静岡鉄道静岡清水線

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|} 静岡清水線(しずおかしみずせん)は、静岡県静岡市葵区新静岡駅と、同市清水区新清水駅を結ぶ静岡鉄道鉄道路線

路線データ

運行形態

全列車2両編成ワンマン運転となっている。平日は朝ラッシュ時間帯に最大1時間あたり15本、土曜休日の終日と平日の昼間は6-7分間隔の高頻度運転を行っており、昼間の普通列車は新静岡 - 新清水間を21分で結んでいる。その運行形態や路線の特性から、欧米ではLRTとして紹介されることもある。ワンマン運転は終日行われている。新静岡 - 新清水間の全線通し運転が基本であるが、平日ダイヤにおいて朝に急行と接続する新静岡 - 県総合運動場間の区間列車(後述)や、長沼駅の北側に隣接して車庫(静岡鉄道では鉄道運転所と称する)があるため、朝夕ラッシュ時の前後には出入庫運用として、柚木発新静岡行き、新静岡発柚木行き、新清水発長沼行き、長沼発新清水行きの区間列車が数本設定されている。

急行
2011年10月1日のダイヤ改正で、15年ぶりに急行運転が復活し、平日朝に新清水行きが運行されている。停車駅は、新静岡・県総合運動場・草薙・御門台・狐ヶ崎・桜橋・新清水。いずれも乗降客が多い駅という[1]。その反面、利用客の少ない県立美術館前駅と入江岡駅は区間運転の普通列車が運行しない区間の駅であるにもかかわらず急行は通過となり、朝ラッシュ時は実質減便となった。なお、急行列車が先行する普通列車を追い抜くことはないが、県総合運動場駅で新静岡発県総合運動場行の区間列車から接続している。
かつて設定されていた急行は、日中も運転され、運動場前駅(現・県総合運動場駅)で先発の普通列車を追い抜く運転も行われていた[2]が、1985年からは各駅の乗車機会向上のため各駅に停車する普通が増発され、急行運転は平日の朝夕のみとなった。その後急行は1996年4月1日のダイヤ改正で廃止され[2]、2011年10月1日の改正で復活するまで、定期列車はすべて普通列車のみで運行されていた。
通勤急行
2011年10月1日のダイヤ改正で新設され、平日朝に新静岡行きが運行されている。停車駅は新清水・桜橋・狐ケ崎・御門台・草薙・古庄・日吉町・新静岡。早朝の2本のみ、県総合運動場駅で普通列車を追い抜く。
臨時急行
臨時急行は、2011年12月10日 - 2012年1月9日の土日祝日(12月31日を除く)に「セノバ号」として運行されたのが初めてであり、この時は新静岡と古庄 - 新清水の各駅に(新静岡行きは日吉町駅にも)停車した。次いで2012年の4月7日・8日の両日に、「静岡まつり」の観客輸送対応列車(列車愛称なし)として運転され、この時は下り列車(新清水行き)は通常運転されている急行の停車駅に、上り列車(新静岡行き)は、同じく通勤急行の停車駅に停車した。
普通
新静岡 - 新清水間の全線で運行される列車のほか、入出庫運用として新静岡 - 柚木間、 長沼 - 新清水間の区間列車がそれぞれ運行されている。また、平日朝には新静岡 - 県総合運動場間の区間運転が行われ、葵区・駿河区側に所在する急行・通勤急行通過駅利用者への配慮がなされている。

設備

現在は全駅に自動券売機、ICカードチャージ機自動改札機(全レーンICカード対応)が設置されている。乗車カードは、自社の「LuLuCa」、PiTaPa、及びPiTaPaと相互利用可能なICカード(SuicaPASMOKitacaTOICAmanacaICOCAはやかけんnimocaSUGOCA)、磁気プリペイドカード「パサールカード」が利用できる。なお、各駅のICカードチャージ機ではLuLuCa以外のICカードのチャージはできず、新静岡・草薙・新清水各駅の有人窓口にてチャージを受け付けている。


同路線の踏切は、遮断機の遮断かんを視認性向上のために従来の黄色・黒の縞模様からより目に付きやすい赤・白のものに逐次交換している。新静岡駅付近等での試験的な使用を経て、2009年現在は主要箇所で遮断かんの交換が完了した(警報機の塗装変更は行われていない)[3][4]

ファイル:Jr-shizutetsu-heiko.jpg
JR東海道本線とは狐ヶ崎 - 入江岡間で併走する(JR車内から)

車両

東京急行電鉄7200系電車を設計基本とする1000系電車で、すべての営業列車をまかなっている。100形・300系などの旧形車の置き換え用に登場した。旧形車の多くは長沼駅に隣接する長沼工場で製造されたが、1000系は東急車輛製造にて1973年昭和48年)から1985年(昭和60年)までに2両編成12本(合計24両)が製造された。編成はクモハ1000形(Mc・静岡側)-クハ1500形(Tc・清水側)となっている。

抵抗制御カルダン駆動方式を採用している。車体は前面非貫通型・18m級3扉のステンレス製となっており、前面窓には非対称の大型2枚ガラスを採用し、1970年代のステンレス製鉄道車両としては斬新な意匠となっている。また、1次車のデビュー翌年には鉄道友の会静岡支部より「79年 おれんじ賞」を授与されている。2011年現在では前面窓上の表示幕に種別および行先(昼間帯は「普通 新静岡-新清水」に固定)を表示し、上部左右に白色標識灯を、下部左右に前照灯・後部標識灯を装備している。ワンマン運転のため、戸締め時の車外警報装置として妻面にゴング式ベルを持つ。警笛は先頭部にAW-5空気笛を1本、電気笛(ミュージックホーン吹奏と併用可能[5])1基を装備。同車の標識灯取扱いについては「通過標識灯#静岡鉄道」、ミュージックホーンについては「警笛#ミュージックホーン#静岡鉄道」も参照。

全駅に自動券売機・自動改札機が設置されているため、現在、車内での運転士による運賃収受は行わない(都市型ワンマン運転)。

編成
新静岡← 1000 (Mc) - 1500 (Tc) →新清水
  • 1001-1501:1973年(昭和48年)竣工
  • 1002-1502:1973年(昭和48年)竣工
  • 1003-1503:1973年(昭和48年)竣工
  • 1004-1504:1973年(昭和48年)竣工
  • 1005-1505:1973年(昭和48年)竣工
  • 1006-1506:1976年(昭和51年)竣工
  • 1007-1507:1976年(昭和51年)竣工
  • 1008-1508:1976年(昭和51年)竣工
  • 1009-1509:1979年(昭和54年)竣工
  • 1010-1510:1979年(昭和54年)竣工
  • 1011-1511:1984年(昭和59年)竣工
  • 1012-1512:1985年(昭和60年)竣工

このほか、車庫の奥に1926年(大正15年)に製造された電動貨車デワ1形[6][7]、構内の一角に無蓋車ト1、ト2が保存されている。ト1、ト2の一端およびデワ1には、現在各地の鉄道関連の博物館の保存車両や伊予鉄道松山市内線の坊っちゃん列車などでしか見ることのできないバッファー・リンク式連結器が装備されている[7]

過去の車両

かつての静岡鉄道には自社の長沼工場製造の車両や他社からの譲渡車を含めて、雑多な車両が在籍していた。

駿遠電気時代の電車

電化開業時に用意した木製単車14両の記録は不完全である。1-3(定員40人)、附随客車附1-3(定員40人)は玉川電気鉄道より、番号不明5両(定員40人)が美濃電気軌道より、そして前歴不明の11-13(定員40人)。これらは早期に処分されている。美濃電の5両は1921年及び1923年に廃車。玉電6両は1925年に1-3、1926年に附1-3が秋葉線へ転属、1929年に11・12が散水車となり13が廃車となる。なお1926年に入線した池上電気鉄道丙号電車(11・12)は静岡電気鉄道より譲渡されているが旧番号不明である[8]。1921年に入線した木製ボギー車22、24(日本車輌製、定員65人)は1923年に池上電気鉄道へ売却され乙号電車となった。

静岡電気鉄道時代の電車(1923-1943)

  • ボギー車
    • モハ20形(20 - 23・25)1924年認可、木製、定員65人、1937年に30 - 33・35の鋼体化により発生した車体を載せ変えて新30 - 33・35となる。
    • モハ30形(30 - 33・35)1924年認可、木製、定員65人、1937年日本車両で鋼製車体を新製して300 - 303・305となる。
    • モハ100形(100・101) 1927年日本車輌製、木製、定員78人、100は1947年台車のみ江の電へ売却、1954年7月1日の改番により101→モハ3、のちクハ6(2代目)へ改造[9]
    • モハ120形(120・121) 1930年日本車輌製、半鋼製、定員108人、片側3扉(中央扉は両開)、大型すぎて1937-1938年西武鉄道と渥美電鉄(豊橋鉄道渥美線)に売却
    • モハ80形(80 - 82) 1936年に西武鉄道新宿軌道線(都電杉並線)38-40(1927年汽車会社製、木製)を購入。1954年7月1日の改番によりモハ65(65-67)となり1956年に鋼体化される。
    • モハ300形(300 - 303・305)1937年日本車輌製、半鋼製,、30-33・35の鋼体化、1954年7月1日の改番によりモハ10-13・15、その後モハ10→クハ11、モハ12→クハ5(2代目)、モハ13→クハ15
    • モハ200形(200・201)1939年木南車輌製、半鋼製、1954年7月1日の改番によりモハ5・6
    • モハ220形(220 - 222)1939年木南車輌製、半鋼製、1954年7月1日の改番により220→モハ7(2代目)、221→モハ8、222→モハ9、その後モハ8→クハ1(2代目)→モハ1(2代目)

静岡鉄道成立以後

終戦間近の1945年6月20日と7月6日の空襲により主力の200・220・300形の10両のうち7両が被災した[10]。これらは1946年から1948年までに復旧されたが[11]、輸送整備のため1946年東急よりモハ1・2・7 - 9を購入。さらにデハ3251・3252が入線し、続いて近江鉄道、国鉄より車両を調達した。

  • モハ1・2・7 - 9 1946年東急より厚木線(旧神中鉄道)で使用されていたモハ1・2・7 - 9(目黒蒲田電鉄デハ1形電車)を購入
  • モハ500・501 東急よりデハ3251・3252(元池上電気鉄道電気鉄道)を購入。東急の国鉄63系電車の見返り供出車
  • クハ1(初代) 近江鉄道より購入したクハユ24を改造した(1953年設計変更認可)。木製車、1960年廃車。
  • クハ3 近江鉄道より購入した客車(ホハフ1 元八日市鉄道)を長沼工場で制御車に改造した。木製車、1959年廃車。
  • クハ5(初代) 近江鉄道より購入した半鋼製2軸気動車キハ50を車体延長ボギー化改造した。1961年廃車。
  • クハ7 国鉄より払下げられた元富岩鉄道セミボ20。1955年10月使用認可。
  • モハ(クモハ)18-20 国鉄より払下げられた元鶴見臨港鉄道モハ110形

1957年に静岡国体が開催されることになり、3両が長沼工場で新製されることになった。この長沼工場は戦中に鷹匠町車庫が手狭になり目につけたのが静岡市の東部にある長沼であった。ここは湿地帯で稲作にむかず蓮田となっていた。ここを埋立て車両基地を造成することになったが軟弱地盤に手を焼いたという。陸軍射撃場の資材を手に入れて大砲格納庫を車庫に転用したりして整備を進めた[12]。そして戦災車両の復旧や転入車両の改造を手掛けるようになりついに自社で設計新製がはじめられた。やがて急増する旅客輸送のため従来の2両編成の定員220人を300人程度までにするため大型の100形が投入され300系・350形と「静鉄形電車」が生産されることになる。ただ大型車導入によりラッシュ時には変電所がパンクすることもおおくのちに変電所は増強されることになる。

  • モハ21+クハ21(21-25)1957年より1961年まで自社長沼工場で製作された2両固定編成。国鉄80系電車の2枚窓の前面形状と金太郎塗りを採用し当時の流行をとりいれていたがブリルの台車や機器は流用品を使っていた。
  • 100形
  • 300系
  • 350形

自社製の車両は、1986年(昭和61年)に福井鉄道へ譲渡された300系を最後に、同線から姿を消した。

貨車

電化時に用意された車両は電動無蓋貨車(デ1・2)、無蓋貨車(ト1 - 3・5 - 11)1924年に電動有蓋貨車(デ3・5・6)、有蓋貨車ワ1 - 3、5・6が増備され、1926年に電動有蓋貨車(デ10-12)が増備される。1927年にデ3・5が秋葉線に転出、かわりにト12・13、ワフ7 - 9転入。1930年に無蓋貨車(トコ20-23)が製作される。しかし不況と自動車の進出により貨物量が激減し、1937年にデ6、ワ5、ト1・2・5・7・9 - 11が廃車(同時に秋葉線より貨車2両が転入)となり1941年には貨物は廃止された。以後の車両の動きは不明[13]

1997年(平成9年)までは車籍の無い入換用機械として、旧鶴見臨港鉄道の生き残りであるクモハ18形20が使用されていたが、同年導入したモーターカーに役目を譲った形で長期に渡って留置され、その後老朽化が著しく進行していたため2007年(平成19年)3月に解体された。解体前にはさよなら撮影会が開催されている[14]

利用状況

輸送実績

収入実績

戦前の輸送実績

歴史

ファイル:Shizuoka railway Iriecho Station.jpg
現在の入江岡駅付近に存在した入江町駅(1918年4月撮影)
  • 1906年(明治39年)8月21日 安倍郡豊田村南安東(現・音羽町)- 入江町の軌道敷設特許。
  • 1907年(明治40年)10月11日 南安東 - 鷹匠町(現・新静岡)および入江町 - 清水受新田(うけしんでん、波止場)の軌道敷設特許。
  • 1908年(明治41年)
    • 5月18日 静岡鉄道(旧)(社長雨宮敬次郎[15]によって辻村(現・新清水) - 清水町(後の波止場)が開業(762mm軌間、蒸気動力、貨物営業のみ)。
    • 7月1日 辻村 - 清水町間の旅客営業開始。
    • 8月 大日本軌道が静岡鉄道を合併[16]。同社の静岡支社に。
    • 12月9日 鷹匠町 - 辻村間が開業し、鷹匠町 - 波止場間 (7M50C) 全通。
  • 1918年(大正7年) 江尻新道(辻村から改称) - 波止場間廃止(後に再開業)。
  • 1919年(大正8年)5月1日 駿遠電気に譲渡[17]
  • 1920年(大正9年)8月2日 1067mmに改軌、600V電化。
  • 1923年(大正12年)2月28日 静岡電気鉄道に改称。
  • 1925年(大正14年)4月1日 鷹匠町 - 公園前(現音羽町)間複線化。
  • 1930年(昭和5年)
    • 3月31日 音羽町 - 古庄間複線化。
    • 7月16日 古庄 - 桜井戸(後に廃止)間複線化。
  • 1934年(昭和9年)
    • 2月11日 運動場前から東を短絡線に移設、仮運転開始。
    • 8月21日 短絡線での本運転開始。
  • 1943年(昭和18年)5月15日 藤相鉄道・中遠鉄道などと合併して静岡鉄道発足。
  • 1945年(昭和20年)
    • 6月20日 未明の静岡大空襲で静岡市内の施設被災。
    • 7月6日 夜の空襲で清水市内の施設被災。
    • 12月1日 鷹匠町 - 清水相生町間を軌道から地方鉄道に変更、清水相生町 - 清水波止場間を休止。
    • 12月26日 鷹匠町の駅舎完成。
  • 1946年(昭和21年)12月27日 安西 - 鷹匠町間を静岡市内線、鷹匠町 - 清水相生町間を静岡線として分離。
  • 1949年(昭和24年)3月25日 清水相生町 - 波止場間廃止許可。
  • 1953年(昭和28年)
    • 8月 電車修理工場を鷹匠町から、長沼駅構内に移転。
    • 11月24日 快速を運転開始。
  • 1954年(昭和29年)
    • 夏 清水市内線港橋まで快速の乗り入れ運転を実施。
    • 10月1日 鷹匠町駅を新静岡駅に、清水相生町駅を新清水駅に改称。
  • 1955年(昭和30年) 集電装置をトロリーポールからパンタグラフに変更。
  • 1958年(昭和33年)3月10日 快速を廃止。急行を運転開始。
  • 1961年(昭和36年)3月1日 有度学校前駅を御門台駅に改称。
  • 1969年(昭和44年)2月 長沼駅に列車総合制御盤導入。
  • 1970年(昭和45年)12月 ATS設置。
  • 1971年(昭和46年)2月 列車無線装置設置。
  • 1973年(昭和48年)4月25日 オールステンレス製の1000系電車運転開始。
  • 1974年(昭和49年)7月7日 七夕豪雨による土砂災害で夜から全線不通に。15日に全線復旧。
  • 1975年(昭和50年)9月1日 ワンマン運転開始。
  • 1979年(昭和54年)12月 CTC化。
  • 1986年(昭和61年)3月25日 県立美術館前駅開業。
  • 1991年(平成3年)11月1日 運動場前駅を県総合運動場駅に改称。
  • 1992年(平成4年)9月1日 自動改札機を新静岡駅・新清水駅など5駅に設置。翌年12月までに全駅に設置。同時に早朝・深夜の車掌乗務[18]を廃止、完全都市型ワンマン運転化。
  • 1994年(平成6年)6月2日 パサールカードストアードフェアシステム)導入。
  • 1996年(平成8年)4月1日 同日のダイヤ改正にて急行の設定を取りやめ、全列車を普通とする。
  • 2006年(平成18年)10月28日 LuLuCa対応の自動改札機を全駅に設置。
  • 2007年(平成19年)9月1日 PiTaPaを全駅で導入、同時にICOCAも使用可能に。
  • 2008年(平成20年)
    • 2月1日 御門台 - 新清水間で新型ATS (i-ATS) を使用開始(順次全線に拡大)。
    • 10月1日 列車運転に携わる社員の制服を一新。
  • 2009年(平成21年)4月1日 新静岡センター跡地および周辺地域再開発事業のため、新静岡駅の仮設改札口の供用を開始。
  • 2011年(平成23年)10月1日 新静岡セノバ開業(5日)に伴うダイヤ改正が行われ、平日ダイヤ朝に下り急行が再設定され、上り通勤急行を新設。全駅の駅名標およびドア上車内停車駅案内をCIデザインのものに一斉更改、同時に駅ナンバリングを本格導入。駅構内・列車車内案内上の英文表記を「県」で始まる途中2駅(県総合運動場駅県立美術館前駅)はローマ字転写から直接英訳のものへ、「ょう」で終わる各駅の長音符号表記を廃止。
  • 2013年(平成25年)3月23日 全国ICカード相互利用により、JR東日本のSuica、首都圏の私鉄などのPASMOなど10種類のICカードが使用可能となる。

駅一覧

テンプレート:座標一覧

  • 全駅静岡県静岡市に所在(Googleマップ)。
  • 普通列車はすべての駅に停車。
  • 通勤急行・急行は、平日ダイヤの朝のみ運行。
  • 臨時急行「セノバ号」は2011年12月10日 - 2012年1月9日の土日祝日(12月31日を除く)運行。
  • JR線との連絡運輸は行っていない。
凡例
●:停車、▲:停車(新静岡方面のみ)、|:通過(両方向)、↑↓:通過(矢印の方向に運転)
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 通勤急行 急行 セノバ号 接続路線 所在地
S01 新静岡駅 - 0.0 東海旅客鉄道東海道新幹線東海道本線静岡駅 葵区
S02 日吉町駅 0.5 0.5  
S03 音羽町駅 0.5 1.0  
S04 春日町駅 0.5 1.5  
S05 柚木駅 0.5 2.0  
S06 長沼駅 1.1 3.1 東海旅客鉄道:東海道本線(東静岡駅
S07 古庄駅 0.7 3.8  
S08 県総合運動場駅 1.0 4.8   駿河区
S09 県立美術館前駅 0.9 5.7   清水区
S10 草薙駅 0.7 6.4 東海旅客鉄道:東海道本線(草薙駅
S11 御門台駅 1.0 7.4  
S12 狐ヶ崎駅 0.9 8.3  
S13 桜橋駅 1.7 10.0  
S14 入江岡駅 0.3 10.3  
S15 新清水駅 0.7 11.0 東海旅客鉄道:東海道本線(清水駅

新駅計画

当路線で駅間距離が最も長い狐ヶ崎駅 - 桜橋駅間の大坪・追分地区への新駅設置が静岡市により検討されている。事業費は約5億1400万円と見込まれている[19]

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。

キロ程 運賃(円)
初乗り1 - 2km 120
3 - 4 130
5 160
6 180
7 200
8 230
9 260
10 280
11 300

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • テンプレート:Cite book
  • テンプレート:Cite journal(再録:テンプレート:Cite book鉄道ジャーナルNo・506 2008年12月号
  • 中川浩一「静岡電気鉄道時代の電車について」『鉄道ピクトリアル』No.141
  • 宮田雄作「静岡電気鉄道120型電車の軌跡」『RAILFAN』No.478
  • 和久田康雄『日本の市内電車 -1895-1945-』成山堂書店、2009年、185-189頁
  • 湯口徹『内燃動車発達史 上巻』ネコ・パブリッシング、2004年
  • 白土貞夫「近江鉄道(下)」『私鉄車両めぐり特輯』3、鉄道図書刊行会、1982年
  • 横山波路「私と静岡鉄道」『RAIL FAN』No.595-597(執筆者は終戦後まもなく静岡鉄道に入社 本社及び駅の設計や大型車両100形の導入に携わる)

関連項目

外部リンク

  • 静鉄、「急行」を復活 10月に大規模ダイヤ改正 - 静岡新聞、2011年9月21日。
  • 2.0 2.1 寺田裕一『データブック 日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、p.83
  • 「赤色・白色」踏切遮断かんの実証実験について - 静岡鉄道、2007年2月9日。
  • テンプレート:PDFlink
  • ただし、1997年まで単音電気笛鳴動機能は付加されていなかった
  • 車両工場・デワ1号見学会 開催のお知らせ - 静岡鉄道、2009年4月24日。
  • 7.0 7.1 静岡鉄道 デワ1 号 電動貨車 デワ1 - 国立科学博物館-産業技術の歴史
  • 「東京急行電鉄車歴表」『鉄道ピクトリアル』No.749、245頁
  • 形式図『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  • 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.207
  • 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.185、46頁
  • 大井航空隊の鉄骨格納庫の移設を計画したが大きすぎて断念
  • 澤内一晃「静岡鉄道デワ1+ト1を見る」『J TRAIN』No.31
  • クモハ20号解体のお知らせ - 静岡鉄道、2007年3月9日。
  • 『日本全国諸会社役員録. 明治41年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  • 『官報』1908年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 5月23日許可「軌道敷設特許権譲渡」『官報』1919年5月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 途中駅乗客に対しての運賃収受添乗は、運転士の副行路となっていた。
  • 静岡市 追分・大坪地区新駅設置 新駅設置は必要と認識 事業費は約5億1400万円を見込む - 建通新聞 2014年2月20日付け