馬籠宿

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ファイル:Kisokaido43 Magome.jpg
渓斎英泉「木曽街道六十九次・馬籠」
ファイル:立体視画像 馬籠宿周辺.jpg
馬籠宿付近の立体視画像(平行法)。赤線が中山道。右上北東が馬籠峠方向。狭い尾根を縦走する中山道両側に石垣を積み上げ、南西端の勾配の大きい地形を桝形に利用している。黄線が馬篭バスストップよりのアクセス道路。航空写真撮影時にはなかった谷底の堰堤上を、現在徒歩でアクセスできるように整備されている。航空写真は1977年撮影国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。

かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。1895年明治28年)と1915年大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。

石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館島崎藤村生家跡)がある。

特徴

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人であった。

交通

史跡

  • 高札場
  • 馬籠脇本陣史料館
  • 藤村記念館(島崎藤村生家跡)
    島崎藤村のゆかりの品を展示する。
  • 清水屋資料館
  • 枡形

落合宿までの史跡

ゆかりの人々

  • 島崎藤村 - 馬籠宿の生まれ。代表作のひとつ「夜明け前」は、馬籠宿を舞台にした歴史小説。

参考文献

  • 『中山道を歩く』 児玉幸多 著 中公文庫 1988年 ISBN 4-12-201556-1

隣の宿

中山道
妻籠宿 - 馬籠宿 - 落合宿

ギャラリー

外部リンク

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