香椎宮

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香椎宮(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区にある神社。旧官幣大社仲哀天皇神功皇后を主祭神とし、応神天皇住吉大神を配祀する。「香椎」の名は敷地内に香ばしい香りの「棺懸(かんかけ)の椎」が立っていたことに由来するという。香椎廟香椎神宮と呼ばれることもあるが正しくは神宮ではない。これは最寄りのJR九州の駅名が1988年(昭和63年)に「香椎神宮駅」とされたことに由来する誤謬である。

歴史

社伝では仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中橿日宮(かしひのみや、古事記では訶志比宮)で仲哀天皇が急逝したため、神功皇后がその地に祠を建て天皇の神霊を祀ったのが起源とされる。養老7年(723年)、神功皇后自身の神託により朝廷が社殿の造営を始め、神亀元年(724年)に竣工したと伝える。この2つの廟をもって香椎廟とする。万葉集には神亀5年(728年)、大伴旅人らが香椎廟を拝んだ後に詠んだ歌が収録されており、香椎廟はそれ以前から存在していたとみられる。香椎廟は他の神社とは異なる扱いを受けていたようで、延喜式神名帳には記載がない[1]。ただし、『続日本紀』などの文献には香椎廟・香椎宮・樫日宮・樫日廟などと見える。日本全国には「香」の一文字を冠した神社が多数あるが、ここ香椎宮から勧請した例も多く謎も多い。京都にある御香宮神社は史書で明らかになっている。

古くから朝廷の崇敬厚く、祈願・奉幣等は宇佐神宮に次ぐ扱いを受け、伊勢神宮氣比神宮石清水八幡宮と共に本朝四所と称された。 神亀5年(728年)11月、太宰の官人等が香椎廟を拝んだ後、香椎の浦でつくった大伴旅人らの歌が万葉集に載っている。 「いざ子ども香椎の潟に白栲(しろたへ)の袖さへぬれて朝菜つみてむ」(大伴旅人)(6-957)

武家からも尊崇を集め、室町将軍足利義政1587年(天正15年)に小早川隆景、江戸時代には代々の福岡藩主の黒田家の造営、修築が伝えられる。

明治時代に官幣大社となる。終戦までは勅祭社に指定され、現在でも十年に一度吉日を選定し、宮内庁より勅使が遣わされている(香椎宮臨時奉幣祭[2]

施設

  • 本殿(重要文化財
    香椎造と呼ばれる。神社建築としては日本で唯一無二の建築様式。現在の社殿は1801年(享和元年)に黒田長順により再建されたもの。
  • 幣殿
    勅使参拝時に幣帛を捧げる場所。
  • 拝殿
    幣殿の前の建物。「香椎宮」の勅額がかけられている。
  • 奏楽殿
  • 中門
  • 楼門
  • 神木「綾杉」
    神功皇后三韓征伐から帰国した際、三種の宝を埋め、「永遠に本朝を鎮護すべし」と誓いを立てて鎧の袖の枝をその上に挿したものが現在の大木となったとされる。普通の杉と葉の形状が異なり、綾状になっていることからこの名が付いた。大宰帥に任じられた者は、香椎宮に参拝し神職からこの杉の葉を冠に挿されるのが恒例とされていた。
  • 勅使館
  • 歌碑
    新古今集和歌が詠まれている。
    千早振香椎の宮の綾杉は神のみそぎに立てるなりけり 」(よみ人知らず)

年中行事

ファイル:Site of former Kashii Shrine.JPG
仲哀天皇大本営御旧蹟(橿日宮蹟)
  • 月次祭(仲哀天皇・神功皇后を祀る行事)…毎月1日、6日、17日
  • 歳旦祭…1月1日
  • 節分祭…2月3日
  • 紀元祭…2月11日
  • 祈年祭…2月17日
  • 古宮祭(仲哀天皇の正忌日を祀る行事)…3月6日・12月6日
  • 春季氏子大祭…4月17日に近い日曜
  • 追遠記念祭…4月29日
  • 扇としょうぶ祭…6月の第1土曜・日曜
  • 大祓…6月30日・12月31日
  • 秋期氏子大祭…10月17日に近い日曜
  • 例祭…10月29日
  • 文化の日祭…11月3日
  • 御加列記念祭…11月10日
  • 七五三祭…11月1 - 30日
  • 新嘗祭…11月23日
  • 天長節…12月23日
  • 御煤拂祭…12月29日
  • 除夜祭…12月31日

頓宮

鹿児島本線勅使道踏切近くの丘に位置する。中世以前は神殿・拝殿も存在したが、中世以後荒廃し御神幸も途絶えた。 1873年(明治6年)御神幸が再興し、1907年(明治40年)に常設の社が建ち香椎宮浜殿とも呼ばれた。 4月に行われる春季氏子大祭では、氏子が特別な衣装を身にまとい香椎宮より頓宮、翌日頓宮より香椎宮へと練り歩く。

境内には1893年(明治26年)に建てられた万葉歌碑があり、

いざ子ども香椎の潟に白栲(しろたへ)の袖さへぬれて朝菜摘みてむ 」 大伴旅人
時つ風吹くべくなりぬ香椎潟干潮の浦に玉藻刈りてな 」 小野老
往き帰り常にわが見し香椎潟明日ゆ後には見むよしもなし 」 宇努首男人

の三首の万葉歌が三条実美の筆により刻まれている[3]

不老水

本殿の北300mほど山手にある香椎宮の飛び地である「不老水大明神」の境内に湧く湧水であり、「御飯の水」「老の水」とも言われている。1985年(昭和60年)名水百選[4]に選ばれた。

仲哀天皇神功皇后に随侍していた、時の大臣の武内宿禰が、香椎の地でこの水を朝夕汲み取って天皇への炊飯用や、酒を作るのにこの水を使ったとされる湧水で、そのおかげで300歳とも360歳ともいわれるほど長寿だったという由来がある。

交通

脚注

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参考文献

  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、19頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、91頁
  • 『角川日本地名大辞典 福岡県』、角川書店、1988年
  • 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、222-224頁
  • 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、256-257頁
  • 空閑龍二『福岡歴史がめ煮 東区編』(海鳥社、2010年)

関連項目

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  1. 『角川日本地名大辞典 福岡県』、p.341
  2. 最近では2005年(平成17年)に遣わされた。
  3. 廣田弘毅の父親で石工である廣田徳右衛門がこの碑を刻んだ。
  4. 不老水 - 名水百選 - 環境省