黒部五郎岳

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テンプレート:Infobox 山 黒部五郎岳(くろべごろうだけ)は、富山県富山市岐阜県飛騨市及び高山市にまたがる飛騨山脈標高2,840mである。別名、中ノ俣岳(なかのまただけ)、鍋岳。黒部五郎岳は富山県側、中ノ俣岳は岐阜県側の古来からの名称。日本百名山[1]及び花の百名山[2]に選定されている。山域は中部山岳国立公園に指定されている[3]

概要

立山連峰が巨大な薬師岳より南下して、太郎兵衛平から北ノ俣岳を経て続くなだらかなで広々とした稜線の先に、巨大な圏谷を抱く特異な山容を見せるのが、この山である。花崗閃緑岩で構成され、山頂付近は岩が積み重なった砂礫地である[4]。 圏谷が、その山体に対して余りに巨大なため、巨大なスコップでえぐられたようにも見えるし、また火山が噴火によって自らの山体を崩壊させたのかとも思えるような、巨大なU字谷を両腕の如き2本の山稜が抱えるような姿をしている。

その巨大な凹地は、東方の三俣蓮華岳の方を向いているが、その山容を最も特徴的で、なおかつ美しく見せるのは、黒部川源流を隔てた雲ノ平から眺めた時である。

その圏谷底に立つと、荘厳な雰囲気すら感じられる。自然の造形の妙を遺憾なく発揮した山である。また、圏谷底に立つ赤い三角屋根の黒部五郎小舎も、この優美な山の風景に溶け込んでおり、その景観に一点のアクセントを添えている。

山名の由来

人名のような山名であるが、「五郎」は、山の用語であるゴーロ、大きな岩がゴロゴロした場所が山名の語源で[1]、それに五郎という当て字をあてているのである。また、苗字のような「黒部」も、村名が由来であるという。これは近隣の野口五郎岳についても同様で、黒部村の五郎岳と、野口村の五郎岳という言い方で、比較的近接している二つの山を区別したものである。歌手の野口五郎の芸名は野口五郎岳にちなんだものであり、デビュー前には「黒部五郎」も芸名の候補に挙げられていたという。

以前は、東側が欠けた鍋のように見えていたことから「鍋岳」とも呼ばれていた[4]1909年(明治42年)に山岳画家でもある中村清太郎が登頂し、『越中アルプス縦断記』に記載した後に、この山名が定着したとされている[5]

登山

1924年の積雪期に、伊藤孝一が常願寺川支流真川方面から登頂し槍ヶ岳を経て上高地へと縦走した[5]1930年(昭和5年)12月に、青山学院大学の小島隼太郎が裏銀座縦走の際に登頂した[5]1931年(昭和6年)1月に、加藤文太郎が単独で縦走の際に登頂し、裏銀座を経て大町へ下山した[5]

登山ルート

飛騨山脈の奥深い位置にあるため日帰りの登山が困難で、山小屋キャンプ指定地を利用し山中で数泊して登られることが多い[6]。立山連峰縦走時にここを通過することもある。

  • 飛越新道 :飛越トンネル - 仙人峠 - 鏡池 - 寺地山 - 北ノ俣避難小屋 - 北ノ俣岳 - 赤木岳 - 黒部五郎岳
  • 神岡新道 :打保 - 水ノ平 - 仙人峠 - 鏡池 - 寺地山 - 北ノ俣避難小屋 - 北ノ俣岳- 赤木岳 - 黒部五郎岳(1962年(昭和37年)に神岡新道が開設されたルート。)[7]
  • 有峰口 :折立 - 太郎平小屋太郎山 - 北ノ俣岳- 赤木岳 - 黒部五郎岳
  • 西銀座ダイヤモンドコース :主稜線縦走路、三俣蓮華方面からの登山路は、南稜を登るルートと、圏谷底を詰めて、山頂の直下から壁面を登るルートの二通りがある。後者は、雪渓お花畑[2]を見ながら登ることができ、最後の登りも危険がなく、変化に富んだルートとなっている。
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笠ヶ岳から望む黒部五郎小舎と雲ノ平、遠景は剱岳(左奥)と立山(右)

山小屋

黒部五郎小舎

1923年(大正12年)に、三俣蓮華岳との鞍部の黒部乗越に伊藤孝一により山小屋が建てられた[8]。その後営林署により管理され、1961年(昭和36年)に三俣山荘の経営者の伊藤正一が引き継ぎ、1962年(昭和37年)に現在の場所に黒部五郎小舎が建てられた[8]1974年(昭和49年)に冬期小屋が併設された[8]2005年(平成17年)に改築により、リニューアルされた(収容人数60人・テント30張)[9]。 小屋の周辺は平らで池塘が点在して[8]、多くの高山植物の群生地となっている[6]

周辺の山小屋

黒部五郎岳周辺には以下の山小屋があり、北ノ俣避難小屋以外にはキャンプ指定地がある[10]

  • 太郎平小屋
  • 北ノ俣避難小屋
  • 黒部五郎小舎 - 黒部五郎岳の最寄りの山小屋(山頂の東2.3 kmに位置する。標高約2,350 m。)
  • 薬師沢小屋
  • 雲ノ平山荘
  • 三俣山荘
  • 双六小屋

周辺の植物

周辺の登山道では、アオノツガザクライワイチョウクルマユリコバイケイソウシナノキンバイチングルマハクサンフウロなどの多くの高山植物が見られる[2][11][12]。黒部五郎小舎周辺ではウラジロナナカマドダケカンバ、山頂周辺ではハイマツなどの樹木が自生している。

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クルマユリ コバイケイソウ シナノキンバイ チングルマ ハクサンフウロ

地理

周辺の山

立山連峰の主稜線の薬師岳と黒部五郎岳の間にあるなだらかな山容の山で、西に寺地山へ続く尾根が延びる。飛騨高山付近から見える山体は笠の形で、笠ヶ岳と並んで笠形が2つ望める。このため、黒部五郎岳しか見えない場合、よく笠ヶ岳と間違われる。国道41号を北上し高山市一之宮町付近で、行く手の山の間から最初に顔を出す飛騨山脈の山はこの黒部五郎岳である。

ファイル:KurobeGawaGenryubuTagged.jpg
黒部川源流部と黒部五郎岳(左下)
山容 山名 標高
(m)[13]
三角点等級
基準点名[14]
黒部五郎岳からの
方角と距離(km)
備考
80px 薬師岳 2,926.01  ニ等
「薬師ケ岳」
テンプレート:Direction2 8.5 日本百名山
80px 鷲羽岳 2,924.19  三等
「中俣」
テンプレート:Direction2 6.0 日本百名山
80px 北ノ俣岳 2,662 (三等「北俣岳」)
(2,661.21 m)
テンプレート:Direction2 4.0
80px 赤木岳 2,622 テンプレート:Direction2 3.0 赤木沢
80px 黒部五郎岳 2,839.58  三等
「黒部」
テンプレート:Direction2 0 中ノ俣岳
日本百名山
80px 三俣蓮華岳 2,841.23  三等
「三ツ又」
テンプレート:Direction2 4.3 三県境(富山・岐阜・長野)
日本三百名山
80px 笠ヶ岳 2,897.48  二等
「笠ケ岳」 
テンプレート:Direction2 8.6 日本百名山
80px 槍ヶ岳 3,180 (二等・亡失)
「鎗ケ岳」
テンプレート:Direction2 11.2 日本百名山

源流の河川

以下の源流となる河川日本海へ流れる[10]

山容と風景

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笠ヶ岳より 鷲羽岳より 槍ヶ岳より 槍ヶ岳より(夕景)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

テンプレート:日本百名山
  1. 1.0 1.1 『日本百名山』 深田久弥(著)、朝日新聞社、1982年、ISBN 4-02-260871-4、pp198-198
  2. 2.0 2.1 2.2 『花の百名山』 田中澄江(著)、(文春文庫、1995年、ISBN 4-16-352790-7、pp221-224、代表する高山植物としてチングルマなどを紹介した。
  3. 1934年(昭和9年)12月4日に指定。富山県側がその特別保護地区、岐阜県側が特別地域になっている。中部山岳国立公園区域の概要 環境省、2010年12月28日閲覧。
  4. 4.0 4.1 『コンサイス日本山名辞典』 三省堂、1992年、ISBN 4-385-15403-1、p182
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 テンプレート:Cite book
  6. 6.0 6.1 『上高地・槍・穂高 (ヤマケイアルペンガイド)』 山と溪谷社、2000年、ISBN 4-635-01319-7
  7. 『日本の山1000』 山と溪谷社、1992年、ISBN 4-635-09025-6、p399
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 テンプレート:Cite book
  9. 黒部五郎小舎 北アルプス 双六小屋、2010年12月28日閲覧。
  10. 10.0 10.1 『剱・立山 (山と高原地図 36) 』 昭文社、2010年、ISBN 978-4-398-75716-6
  11. 『花の百名山地図帳』 山と溪谷社、2007年、ISBN 978-4-635-62246-3、p158
  12. 『花の山旅⑥ 槍ヶ岳・雲ノ平』 山と溪谷社、2000年、ISBN 4-635-01406-1、pp86-89
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