非暴力

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非暴力(ひぼうりょく)は体制変革における理念のひとつであり、ハト派で、抑圧を受けている民衆が政治体制の変革を求めるにあたって、革命によって暴力的に支配者を倒すことではなく、粘り強く、弾圧されても決して屈せずに、言論を以って変革の必要を主張し続けることである。

思想の根源

非暴力主義思想の根源は、仏教ジャイナ教新約聖書に書かれたイエス・キリストの言葉等に見る事が出来る。

最古の仏典スッタニパータでは「生きものをみずから害してはならない。また他人に殺させてはならない。また他の人々が殺害するのを容認してはならない」と説かれている。原始仏教の僧団規定によると、出家修行者は出征軍を観てもならず、特別の理由で軍隊に止宿せざるを得なかった場合、二、三夜ほどなら許されるが、その間も整列・配置・閲兵式を観ることが禁じられていた。[1]

福音書には「悪人に手向かってはならない」「剣を鞘におさめよ。剣による者は、みな剣によって滅びる」と説かれている。初期のキリスト教指導者には軍隊に入ることを否定した者が多く、特にオリゲネスは鮮明に非戦を表明した。また使徒行伝には、一、二世紀にローマ軍への勤務を拒否したために迫害を受けた受難者の例が多数ある。

道教にも、ジャイナ教のアヒンサーに似た、非常に厳格な不殺生の規定が存在する。 テンプレート:節stub

近代における非暴力主義

近代において非暴力主義を唱えた思想家の一人は、晩年のトルストイで、非暴力主義の代表的な思想家として想起されるガンディーが、トルストイの非暴力主義に大きな影響を受けて居た事は、トルストイの思想家としての重要性を示して居る。

ガンディー大英帝国植民地化されたインドで非暴力による独立運動を続けて、ついには独立を達成した。これが端緒となり米国黒人差別ミャンマーの軍事独裁政権に対する抵抗の場でも実践された。

暴力を持って変革することを目的とした場合、体制側が変革側を圧倒的な暴力で弾圧することを正当化しやすい。暴力運動と比較して、非暴力運動という手段は運動弾圧を正当化されにくい手段とされる。

大日本帝国の無条件降伏と非暴力主義

太平洋戦争の当事国であった大日本帝国が、日本の降伏のプロセスで軍の武装解除などを内容とするポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を基本的に受け入れ、昭和天皇戦争放棄を内容とする日本国憲法第9条を裁可し、その第9条を60年以上に渡り日本国民が支持し維持し続け、日本の自衛官が他国の国民を武器で殺害した事例が一度もないという側面をとらえるなら、文面上も実態上も、国権の発動たる戦争を禁じた日本国憲法の法運用として、非暴力主義が実践されたといえる。 だたし、日本国憲法制定後の歴史においては、朝鮮戦争冷戦のなかで、日本軍の再軍備軍備拡張競争があり、軍事基地の米軍提供、多国籍軍への物資資金の供与、イラク戦争における武装軍人の人的協力などがあり、戦後政治や憲法裁判における司法判決の中でも憲法9条の解釈破壊が続き、イラク戦争においてイラク日本人外交官射殺事件イラク日本人人質事件が発生するなど海外における邦人の安全が失われ、国内においても在日米軍周辺で婦女や女児への性的暴行が続発し続けている環境等を総合的に勘案するなら、非暴力主義が日本の国是として実践され、その効果が十分に発揮されたとは言えない。

関連項目

脚注

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  1. 『中村元選集[決定版] 別巻2 普遍思想』 春秋社 pp784

外部リンク

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