鬼ノ城

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鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん 標高397メートル)に遺る日本の城神籠石山城)。城跡は国の史跡に指定されている。

概要

すり鉢形の鬼城山の山頂周囲を石垣土塁による城壁が周囲2.8キロメートルに渡って取り巻く。城壁によって囲まれた面積は約30ヘクタールを測る。城壁の要所に、門、城外への排水機能を持つ水門を配する。門は東西南北4ヶ所、水門は6か所に確認されている。城の内部には食料貯蔵庫や管理棟などと推定される礎石建物が7棟、烽火場の可能性が指摘される焚き火跡、水汲み場、鍛冶場、工事のための土取り跡などが確認されている。

歴史・沿革

飛鳥時代

663年天智天皇2年)の白村江の戦い倭国が敗れた後、新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。『日本書紀』などには西日本の要所に大野城など12の古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測される。しかし、どの歴史書の類にも一切記されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。史書に記載が無く、12の古代山城に該当しないものは神籠石式山城と呼ばれる。

現代

山中に石垣などの遺構が存在することは古くから知られていたが、1971年昭和46年)に城壁の基礎となる列石が見つかり、古代山城と認識された。1986年(昭和61年)3月25日に国の史跡に指定された。指定名称は「鬼城山(きのじょうざん)」。現在は総社市教育委員会2001年平成13年)より史跡整備を行っている。特に西門遺構は建造物・土塁・石垣の復元を進めている。2006年(平成18年)からは、岡山県教育委員会による7か年計画の城内確認調査も開始された。

なお、城内には湿地を中心として希少植物も多く分布するため、1999年(平成11年)には発掘調査と自然保護との調整が問題となったことがある。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(69番)に選定された。

伝承

当地には温羅と呼ばれる鬼が住んでいたという伝承が残っている。それによると温羅は当地を拠点とし、討伐に赴いた吉備津彦命と戦って敗北したのち、吉備津神社の御釜殿の下に埋められたという(詳細は「温羅」を参照)。

現地情報

所在地
  • 岡山県総社市奥坂
交通アクセス
  • JR吉備線服部駅から約5km。JR伯備線総社駅からタクシーで約20分。駐車場あり。
  • 駐車場横に鬼ノ城来訪者の休憩等を目的とした鬼城山ビジターセンターがある(月曜休館。入山自体は常時可)。
注意事項
  • 鬼城山ビジターセンターや近隣の集落には自販機等が設置されておらず、現地では飲料の確保が困難である(最寄の自販機は砂川公園)。夏季には特に注意されたい。

参考文献

  • 『古代山城 鬼ノ城』 現地配布パンフレット
  • 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 121-122ページ

関連項目

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外部リンク

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