須佐の湖善誉

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須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか、1972年8月30日 - )は愛知県知多市出身、北の湖部屋の元大相撲力士である。本名は金作 善治(かねさく よしはる)。身長183cm、体重240kg。最高位は東十両2枚目(1998年1月場所)。趣味は寝ること。

来歴

1988年3月場所で初土俵。入門直後から期待され、順調に番付を上げていった。21歳になったばかりの1993年9月場所に「将兜」の四股名で十両に昇進した。しかし四つ相撲の中途半端な相撲だったため3勝12敗と大敗を喫し、1場所で幕下に陥落した。落ちたばかりの場所の3番相撲で右膝を痛めしばらく幕下に低迷していたが1996年7月場所で9人での幕下優勝決定戦を征し復調し、1997年5月場所には四股名を「須佐の湖」改め、7月場所も幕下優勝し翌9月場所に4年ぶりに十両に復帰し十両に定着した。11月場所には突き押し相撲に徹し、最後まで十両優勝を争った。1998年9月場所には日本人力士最重量の240kgを記録。幕内を狙える番付まで上がったが引いて押し出される雑な相撲が増え、2000年5月場所を最後に幕下に陥落。内臓疾患のため体重も徐々に減少し思うような相撲を取ることが出来なくなり、幕下下位で低迷した。2003年1月場所には三段目に陥落し、4勝3敗での勝ち越しを最後に現役を引退。引退後は暫く夫人の実家がある福岡市内で飲食店を経営していたが、店を閉じて以降は九州で警備員を行っているという。

主な成績

  • 生涯成績:381勝376敗17休(91場所)
  • 十両成績:120勝150敗(18場所)

エピソード

  • 東北楽天ゴールデンイーグルス山﨑武司は、中学時代の相撲部の先輩で現在に至るまで親交がある。山﨑が中日ドラゴンズ時代に、ナゴヤドームで始球式を行ったこともある(その山﨑は中学卒業時に藤島部屋から勧誘を受けている)。
  • 普段は明るい性格で知られ、相撲番の記者からは負けた相撲の後でも嫌な顔一つせず丁寧に応対するなどの理由で非常に評判が高かった。
  • 20代前半からは頭髪が薄くなり、現役晩年には非常に小さな髷しか結えない状況であった。
  • 四股名「須佐の湖」は同部屋の金親和行と苗字を間違えられやすい(金作)ため、必要に追われて名乗ったという。
  • 先祖は東北地方出身で、源義経に遣えたほど由緒ある金職人であったという。

改名歴

  • 金作 善治(かねさく よしはる) 1988年3月場所-1993年7月場所、1994年9月場所-1997年3月場所
  • 将兜 善晴(まさかぶと -) 1993年9月場所-1994年7月場所
  • 須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか) 1997年5月場所-2003年1月場所

関連項目