)
  • アーティスティック インプレッション/ルーティニング(構成)
  • オリジナリティー (独創性) 
  • マジック アトモスフェアー(マジックの雰囲気)

審査は、6つの観点からなる公平な審査基準によって厳格におこなわれ、レベルの高さを求められる。

審査は厳しく、演技中に失格となる場面も少なくない。日本人では瀬島順一郎が常任審査委員であり、ヒロ・サカイが審査員を務めたこともある。

部門別表彰

  • マニピュレーション部門
  • ジェネラルマジック部門
  • インベンション(発明)部門
  • マイクロマジック部門
  • クロースアップ・カード部門
  • パーラーマジック部門
  • ステージイリュージョン部門
  • メンタルマジック部門

(特別賞)

  • オリジナル
  • コメディ

グランプリ表彰

  • ステージ部門
  • クロースアップ部門

過去に受賞したマジシャンは、グランプリに輝いた フレッド・カップス(オランダ)、リチャード・ロス(オランダ)、 ランス・バートンアメリカ)、クロースアップ・マジックダロー(アメリカ)、マイケル・アマー(アメリカ)など錚々たる顔ぶれである。中でも、フレッド・カップスは通算3大会でグランプリを受賞し、リチャード・ロスは第11、12回2大会連続ランプリ受賞という記録を打ち立てたが、その後、「過去にグランプリを受賞したものは、同じ演技で再びコンテストに参加することはできない」とルールに規定された。

FISMグランプリ受賞者

  • 第22回(2003年ハーグ(オランダ)大会より、グランプリはステージ部門とクロースアップ部門から1組ずつ選出されるようになった。
開 催 地 (国 名) 部  門 受 賞 者 (国 名)
第1回 1948年 テンプレート:Flagicon2 ローザンヌ(スイス) テンプレート:Flagicon2 Willane(イギリス)
第2回 1949年 テンプレート:Flagicon2 アムステルダム(オランダ) テンプレート:Flagicon2 Viggo Jahn(デンマーク)
第3回 1950年 テンプレート:Flagicon2 バルセロナスペイン テンプレート:Flagicon2 Mystica(後にFred Kaps)(オランダ)
第4回 1951年 テンプレート:Flagicon2 パリフランス テンプレート:Flagicon2 Geoffrey Buckingham(イギリス)
第5回 1952年 テンプレート:Flagicon2 ジュネーブ(スイス) テンプレート:Flagicon2 Moroso(イタリア)
第6回 1955年 テンプレート:Flagicon2 アムステルダム(オランダ) テンプレート:Flagicon2 Fred Kaps(オランダ)
第7回 1958年 テンプレート:Flagicon2 ウィーンオーストリア テンプレート:Flagicon2 Tonny Van Dommelen(オランダ)
第8回 1961年 テンプレート:Flagicon2 リエージュベルギー テンプレート:Flagicon2 Fred Kaps(オランダ)
第9回 1964年 テンプレート:Flagicon2 バルセロナ(スペイン) テンプレート:Flagicon2 Pierre Brahma(フランス)
テンプレート:Flagicon2 Mr.Cox(西ドイツ
第10回 1967年 テンプレート:Flagicon2 バーデン=バーデン(西ドイツ) テンプレート:Flagicon2 Di Sato (Harry Theiry)(オランダ)
第11回 1970年 テンプレート:Flagicon2 アムステルダム(オランダ) テンプレート:Flagicon2 Richard Ross(オランダ)
第12回 1973年 テンプレート:Flagicon2 パリ(フランス) テンプレート:Flagicon2 Richard Ross(オランダ)
第13回 1976年 テンプレート:Flagicon2 ウィーン(オーストリア) テンプレート:Flagicon2 Pierre Brahma(フランス)
第14回 1979年 テンプレート:Flagicon2 ブルッセル(ベルギー) テンプレート:Flagicon2 Ger Copper(オランダ)
テンプレート:Flagicon2 Sultangali Shukurov &

Sara Kabigujina(ソ連)

第15回 1982年 テンプレート:Flagicon2 ローザンヌ(スイス) テンプレート:Flagicon2 Lance Burtonアメリカ)
第16回 1985年 テンプレート:Flagicon2 マドリード(スペイン) テンプレート:Flagicon2 Javier & Ana(スペイン)
第17回 1988年 テンプレート:Flagicon2 ハーグ(オランダ) テンプレート:Flagicon2 Johnny Ace Palmer(アメリカ)
第18回 1991年 テンプレート:Flagicon2 ローザンヌ(スイス) テンプレート:Flagicon2 Vladimir Danilin(ソ連)
第19回 1994年 テンプレート:Flagicon2 横浜 (日本) テンプレート:Flagicon2 Franklin(ドイツ
第20回 1997年 テンプレート:Flagicon2 ドレスデン(ドイツ) テンプレート:Flagicon2 Ivan Necheporenko(ロシア)
第21回 2000年 テンプレート:Flagicon2 リスボンポルトガル テンプレート:Flagicon2 Scott the Magician &

Miss Muriel(オランダ)

第22回 2003年 テンプレート:Flagicon2 ハーグ(オランダ) ステージ テンプレート:Flagicon2 Norbert Ferré (フランス)
クロースアップ テンプレート:Flagicon2 Jason Latimer (アメリカ)
第23回 2006年 テンプレート:Flagicon2 ストックホルムスウェーデン ステージ テンプレート:Flagicon2 Pilou(フランス)
クロースアップ テンプレート:Flagicon2 Rick Merrill(アメリカ)
第24回 2009年 テンプレート:Flagicon2 北京(中国) ステージ テンプレート:Flagicon2 Soma(ハンガリー
クロースアップ テンプレート:Flagicon2 Shawn Farquhar(カナダ
第25回 2012年 テンプレート:Flagicon2 ブラックプール(イギリス) ステージ テンプレート:Flagicon2 YU HO-JIN (韓国)
クロースアップ テンプレート:Flagicon2 YANN FRISCH (フランス)
第26回 2015年 テンプレート:Flagicon2 リミニ(イタリア) ステージ .
クロースアップ .


日本の参加

  • 1973年の第12回パリ大会(フランス)に日本人として初めて八田加寿雄がコンテストにエントリーし、また島田晴夫がガラショー(特別ステージ)に出演した。
  • 1976年 ウィーン大会(オーストリア)のガラショーにフロタマサトシがゲスト出演した。
  • 1979年第14回のブリュッセル大会(ベルギー)で真田豊実がマニピュレーション部門2位と日本人として初の受賞をはたした。
  • 1985年スペイン・マドリードの総会でフロタマサトシを会長とするSJM(Society of Japanese Magicians) が日本で最初の正式メンバーとなり、1991年スイス・ローザンヌ大会でフロタは次期会長に指名された。FISMがヨーロッパ以外で開催されるのは初めてのことで、招致にあたってのフロタマサトシの尽力は計り知れない。

FISM横浜大会

  • 1994年7月25日から30日までの6日間、横浜みなとみらい21パシフィコ横浜コンベンションセンター」で、ヨーロッパ以外の地で初めてとなるFISM横浜大会が開催された。大会参加登録者1,300人、ゲスト出演者60組約120名、ストリートマジックを観覧した横浜市民延べ8,000人、など大会期間中に延べ18,000人が参加した。[4]

日本の正式メンバー団体

  • SJM(Society of Japanese Magicians)会長:瀬島順一郎
  • 日本奇術協会(Japan Professional Magician s’Association(JPMA))会長:渚晴彦
  • 日本クロースアップマジシャンズ協会(Japan Close-up Magicians’Association(JCMA))会長:田代茂

FISM世界大会へ出場するには、日本奇術協会が主催し、SJMとJCMAが協賛する「FISM国内予選会」を通過して推薦を受けなければならない。

日本人受賞者

開 催 地 (国 名) 部  門 受 賞 者
第14回 1979年 ブリュッセル(ベルギー) マニピュレーション 第2位 真田豊実
第15回 1982年 ローザンヌ (スイス) マニピュレーション 特別賞 真田豊実
第16回 1985年 マドリード(スペイン) マニピュレーション 第2位 マーカ・テンドー
ゼネラルマジック 第2位 深井洋正&キミカ
第17回 1988年 ハーグ(オランダ) ゼネラルマジック 第3位 YUKA
グランドイリュージョン 第3位 ナポレオンズ
ミクロマジック 第3位 斎川豊久
第18回 1991年 ローザンヌ(スイス) 該当者なし
第19回 1994年 横浜(日本) マニピュレーション 第2位 内田貴光
グランドイリュージョン 第3位 安田悠二
カードマジック 第3位 和田裕治
第20回 1997年 ドレスデン(ドイツ) ゼネラルマジック 第2位 スガヤ幸一
第21回 2000年 リスボン(ポルトガル) マニピュレーション 第1位 峯村健二
ゼネラルマジック 第2位 ゆみ
第22回 2003年 ハーグ(オランダ) マニピュレーション 第3位 峯村健二
第23回 2006年 ストックホルム(スウェーデン) 該当者なし
第24回 2009年 北京(中国) マニピュレーション 第1位 加藤陽
第25回 2012年 ブラックプール(イギリス) 該当者なし

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. テンプレート:Cite web - FISMの窓口である日本奇術協会前会長・北見マキのサイト
  2. テンプレート:Cite web - FISMの加盟団体であるJCMAのサイト
  3. テンプレート:Cite web - 中部奇術連合会のサイト
  4. テンプレート:Cite web - FISMの窓口である日本奇術協会前会長・北見マキのサイト

外部リンク