高森町 (長野県)

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高森町(たかもりまち)は、長野県の南部、下伊那郡の北部にある

中央アルプスが臨め、天竜川河岸段丘にある。農業が中心で、特に山付けの標高の高い場所ではりんご、梨などの果樹が、天竜川に近い場所では市田柿が特産である。

概要

町のキャッチコピーは、「柿とカヌーと祭りの町」。
とは、特産品の「市田柿」という干し柿の事を指し、カヌーとは、町の端、豊丘村喬木村との間を流れる天竜川にカヌーが出来る港を作って毎年大会などを開いていることを指す。祭りは、町の西にある瑠璃寺より、地方に広まったと言われる獅子舞が披露される祭りや、町の中の地区などが主宰する納涼祭などの祭りが盛んに開かれていることを言っている。

また、別のキャッチコピーとして、しばしば「富本銭の町」などと言われていたのは、町内でかつて、現在日本最古の貨幣とされている富本銭が発掘されていたことから取られている。

近年の動き

高森町ケーブルテレビ

2003年(平成15年)4月、町内で、音声のみの町内の簡単なニュースと、町内のみの話題を取り扱った番組、そして、町内のみで通じる電話という有線放送を行っていた「高森町有線放送農業協同組合」がケーブルテレビに移行した。(高森町ケーブルテレビ)これは、高森町全体をケーブルテレビテレビ放送、光同軸ハイブリッド伝送方式を使った高速IP回線と、近隣の有線放送、ケーブルテレビの電話と相互接続が可能なようにNTT加入電話と同じ番号を使うなど、地域情報化を意識した作りになっている。ただし、開設されてから後現在に至るまで、サービスの拡充は行われておらず、さらにケーブルテレビは地元で普通に受信できる地上波およびNHKBSの送信にとどまっており、今後の拡充が待たれている。

高森町町民参加条例

長野県内で初となる、「高森町町民参加条例」を2003年(平成15年)4月1日に施行した。これは町民が、自治組織における自らの役割と責務を自覚し、自主的かつ主体的に自治活動に取り組みながら、積極的にまちづくりに参加するようにと定められており、この条例をめぐり、当時、町議会において激しい議論が交わされた。

蘭ミュージアム高森

町営のミュージアム高森が2002年(平成14年)開園。世界中の蘭をあつめた博物館である。当初開園するまで必要なのかという激しい議論が行われた。

経営難のため2009年(平成21年)11月1日から一般入場を中止し、2010年(平成22年)末までに完全廃園予定。

合併論議

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唐沢洞埋め立て論議

2005年(平成17年)春、町より町役場前のほら(小さな沢でけずられた谷)である「唐沢洞(からさわぼら)」にたいして埋め立てを行い、そこに公共施設の駐車場、および洞を横断し町役場へのアクセスをよくする、さらには中学校への通学路の安全を確保する、といった計画が発表される。

それに対して、1961年(昭和36年)に長野県南部を襲った大災害「三六災害」を経験した者が先頭に立ち、その洞より低い場所に住む者達を中心に、計画に対し異議を唱える陳情が出された。 反対派は、洞は水があつまって出来た場所であるため豪雨が降ると大量の水が集まることによって、崩れる危険性が非常に高いということ、さらには、かつての災害のとき、非常に崩れた箇所であり、近年の豪雨災害では埋め立てた箇所が表面がすべるように崩れている点を指摘している。さらには町が主張することはほぼ代案によってそれよりも安全に安価に地域の風景を破壊することなく実現可能としている。

しかしこの陳情は町議会では否決され受け入れることすらなかった。しかし、反対派は働きかけを続けており、議論が繰り広げられている。

大型小売店出店

2005年(平成17年)春、町の山吹地域、現在の大型スーパーアピタカインズホームがある地域に大規模な商社の資本によるショッピングセンター計画が発表される。同年秋に本格着工予定であるこれは、地元商工会などが誘致したものである。これは、いくつかの店舗が集まるものとして構想されており、地域で最大規模になるといわれている。

以前近隣の市において、ベイシアグループによる大規模なショッピングセンター計画が、住民の反対によって白紙になるといった出来事がおきているが、今回の場合は地域の協力の元で計画が進んでいるようである。

地域では、有力な商店の商店街からの移転などで商店街が衰退が進んでいる。これに対して、近年は商工会・町が外からのショッピングセンターを誘致しており、この計画はその一環である。

町議会議員選挙

2005年(平成17年)7月、高森町町議会議員選挙が行われる。近年は二期に渡って無投票で終わっていたが、今回は定員以上の候補者があつまり選挙となる。しかし地元の新聞などでは「地域選挙の域を出なかった」と評されるなどとても活発に行われたものではなかった。どの候補も「福祉」「町の自立」の二つを掲げたものの主張は具体性を欠き、近年町で起こっている出来事に対しての公約や主張というものがほとんどなかったのである。しかし一部で「このまま無投票が続けば、高森はだめになる」という動きがあり、それによって出馬したものがいたという事に関しては今までにない動きであった。

町長選挙

2006年(平成18年)1月16日、5期20年と長い間町長を務めてきた吉川貢町長の任期切れにより町長選が行われる。吉川町長は今期限りで引退を宣言しており、新人三人の争いとなる。結果、熊谷元尋が当選。当選時43歳という若い町長の誕生となった。また、議員の町長選出馬に伴う補欠選挙も行われた。 投票率は、前回の町長選に比べて5パーセントあまり落ちた。

2010年(平成22年)1月12日、町長選が告示され、現職熊谷が無投票2選。

政治

町長

熊谷元尋(2010年(平成22年)1月23日就任)

 現職1名、無投票

議会

議会定数15

 立候補者16名、投票率73.32%

人口

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地理

長野県の南信地方のちょうど中心の当たり、下伊那郡では、松川町に続いて北に近い場所にある。 南アルプス中央アルプスの間、天竜川の河岸段丘にある。町の東西でかなりの標高差がある。

町内の地域

  • 下市田、上市田、吉田、牛牧、出砂原(ださら)、山吹、出原(いづはら)、大島山(おおじまさん)

教育

交通

鉄道路線

下市田駅市田駅下平駅山吹駅

道路

高速道路

(飯田~松本・長野線、飯田~新宿線、飯田~横浜線、箕輪~大阪線、箕輪~名古屋線)

一般国道

都道府県道

主な町道

  • 町道一号線 - 町の南北を貫く。現在は一部広域農道に併合。
  • 上段開発道路(ハーモニック道路) 町の一番西、山付けを、町を南北に貫く道。始点に高森カントリークラブ、中間点に蘭ミュージアム高森、終点に湯ヶ洞 御大の館の温泉施設がある。

その他

高森町が運営する、高齢者を対象にした福祉バスあり。

歴史

  • 1957年(昭和32年)7月1日 - 市田村山吹村が合併して発足。その際、町の北西にある前高森山・本高森山から名前を取る。
  • 1961年(昭和36年)6月 - 大水害が起きる。年号から36災害(さぶろくさいがい)と呼ばれる。

経済

主要企業

友好都市

出身の有名人

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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ピンピンコロリ地蔵(瑠璃寺)
  • 山の寺(隣政寺)
哲学の道と呼ばれる道をあがった末にある。山の奥である。
  • 瑠璃寺
勇壮な獅子舞が有名。獅子舞はこの寺からこの地方に広がったとされる。春には桜も美しい。
瑠璃寺をさらに奥に入った場所にある。干水ノ沢の滝。
  • 高森町立高森南小学校の校庭の桜
樹齢60年を超える大木のソメイヨシノが校庭を囲むように植えられている。日本一の桜の学校に選ばれたこともある。
  • 市田灯篭流し花火大会
毎年8月18日。天竜川の水面を流れる灯篭と、美しい花火が見られる。地域では飯田市の「飯田時又灯篭流し」と並ぶ大規模な灯篭流し・花火大会。
  • 湯ヶ洞 御大の館
ラドン湯温泉施設。湯ヶ洞は宿泊施設で、故島岡吉郎にちなんでつけられた御大の館は日帰り温泉施設である。また、明治大学野球部は毎年夏に高森町を含む飯田下伊那地域で合宿を行っている。

関連項目

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外部リンク

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