高橋大輔 (フィギュアスケート選手)

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テンプレート:Ambox-mini テンプレート:Infobox フィギュアスケート選手 高橋 大輔(たかはし だいすけ、ラテン文字:Daisuke Takahashi, 1986年3月16日 - )は、日本フィギュアスケート選手(男子シングル)。

2010年バンクーバーオリンピック銅メダリスト、2006年トリノオリンピック(8位)、2014年ソチオリンピック(6位)日本代表。2010年世界選手権優勝、2012年GPファイナル優勝、2008年2011年四大陸選手権優勝など。

人物

岡山県倉敷市出身。4人兄弟の末っ子。関西大学文学部総合人文学科身体運動文化専修卒業[1]。2008年4月より関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程に進学。JOCシンボルアスリート適用選手。日本人男子初のオリンピックメダリストであり、日本人男子として初めて世界選手権世界ジュニア選手権グランプリファイナルを制した選手である。オリコンによる「好きなスポーツ選手ランキング」の男性部門において、2010年より4年連続でトップ10入りを果たしている[2][3][4][5]

表現力とステップは世界でも屈指とされる[6][7][8][9][8][10]。スケーティングはジュニア時代から定評がある[11]荒川静香は高橋について、「感性の高さで群を抜いており、どんなプログラムでも自分の世界で表現できる」と評している[12]

得意なジャンプは3回転アクセル[13][6]、3回転フリップ[14][6]3回転ルッツ[6][15][6]。2007年秋には4回転フリップの練習を始め[16]、2010年世界選手権のフリースケーティング以降は競技会でたびたび挑戦しているが、クリーンな成功はまだない。

サッカー日本代表MF青山敏弘は、幼稚園、小・中学校の同級生で幼馴染である[17]

リンク上でフラワーガールの少女に積極的にハグをし(2013年全日本選手権における五輪代表決定セレモニーなど)、こども好きなことでも知られる。

ファイル:Daisuke takahashi hug.jpg
2013年全日本選手権においてフラワーガールの少女にハグをする高橋

経歴

トリノ五輪出場

幼少時は性格的に弱く、心配した両親に少林寺拳法、野球、アイスホッケーなどさまざまなスポーツをやらされたが、痛いことや怖いことが嫌いでどれも長続きしなかった[18][19]。体操は気に入ったが、岡山市内の体操教室に通うことが難しく断念[20]。8歳のとき、家のすぐ近くにあるウェルサンピア倉敷厚生年金健康福祉センター)のスケートリンクでフィギュアスケートを始めた。

全国有望新人発掘合宿(野辺山合宿)で素質を見出された高橋は、1999年倉敷市立連島中学校2年)から、長久保裕佐野稔両コーチがいる宮城県仙台市のスケートリンク(現・アイスリンク仙台)に出向いて指導を受けていたが、佐野が仙台を離れることになったため、プログラム作成を依頼された長光歌子と仙台で初対面した[21]。同年に初の国際大会となるトリグラフトロフィーで優勝。2001年全国中学校大会で2連覇を達成し、全日本ジュニア選手権を制す。2002年には世界ジュニア選手権で日本男子として初めての優勝を飾った。

2002-2003シーズンから本格的にシニアに参戦するが、国際大会での成績は伸び悩み気味だった。1年間に渡り長光とともにアメリカ、カナダ、ロシアを訪ねて有名コーチの指導を仰いだが、成果は得られなかった。

2004-2005シーズンには、大学入学に伴う環境の変化やプレッシャーや、シーズン前半のアジア選手権で右足首の神経の炎症を起こしたことによりモチベーションが低下し、スケートをやめたいとさえ思っていた[22]。しかし、全日本選手権で6位に沈んだことで気持ちがふっきれ[23]、年明けのユニバーシアードで優勝、四大陸選手権では3位となった。世界選手権では、ともに出場した本田武史が予選演技中の怪我で途中棄権したため、翌年のトリノオリンピックの日本男子出場枠が髙橋1人の順位にかかる大きなプレッシャーの中で演技することになった。ショートプログラム(以下、SPと略)までは7位と健闘したものの、フリースケーティング(以下、フリーと略)では冒頭の4回転ジャンプ転倒を皮切りにことごとく失敗を連発してしまい、総合15位に終わる。この結果、トリノオリンピックの日本男子出場枠は最小の1枠となる(総合10位以内なら2枠だった)。シーズン終了後、コーチ・振付師をニコライ・モロゾフに変えるとともに、トレーナーのカルロス・アビラ・デ・ボルバにつき、フィジカル面とステップの強化に力を注ぎ始めた[24]

2005-2006シーズン、スケートアメリカISUグランプリシリーズ初優勝を果たし、本田に続く日本人男子2人目のGPシリーズ優勝者となった。続くNHK杯では3位に終わったが、SPではシングルの選手として世界で初めてステップでレベル4(最高難度)を獲得した[25]。初めて進出したGPファイナルでは銅メダルを獲得して日本人男子として初の表彰台に立ち、全日本選手権はSP2位から逆転して初優勝、僅か1枠のトリノオリンピック・男子シングル日本代表の座を掴み取った。トリノオリンピックではSPで5位につけたが、フリーは冒頭の4回転ジャンプでの転倒やザヤックルール違反などで得点が伸びず9位、総合8位入賞に留まった。

バンクーバー五輪で銅メダル獲得

2006-2007シーズン、NHK杯で優勝、フリーでは1年8ヶ月ぶりに4回転ジャンプも成功させた。2季連続で進出したGPファイナルは、競技直前からの体調不良による腹痛や吐き気に耐えながら最後まで滑り切り、日本人男子として過去最高の2位となった。全日本選手権では2位以下に大差をつけて2連覇を達成。2007年冬季ユニバーシアードでも2連覇を果たした。日本・東京で開催の世界選手権では、ショートプログラム3位、フリースケーティング1位で、日本男子史上最高位となる銀メダルを獲得した[26]。また、織田信成が7位に入ったため、翌2008年世界選手権の日本男子代表枠は最大の3枠となった。

2007-2008シーズン、GPシリーズ初戦のスケートアメリカで優勝。2戦目のNHK杯では日本人男子として五十嵐文男以来26年ぶりのNHK杯連覇を達成し、3季連続のGPファイナル進出を出場ポイント1位通過で決めた。ファイナルではステファン・ランビエールに僅か0.26点及ばず2位となるも、12月の全日本選手権ではフリーで4回転ジャンプを2度成功させ、再び2位以下に大差をつけて3連覇を達成。四大陸選手権でもフリーで2度の4回転ジャンプを成功させ、フリーと総合得点でISU歴代最高記録を更新して初優勝。優勝候補の筆頭にあげられて臨んだ世界選手権であったが[27]、フリーではジャンプミスやザヤックルール違反により総合4位に終わった。5月、コーチのニコライ・モロゾフが織田信成のコーチに就任したため、モロゾフとの契約を解除した[註 1]

2008-2009シーズン、2008年10月末の練習中に3回転アクセルで転倒し、右膝を負傷したため、出場を予定していたグランプリシリーズ中国杯を欠場[30][31]。その後の精密検査により右足膝の前十字靭帯半月板を損傷していることが分かり、シーズンの全大会の出場を断念して11月に手術をした[32][33][34][31]。リハビリを経て2009年4月より氷上での練習を再開[35][36]、6月からはジャンプも跳び始めた[36]。リハビリで体の可動域が広がったため、跳び方を調整する必要があった[36]。また、ジャンプ専門のコーチとして本田武史を迎え、ジャンプの指導を受け始めた[37]

2009-2010シーズン、10月のフィンランディア杯優勝で自らの国際競技会復帰を飾った。スケートカナダでは表彰台に上り、2季ぶりにGPファイナルにも出場。全日本選手権で4度目の優勝を果たし、バンクーバーオリンピックの代表に内定した。

2010年バンクーバーオリンピックではSPで90点台をマーク、SP1位のエフゲニー・プルシェンコと0.6点の僅差で3位につけた。フリーでは冒頭の4回転トウループで転倒したものの、得意のステップと演技構成点は出場選手中最も高い評価を受け[38]、総合得点でステファン・ランビエールを0.51点の僅差で上回り、日本及びアジア人の男子シングルの選手としては史上初のオリンピックのメダルとなる銅メダルを獲得した[39]

世界選手権初優勝

バンクーバー五輪から約1か月後の世界選手権では、SP、フリーともに1位の完全優勝を果たし、男子シングルでは日本・アジアで史上初の世界チャンピオンとなった。フリーの演技冒頭で挑んだ4回転フリップは回転不足、両足着氷の失敗に終わったが、全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得した[40]

2010-2011シーズン、GPシリーズ初戦NHK杯ではFSで3シーズンぶりに4回転トウループを成功させ優勝。続くスケートアメリカでも優勝、日本人男子として最多となるGPシリーズ6勝目を挙げた。GPファイナルでは練習中に小塚崇彦と衝突して首がむち打ちのような状態になり、本番では4位に終わった[41]。首の状態がさらに悪化した状態[42]で臨んだ全日本選手権では3位に入った。四大陸選手権では3年ぶり2度目の優勝を達成。当初東京で開催予定ながら東日本大震災の影響で1か月延期、モスクワで代替開催の世界選手権では、FS冒頭の4回転トウループが1回転に抜ける着氷失敗時、スケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われる。ビスを留める為約2分中断後に演技を再開したが、3回転サルコウの転倒などが響き総合5位に終わった。

五輪でのメダル獲得や世界王者となったことでモチベーションが低下し、現役続行を迷いながらも迎えたシーズンであったが、5位に沈んだことで気持ちが吹っ切れ、現役続行を決意した[43]。シーズン終了後、5月に右膝ボルト除去手術を受けた。リハビリを経たのち、8月にフランスリヨンに渡り、アイスダンスコーチのミュリエル・ザズーイの下でスケーティングを基礎から見直した[44]。また、柔軟性を高めるために、バレエのレッスンも受け始めた[45]

2011-2012シーズン、NHK杯では大会最多となる4度目の優勝を果たした。全日本選手権ではSPで7シーズンぶりに4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ(ISU非公認)、2年ぶり5度目の優勝を果たした。GPファイナル四大陸選手権世界選手権はいずれも世界王者パトリック・チャンに次ぐ2位だったが、シーズン最後の国別対抗戦ではチャンを抑えて1位、SPでは歴代最高得点をマークした。6月、再びニコライ・モロゾフをコーチの一員として迎えた[46]

2012-2013シーズン、自身7度目の挑戦となったGPファイナルにおいて、日本男子初のチャンピオンとなった。しかし四大陸選手権は7位に終わり、翌2014年2月開催のソチオリンピック出場枠の掛かる世界選手権も6位と表彰台を逃したが、羽生結弦の4位との成績で、ソチ五輪男子シングル種目は2大会連続で最大の3枠を確保する。国別対抗戦では1位となった。

ソチオリンピック出場

2013-2014シーズン、スケートアメリカでは4位。NHK杯ではSPで自己ベストを更新。FSも1位で優勝した。GPファイナルへの進出を決めたが、11月26日に氷上トレーニング中に負傷。右脛骨骨挫傷と診断され、欠場を発表した(代替選手は織田信成で3位)[47]。怪我をおして臨んだ全日本選手権ではSP、FSともに4回転に挑戦し失敗。FSでは4回転転倒後に右指を切り、流血しながらプログラムを最後まで演じきったものの、最終順位は5位に終わった。演技直後のインタビューでは「自分の中では五輪はないんだろうなと思っている」と涙ながらに答えていた[48]。しかし過去の実績、シーズン成績などを考慮し、最後の3枠目でソチオリンピック代表に選出された。尚フィギュアスケートの日本選手で三大会連続オリンピック代表選出は、高橋が初めてである[49][50]

2014年2月5日、作曲者佐村河内守が、作曲を新垣隆に依頼していたことを公表[51]、オリンピック本番のショートプログラムで使用する予定だった曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も新垣隆による作曲であると判明した。同日、関西大学の公式サイトで、曲を変更しないことを表明、国際スケート連盟には楽曲作曲者を不明(Unknown)とする手続きをした[52]。この曲は義手でヴァイオリンを弾いているというある女性に贈られた曲であり、本当の作曲者は幼稚園の頃からこの女性の伴奏などをしていた。そういう事情から、真実を知った後もこの曲への愛着は失われておらず、高橋がこの曲を使用することを「とても楽しみ」とコメントしている[53]。高橋は9日にソチ入りした際にインタビューに応じ「正直ビックリしました。このタイミングでって。勘弁してよっていうのはありました」と笑いつつ、SPでの使用に変更がないことを明らかにした[54]

そのソチオリンピック本番は団体戦には出場せず、個人戦のみ出場。SPでは4位発進だったが、フリーではジャンプミスが響いて総合6位入賞に留まり、五輪ニ大会連続メダル獲得はならなかった。しかしフィギュアスケート日本代表選手で、冬季オリンピック三大会連続入賞(8位・3位・6位)は高橋が史上初である[55]。帰国後メディカルチェックを受けた際「右脛骨関節軟骨損傷及び慢性膝関節炎により、5~6週間の安静加療が必要」と診断。2014年3月4日、さいたま市で開催される世界選手権の欠場を表明(補欠の小塚崇彦が繰上げ出場し6位)。今後の去就については「まだはっきりと決めていない。ゆっくり時間を持った時に考えていきたい」と語っていたが[56]、同年4月21日に2014-2015シーズンの全試合出場を見送り、1年間競技生活の休養を発表した[57]

アイスショー

2014年7月5日・6日(富山)、12日・13日(新潟) アイススケートショウ Fantasy on Iceに出演。歌手サラ・オレインとコラボし薔薇一輪を持つ演出でオープニングを飾った。この模様は富山テレビで放送された。

主な戦績

大会/年 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08 09-10 10-11 11-12 12-13 13-14
冬季オリンピック 8 3 6
世界選手権 11 15 2 4 1 5 2 6 DNS
四大陸選手権 13 6 3 1 1 2 7
世界国別対抗戦 中止[58] 1 1
全日本選手権 5 4 3 6 1 1 1 1 3 1 2 5
GPファイナル 3 2 2 5 4 2 1 DNS
GPNHK杯 8 3 1 1 4 1 1 2 1
GPスケートアメリカ 1 1 1 4
GP中国杯 2
GPスケートカナダ 7 2 2 3
GPエリック杯 5 11
GPボフロスト杯 11
フィンランディア杯 1
ユニバーシアード 1 1
アジア大会 6
世界Jr.選手権 1
全日本Jr.選手権 3 4 1
JGPファイナル 4
JGPSBC杯 1
JGPソフィア杯 2
JGPウクライナ記念 8
JGPハルビン 9

詳細

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プログラム使用曲

シーズン SP FS EX
2013-2014[59] バイオリンのためのソナチネ
作曲:不明[52][60]
振付:宮本賢二
ビートルズ・メドレー
イエスタデイ
カム・トゥゲザー
フレンズ・アンド・ラバーズ
イン・マイ・ライフ
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
作曲:レノン=マッカートニージョージ・マーティン

振付:ローリー・ニコル
タイム・トゥ・セイ・グッバイ
ボーカル:アンドレア・ボチェッリサラ・ブライトマン
ザ・ クライシス
映画『海の上のピアニスト』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:宮本賢二
ブエノスアイレスの春
作曲:アストル・ピアソラ
振付:宮本賢二
2012-2013[61] 月光
作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
振付:ニコライ・モロゾフ
Rock'n'Roll Medley (Hard Times)
Noble (Thin Man) Watts
The Stroll
by Lawson Haggart Rockin' Band
Rudy's Rock
by Bill Haley & The Comets
振付:阿部奈々美
歌劇『道化師』より
作曲:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ
振付:シェイ=リーン・ボーン
ブエノスアイレスの春
作曲:アストル・ピアソラ
振付:宮本賢二

スウィート
作曲:スヌープ・ドッグ
振付:宮本賢二
2011-2012[62] イン・ザ・ガーデン・オブ・ソウルズ
作曲:Vas
振付:デヴィッド・ウィルソン
ブルース・フォー・クルック
作曲:エディ・ルイス
振付:パスカーレ・カメレンゴ
ザ・ クライシス
映画『海の上のピアニスト』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:宮本賢二<small/>
2010-2011[63] ある恋の物語
エル・マンボ
マンボNo.5
作曲:ペレス・プラード
Batucada
作曲:DJ Dero
振付:シェイ=リーン・ボーン
ブエノスアイレスの冬
作曲:アストル・ピアソラ
振付:パスカーレ・カメレンゴ
ピアノによるアメリのワルツ
映画『アメリ』より
振付:ステファン・ランビエール<small/>
2009-2010[64] Eye
作曲:Coba
振付:宮本賢二
映画『』より
作曲:ニーノ・ロータ
振付:パスカーレ・カメレンゴ
Luv Letter
by DJ OKAWARI
振付:宮本賢二
2008-2009[65][66][67] Eye
作曲:Coba
振付:宮本賢二
映画『道』より
作曲:ニーノ・ロータ
振付:パスカーレ・カメレンゴ

Ocean Waves
作曲:ジョージ・ウィンストン
振付:パスカーレ・カメレンゴ

-
2007-2008[68][67] 白鳥の湖ヒップホップバージョン
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ニコライ・モロゾフ
ロミオとジュリエット
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ニコライ・モロゾフ
バチェラレット
ボーカル:ビョーク
振付:宮本賢二
2006-2007[69][67] ヴァイオリン協奏曲
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ニコライ・モロゾフ
ミュージカル『オペラ座の怪人』より
作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー
振付:ニコライ・モロゾフ
ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より
ボーカル:ユアン・マクレガー
振付:ニコライ・モロゾフ
2005-2006[70][67] ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より
by スティング
振付:ニコライ・モロゾフ
ピアノ協奏曲第2番
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
振付:ニコライ・モロゾフ
ノクターン
演奏:シークレット・ガーデン
振付:髙橋大輔
2004-2005[71][67] Nyah 映画『ミッション:インポッシブル2』より
作曲:ハンス・ジマー
振付:タチアナ・タラソワ

剣の舞
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
振付:タチアナ・タラソワ

アランフエス協奏曲
作曲:ホアキン・ロドリーゴ
振付:タチアナ・タラソワ
ノクターン
by シークレット・ガーデン
2003-2004[71][67] Nyah 映画『ミッション:インポッシブル2』より
作曲:ハンス・ジマー
振付:タチアナ・タラソワ
パガニーニの主題による狂詩曲
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
パガニーニの主題による変奏曲
振付:タチアナ・タラソワ
砂漠のバラ
by スティング
2002-2003[67] ヒーローズ・シンフォニー
作曲:フィリップ・グラス
振付:リー=アン・ミラー
映画『スター・ウォーズ エピソード2』より
作曲:ジョン・ウィリアムズ
振付:リー=アン・ミラー
-
2001-2002[67] ミュージカル『ウエストサイド物語』より
作曲:レナード・バーンスタイン
振付:ロバート・ダウ
ヴァイオリン協奏曲第1番
作曲:マックス・ブルッフ
振付:ロバート・ダウ
-

表彰歴

2001年
2003年
2005年
  • 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
2006年
2007年
  • 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
  • 日本オリンピック委員会・JOCスポーツ賞 特別功労賞
  • 上月スポーツ賞
2010年

CM

出版物

書籍

  • ボクらの時代 自分を「美しく」見せる技術(藤原竜也中村勘太郎との共著。扶桑社、2008年8月1日) ISBN 9784594057275
  • be SOUL(祥伝社、2010年1月27日) ISBN 9784396430306
  • 高橋大輔 OFFICIAL BOOK 200days バンクーバーまでの闘い(祥伝社、2010年4月27日) ISBN 9784396430351
  • STEP!STEP!STEP! 高橋大輔―フィギュアスケートを行く(日本経済新聞出版社、2011年2月25日) ISBN 9784532195786
  • SOUL Up(祥伝社、2011年6月30日) ISBN 9784396430436
  • SOUL Up Exhibition(祥伝社、2011年6月30日) ISBN 9784396430443
  • それでも前を向くために be SOUL 2 (祥伝社、2013年10月31日) ISBN 978-4396430603

CD

  • 高橋大輔 ~フェイヴァリット・ミュージック~(ポニーキャニオン、2010年2月3日)
  • Daisuke Takahashi 2010-2011 season(ポニーキャニオン、2011年1月7日)

DVD

  • 高橋大輔(ポニーキャニオン、2010年2月3日)
  • 高橋大輔 Plus(ポニーキャニオン、2011年1月7日)
  • 高橋大輔×サムライ魂 ~天才たちの化学反応~(アニプレックス、2012年9月26日)
  • 高橋大輔 D1SK(ポニーキャニオン、2014年1月29日)

脚注

テンプレート:Reflist

  1. モロゾフの織田へのコーチ就任は高橋には寝耳に水だった。二人は相談した結果、「ライバルの織田と同じコーチではできない」として契約を解消するに至った。なお、モロゾフはこの契約の1年以上前から織田にオファーを出し続けていた。その後、モロゾフは高橋のエージェントに不満があったことが原因だと主張し、「高橋は自分よりもエージェントを選び、織田を受け入れたときにはすでに関係は切れていた」と、世界中のメディアに繰り返し主張、「自分なしではダイスケはどこにも行けない」とも発言していた。だが、2011-2012シーズン終了後にモロゾフが高橋にコーチ就任をオファーし、再契約するに至った。当時を振り返り高橋は「当時の自分は、あの状況を受け入れる器量がなかった」とコメントし、モロゾフは「4年前のことは申し訳なく思っていた。彼はフィギュア史に残る選手。自分の全てを注いで、彼の五輪メダル獲得に協力したい」とコメントしている[28][29]

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:フィギュアスケート 世界チャンピオン - 男子シングル テンプレート:フィギュアスケート 四大陸チャンピオン - 男子シングル テンプレート:フィギュアスケート GPファイナルチャンピオン - 男子シングル テンプレート:フィギュアスケート 全日本チャンピオン - 男子シングル テンプレート:フィギュアスケート 世界ジュニアチャンピオン - 男子シングル テンプレート:フィギュアスケート ISUフィギュアスケート世界ランキング - 男子シングル テンプレート:Navboxes

  1. 高橋大輔「フィギュアスケートとスポーツビジネス」(2007年度卒業論文抄録集)(『身体運動文化フォーラム』第3号、173頁(2008年3月、関西大学身体運動文化学会)所収)。髙橋大輔バンクーバー五輪 日本代表選手団プロフィール 2010年2月20日閲覧。
  2. 2010年3位「第4回好きなスポーツ選手」、イチロー&真央が2連覇 ~サッカーW杯メンバーも急浮上
  3. 2011年6位『第5回好きなスポーツ選手』イチロー&真央が3連覇 ~サッカー人気が如実に
  4. 2012年9位2012年 好きなスポーツ選手ランキング
  5. 2013年好きなスポーツ選手ランキング2013年8位
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 日本男子フィギュアスケートFanBook CuttingEdge2014より
  7. 岡崎真「岡崎真のゼロからおぼえる新採点講座 第3回」『フィギュアスケートDays vol.3』DAI-X出版、2007年5月、pp.84-85
  8. 8.0 8.1 田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p. 108
  9. 『氷上のアーティストたち』p.140
  10. モロゾフは、髙橋のことを「頭ではなく、ハートで滑っている」「彼こそが、氷上のアーティスト」と評した。青嶋ひろの「振付師に聞く 第3回 ニコライ・モロゾフ」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、pp.100-102
  11. 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.34
  12. 『誰も語らなかった 知って感じるフィギュアスケート観戦術』荒川静香、より
  13. 『Cutting Edge 2008』p.7
  14. 『日本経済新聞』2011年12月8日
  15. バンクーバー五輪のフリー以降、フリップやルッツがエラーエッジ判定を受けていたが、2011/2012シーズンに矯正に成功している
  16. 青嶋ひろの「プレッシャーだって、今は楽しめる」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、pp.17-21(特集名「東京世界選手権応援ガイド」)
  17. テンプレート:Cite web
  18. 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.140
  19. 『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.7
  20. 『Cutting Edge』p.8
  21. 城田憲子の「フィギュアの世界」~日本のメダリストのコーチたち~長光歌子編(2)(スポーツ報知 2011年10月6日)
  22. 『Cutting Edge』p.4, 11、『氷上のアーティストたち』pp.145-148
  23. 『Cutting Edge』p.6
  24. 『COLORS』p.85
  25. 『ワールドフィギュアスケート vol.21』より
  26. 従来の最高位は1977年の佐野稔、2002年・2003年の本田武史の銅メダル
  27. 「4回転論争」に思う、高橋大輔の存在 世界選手権『Sportiva』2008年03月24日
  28. モロゾフが再び高橋大輔の元に――。 衝撃のチーム再結成の真相とは?『Number web』2012年6月18日
  29. 『朝日新聞』2012年6月15日
  30. NIKKEI NETフィギュアの高橋大輔、靱帯断裂の疑い、共同通信配信記事
  31. 31.0 31.1 『パーフェクトプログラム』p. 109
  32. 「皆様へ」『 - 高橋大輔からのメッセージ』2008年11月18日更新
  33. 青嶋ひろの「試合を見て、まず感じたのはその場に居られない悔しさ」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、pp.8-10
  34. 高橋大今季絶望 右膝手術へ『朝日新聞』2008年11月18日付朝刊、14版、17面
  35. 高橋大輔がアイスショー出演へ負傷後初の演技披露『47news』2009年7月23日更新、28日閲覧
  36. 36.0 36.1 36.2 『パーフェクトプログラム』p. 110
  37. 『朝日新聞 夕刊「be」』2010年6月28日
  38. バンクーバー五輪・フリーのプロトコル
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  54. 高橋大輔ソチ入り、佐村河内問題に苦笑デイリースポーツ 2014年2月9日
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  56. このまま引退か…高橋大輔 世界選手権欠場スポニチ 2014年3月4日
  57. 高橋大輔、1年休養を明言「今後について考えたい」
  58. 東日本大震災の影響に伴い中止。
  59. やりがいのあるビートルズ・メドレー 髙橋大輔
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  67. 67.0 67.1 67.2 67.3 67.4 67.5 67.6 67.7 「プログラムヒストリー」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.13
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