青海省

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テンプレート:基礎情報 中華人民共和国の一級行政区画 青海省(せいかいしょう/チンハイしょう、中国語:青海省、英語:Qinghai、チベット語:ツォゴン・シンチェン、 サラール語:Gökdeñiz Velayat, モンゴル語Köke Naɣur )は、中華人民共和国の西部に位置するのひとつ。省都は西寧市1928年に青海省成立。省名は、省内に国内最大の湖沼である青海湖(チベット名ツォティショギャルモ、モンゴル名フフノール)があることにちなむ。

概要

この省の領域の大部分は、チベット人自身によるチベットの地方区分でいう「アムド地方」に属し、アムド地方の西部から中央部を占めており、東南部に位置するキクド(ジェクンド、玉樹)一帯のみ、カム地方に属する。またモンゴル人は、この地やそのモンゴル系住人を「デート・モンゴル(高地モンゴル)と称する。2005年1月省長に就任した宋秀岩は中国で20年ぶりの女性省長である。

この省の領域を枠組みとする地方行政単位の成立は、雍正帝のチベット分割にさかのぼる。清朝雍正帝は、1723年から1724年にかけて、当時この地方を含むチベット全土を支配していたオイラトモンゴル人グシ・ハン一族を征服、彼らの支配下にあった七十九族と呼ばれる諸部族を、タンラ山脈を境に南北に分割、青海四十族西蔵三十九族に二分した。清朝は青海モンゴルや四十族などの諸侯を、西寧から支配、この枠組みは中華民国にも引き継がれ、青海省の基礎となった。中国の現行の行政区画としての西蔵青海は、直接にはこの分割を起源としたものといえる。

歴史

古代の西戎の地で、代には姜族が占拠し、西羌(せいきょう)と呼ばれた。王朝は西海、河源などの郡を設置したが、吐谷渾(とよくこん)が勃興し、領域とした。7世紀には吐蕃(とばん)のチベット王朝の中国の抗争の舞台となり、8世紀に大部分がチベット領となった。822年、チベットと中国の間で和平と国境を定めるための条約が締結され、青海湖の西南にある日月山が両国の国境と定められた。条約の文面はチベット語中国語漢文)の2ヶ国語で石碑に刻まれ、チベットの都ラサ、中国の都長安、日月山の3ヶ所に設置された。ラサに設置された石碑のみ、現在まで失われずに残り、「唐蕃会盟碑」として知られている。吐蕃の統治下で、この地に居住する諸種族の多くがチベット人としての自意識を持つようになって現在に至っている。

代(北宋南宋)には吐蕃の末裔が樹立した青唐王国の拠点となったが、タングート系の西夏に併合されて滅亡した。17世紀半ば、西モンゴルオイラト部のグシ・ハンが配下を引き連れてチベットの各地に移住し、チベットを征服した際には、この地が本拠地となった。現在この省の中央部から北西部にかけて居住している青海モンゴル族は、この時移住してきたグシ・ハンの配下の末裔である。18世紀、清朝の雍正帝はグシ・ハン一族の内紛に乗じて青海地方に侵攻(いわゆる「ロブサンダンジンの乱」)、グシ・ハンの子孫たちを屈服させ、一族がチベット各地に保有していた権限、権益をすべて接収、青海モンゴル族は盟旗制により再編、チベット人諸侯たちには各級の「土司職の称号を与え、所領を安堵する」という支配体制を築いた。清末以来、ムスリム(イスラム教徒)の馬氏政権の支配下に置かれ、1928年河西回廊の南部と会わせて「青海省」が設置されたのちも、遊牧地域では、従前とさほど変化のない社会構造が継続した。1950年代半ば、中国人民政府による民主改革が行われたのを契機に大規模な抗中蜂起が勃発、チベット動乱の引き金となった。1958年以降、原爆、水爆の開発が同省内でおこなわれている。2010年4月13日には青海地震が起こっている。

地理

青蔵高原東北部に位置し、黄河長江メコン河の水源地帯となっている。省東北部に中国最大の内陸塩湖青海湖がある。西北部には乾燥したツァイダム盆地が広がる。大陸性高原気候で一日の温度差が激しく、降水量は少ない。北部から東部にかけて甘粛省、南東部は四川省、南部から西部にかけてチベット自治区、西北部は新疆ウイグル自治区と接する。

行政区画

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1724年雍正のチベット分割の際に朝がグシ・ハン一族より接収したチベット東部の最北部に「青海」地方が設けられた。その領域は西寧辧事大臣管轄下の青海蒙古四十旗と、チベット系、モンゴル系の諸侯40家からなる青海四十族の所領を合わせた範囲で、青海蒙古四十旗は盟旗制青海四十族土司制によって管理された。

世襲の領主に所領を安堵する盟旗制土司制度は、辛亥革命によって成立した中華民国、また1928年にこの地に制度を敷いた南京国民政府の下でも引き続き維持され、廃止されたのは中華人民共和国政府によってである。

人民政府による行政区画は2014年現在、6自治州、2地級市を管轄している。詳細は下部データボックスを参照。

民族とその分布

民族分布の特徴としては、農耕の適地や各種工業の盛んな東北部の一部地区において顕著な多様性が見られる一方、人口の希薄な、残る大部分の地域においては遊牧を生業とするチベット人とモンゴル人の天地である。その為、青海は中国の5大牧畜地区のひとつに数えられている。

西寧市と付属の諸県、海東市にかけての東北部は、古来より諸民族が居住・往来し、興亡した河西回廊の一部分で、漢族回族を始めとする様々な民族が分布している。省面積の7割近くを占める、省の中央部、北部、西部、南部は、かつての「青海蒙古三十旗」の遊牧地、あるいは青海四十族の居住地域で、これらの地域の大部分では住民のほとんどが青海蒙古三十旗や青海四十族の末裔である。ただし中華人民共和国成立後、中央部に鉱山都市ゴルムド(ガルムー、格爾木)が開かれたことで、民族の分布比は大きく変化しつつある。

遊牧地域に居住する民族は主として以下の2種類である。

この省の東北部に居住する諸民族のうち、主なものは以下の通り。

  • 漢族 - 省都西寧市とゴルムド市に集中する。青海省最大の民族集団である。
  • 回族 - 人口74万人で全省人口の14.52%を占める。化隆、門源回族自治県と民和、大通回族土族自治県、西寧市、湟中県、祁連県などに分布する。都市部の回族は商業を得意とし、牛羊肉の販売や皮毛加工、飲食業に従事する。青海における回族先民の活動は唐、宋時期まで遡るが、多数の回族が青海に移住してきたのは代である。回族は漢語を話すが、一部地区ではチベット語を話す者もいる。
  • 土族 - 人口19万人。モンゴル系。吐谷渾の末裔といわれる。
  • サラール族(撒拉族)- 人口9万人。テュルク系

教育

経済

2004年の全省生産総額は対前年比17.2%増の455億人民元であった。もともと毛沢東時代に対ソ連戦争に備えて、軍事工業が内陸の青海に配置されていたが、2000年以来、国務院の西部大開発計画によって工業化が進展している。しかし、少数民族の農牧民の収入は依然として低い水準にある。2006年7月1日ゴルムドラサを結ぶ青蔵鉄道が開通した。

関連項目

外部リンク

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