1976年アメリカ合衆国大統領選挙

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テンプレート:Infobox Election 1976年アメリカ合衆国大統領選挙(1976ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、The U.S. presidential election of 1976)は、1976年11月2日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙である。現職の共和党ジェラルド・R・フォード大統領が、民主党ジミー・カーター候補に敗れた。

予備選挙

民主党

候補者:

1972年の大統領選で大敗した民主党からは、ウォーターゲート事件による政治不信を政権奪回の好機と捉え有力政治家が次々と名乗りを挙げる大乱戦となった。特に知名度の点でブラウン・カリフォルニア州知事とジャクソン上院議員、ユーダル下院議員が有力と見られていたが、政治不信は共和党のみならず民主党をも含めた既成政治家への批判にまで及んでいた。そんな中で全国的に知名度の低かったカーター・ジョージア州知事が予備選改革を巧く利用する形で頭角を現し、出身州のジョージア、更にアラバマおよびインディアナの予備選挙で勝利を収めた。これで目算が外れたジャクソン候補が早々と撤退、ユーダルは選挙戦を続行したもののカーター支持の勢いを止めるまでには及ばず、民主党全国大会では第一回投票でカーターの候補者指名を決めた。カーターが副大統領候補として選んだのはミネソタ州選出のウォルター・モンデールだったが、これは同じ地元のヒューバート・H・ハンフリー元副大統領の支援を期待したものと言われている。

共和党

候補者:

フォードはウォーターゲート事件に無関係だったものの、辞任した前大統領ニクソンに恩赦を与えたことで事件の首謀者と同列に見られることになってしまい、しかもフォード自身がスピロ・アグニュー副大統領の辞任に伴って1973年ニクソンに任命されたことから、大統領選の審判を一度も経ずに大統領に就任したという負い目も重なった。またフォードは、ニクソンからデタント政策を引き継いだものの、これも保守派の反発を招き、1975年末頃にレーガンが大統領選に名乗りを挙げることになる。

フォードは中道派の支持を取りまとめてレーガンに対抗したものの、ニューハンプシャー州での予備選では僅差にまで追い込まれ、その後も一部の州を除いてレーガンの善戦を許した。結局のところフォードが逃げ切りに成功したものの、保守派への支持を取り付けることもあって副大統領だったネルソン・ロックフェラーを勇退させて、カンザス州選出の上院議員ロバート・ドールを副大統領候補に選び本選挙に臨んだ。

本選挙

選挙戦の情勢はフォードに有利だったが、カーターは正直な外からの改革者として選挙戦を戦い一挙に接戦に持ち込んだ。フォードは討論で、東ヨーロッパが共産主義者によって占領されることはないと繰り返し主張し、それが大きな失策となった。

ワシントン州の共和党候補への選挙人の1人はロナルド・レーガンに投票した。

結果

大統領候補選挙人投票 一般投票 得票率 政党 副大統領候補
(選挙人投票)
ジェームズ・E・カータージョージア州当選 297 40,825,839 50.1% 民主党 ウォルター・モンデールミネソタ州 (297)
ジェラルド・R・フォードミシガン州 240 39,147,770 48.0% 共和党 ボブ・ドールカンザス州 (241)
ロナルド・レーガンカリフォルニア州 1 不出馬 - 共和党 (1)
ユージーン・J・マッカーシーミネソタ州 0 756,691 0.9% (独立)
ロジャー・マクブライドバーモント州 0 173,011 0.2% リバタリアン党 デヴィッド・バーグランド
レスター・マドックスジョージア州 0 170,531 0.2% アメリカ独立党
トーマス・J・アンダーソン 0 160,773 0.2% アメリカン党
その他 0 321,274 0.4%
合計 538 81,555,889 100.0%
出典: U.S. Office of the Federal Register

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