高井麻巳子

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テンプレート:女性モデル 高井 麻巳子(たかい まみこ、1966年12月28日 - )は、日本の元アイドルである。女子美術短期大学中退。株式会社秋元康事務所監査役。現姓、秋元(あきもと)。

1985年昭和60年)から『おニャン子クラブ』の一員として芸能活動を行っていた。

来歴・人物

ファンクラブ結成から僅か3週間余りだったこともあり、関係者やファンは困惑した。また、秋元には風当たりが強かった。結婚が明らかになってから高井自身の口からその件について語られることはなかった。
  • 2001年平成13年)3月、長女出産。
  • 結婚後は表立った活動はなかったが、小説の挿絵などを手がけ、2002年(平成14年)、絵本『ぞうネコ』(秋元康・文、秋元麻巳子・絵)を出版。結婚後の活動はすべて「秋元麻巳子」名義。
  • 2004年(平成16年)頃、秋元康がメレンゲの気持ちに出演した時に、高井が自宅の様子をビデオカメラで撮影した模様が映った(本人も登場)。

エピソード

  • デビュー前からチェッカーズの大ファンで、特に藤井尚之が憧れの男性であると公言していた。レコード会社の担当ディレクターがチェッカーズの担当でもあったため、鶴久政治から楽曲の提供を受ける機会を得た(鶴久にとって自身のバンド以外に楽曲を提供したのは初めてであった。後に、岩井由紀子のシングル「25セントの満月」も作曲し提供している)。
  • おニャン子在籍中に映画「恋する女たち」に出演。主演の斉藤由貴と親友になり、一緒にニューヨーク旅行などもしている。その際の珍道中を、斉藤由貴の対談番組で夫の秋元康が楽しそうに暴露したことがある。高井本人も斉藤の著書『由貴的世界感情旅行』(角川書店)のあとがきに寄稿している。また斉藤の著書「私の好きなあの人のコト」(新潮社)に、高井の結婚にまつわるエピソードを含めたさまざまな話題が書かれている。
  • かつて尊敬する人物として豊臣秀吉田中角栄田中絹代の名を挙げていた[2]
  • 秋元康が猿岩石に詞を提供する際に用いたペンネーム「高井良斉」は、「高井は良妻」をもじったものと言われている。
  • FUJIWARA藤本敏史ペナルティのヒデがかつて大ファンだったと発言している。

家族

  • 実家は自転車屋である。おニャン子クラブの楽曲『会員番号の唄』の歌詞にも盛り込まれた。
  • 姉はフジテレビの音楽番組 『夜のヒットスタジオ』などで活動していたダンスチーム「Dee-Dee」の高井雅代であり、同番組では姉妹共演を果たしている。

ディスコグラフィ

シングル

アルバム

ビデオ

  • 時計じかけの小悪魔(ファントマ)(1987年7月5日
  • ファースト・コンサート DO・RA・MA(1987年7月21日

参加作品

出演

バラエティ

テレビドラマ

映画

ラジオ

書籍

関連項目

脚注

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テンプレート:高井麻巳子 テンプレート:おニャン子クラブ テンプレート:うしろゆびさされ組

テンプレート:秋元康
  1. 「巻頭大特集 高井麻巳子」BOMB 学習研究社、1986年8月号
  2. 「天才秋元塾―キミもなれるぞ! おニャン子成金」 扶桑社、105頁-106頁 ISBN 4-89353-077-1