香西駅

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|} 香西駅(こうざいえき)は、香川県高松市香西東町にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線瀬戸大橋線)のである。駅番号Y01

駅構造

相対式ホーム2面2線をもつ地上駅。無人駅である。国鉄末期の予讃線電化と前後して、それぞれのホームに設置された上屋と、民営化後に設置された自動券売機小屋が坂出方面ホームの入口脇にある。1996年平成8年)に初めて、自動券売機小屋と券売機[1]が設置されたのは高松方のホームだった。

かつてホームは2両分の長さしかなく、進行方向後寄りの2両のみドアを開閉し、前寄りの1〜2両は締切扱いとされていた。4両分の長さまでホームが延伸される[2]までは、土讃線阿波池田駅発着の気動車列車はドア締め切りができないため、当駅を通過していた。

駅周辺

周辺は高松の市街地となっている。国鉄時代の長い間は、当駅に停車する列車が少なかったこともあり、当駅周辺は田畑が広がり数軒の民家が点在するだけであった。その後、産業道路(香川県道176号檀紙鶴市線)が開通した影響もあり、徐々に企業事務所や倉庫の建設、宅地の開発は始まっていたが、マンションや住宅が林立し市街地化したのは、列車の停車本数が飛躍的に増えたここ十数年のことである。当駅西側に隣接するオレンジハイツ香西は、JR四国傘下のよんてつ不動産最初期の分譲物件のひとつ。

利用状況

1日平均の乗車人員は以下の通り。

乗車人員推移
年度 1日平均人数
2008 443
2009 435
2010 446
2011 442

歴史

日本国有鉄道(国鉄)時代は仮乗降場同然の扱いで普通列車もほとんどが当駅を通過していた。それでも、1日1本しか停車しない八十場駅讃岐塩屋駅等よりは若干多くの列車が停まっていた。またその頃の当駅は、駅舎どころか上屋もなく、特に高松方面(上り)ホームは整備が行き届いているとは言いがたい状態であった。線路側と反対側の面は、緩やかな斜面で隣接の畑と溶け込み[3]、その境目にはソテツが数本植えてあるような状態であり、また、ホームの先端も境目が犬走りと同化しているような有様だった[4]

なお、1967年(昭和42年)に端岡駅までの区間が複線化されるまでは、当駅が複線区間の最西端であり、行き違い列車の待避のため、相当な本数の列車が運転停車していた時期もある[5]。その後、複線化が西進すると、再びほとんどの列車が通過する駅になってしまった。

JR化直前の電化完成後は停車列車が増えた。非電化時代の気動車に比べ、機動性の高い電車の導入により生まれた余裕時分を振り向けて、より多くの駅に停車するようにしたためである。

また讃岐鉄道時代に香西仮停車場が明治32年3月10日[6]より明治33年12月[7]まで設置されていた。

隣の駅

四国旅客鉄道
テンプレート:Color予讃線
快速「サンポート」・「マリンライナー
通過
普通
高松駅 - 香西駅 - (高松貨物ターミナル駅) - 鬼無駅

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 無人駅にも関わらず、入場券の発売機能もあった。
  2. 音楽館のシミュレーターソフトTrain Simulator JR四国1は、ホームの延長工事をしている時期に撮影がされたため、延長工事の様子がよくわかる、ある意味貴重な映像である。
  3. ホーム自体はアスファルト舗装されていた。
  4. 1990年代初め頃、無理に線路を横断しようとした高校生が列車に轢かれる事故が起こったため、上りホーム先端部はブロックで土留めされ、アスファルト舗装され、柵も作られた。その後、畑と隣接している側も整備され、ソテツの木は撤去された。下りホームは道路に面していたため、国鉄時代でも棒ホームの三辺はブロック積みで整備されていた(あと一辺はスロープ。坂出側)。
  5. JR四国20周年の際に発行されたパンフレットには、この当時の当駅の画像が掲載されている。
  6. 「仮停車場設置」『官報』1899年3月15日(国立国会図書館デジタル化資料)
  7. 「仮停車場閉鎖」『官報』1900年12月18日(国立国会図書館デジタル化資料)

関連項目

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