青島健太

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テンプレート:Infobox baseball player 青島 健太(あおしま けんた、1958年4月7日 - )は、新潟県出身[1]の元プロ野球選手内野手)。新潟県新潟市生まれ[2]

現在は主にスポーツキャスターとして活躍している。

来歴・人物

春日部高校から慶應義塾大学へ進学。主に三塁手としてチームの中軸を打ち、テンプレート:By秋季リーグ戦ではシーズン6本塁打(当時1位タイ)、22打点(現在もリーグ記録)を挙げて脚光を浴びる。東京六大学野球通算74試合に出場し260打数79安打、10本塁打、52打点、打率.304。

東芝を経て、テンプレート:Byドラフト外ヤクルトスワローズに入団。テンプレート:By5月11日の対阪神戦(神宮)で、工藤一彦からプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初本塁打を放つ[3]

しかし、木製バットへの順応が遅れた上、故障も相次ぐなどして一軍と二軍を行き来する日々が続いた。テンプレート:Byを最後に現役引退。その後、オーストラリアで日本語教師を受け持つ。日本に帰国後はスポーツジャーナリストに転向。執筆業の傍らTBSテレビ2000年代中期まで)・TBSラジオJ SPORTSで解説を務めるほか、スポーツニュースや早朝の情報番組のキャスターを務めた経験も持つ。また、スポーツ選手のトークショーやシンポジウムなどのMCを務めることも多い。

テンプレート:By日本野球連盟に加盟した硬式野球のクラブチーム「ウェルネス魚沼」(新潟県魚沼市)の監督に就任(その後、総監督に就任)。オーストラリア出身の選手を主体とするチーム編成で注目を集めたものの、春の都市対抗野球県予選で敗退して豪選手は全員帰国し、チームは事実上解散。同年7月、チームの運営方針を巡る意見の相違から総監督を辞任した。

しかし、辞任直後の8月にセガサミーホールディングスが硬式野球部を立ち上げることが決まり、監督として白羽の矢が立った。同年発足したセガサミー硬式野球部の監督に就任。翌テンプレート:Byから公式戦に参戦した。同年は都市対抗野球大会東京都2次予選の第1代表決定戦に進出したもののそこから5連敗を喫して「初参戦初出場」の偉業は達成できなかったが、翌2007年第78回都市対抗野球大会には東京都第3代表で初出場を決めた。同年10月のJABA千葉市長杯争奪野球大会でセガサミー初タイトル獲得を置き土産に退任した。

日本医療科学大学客員教授。

『オールスター感謝祭'99 超豪華!クイズ決定版 この秋お待たせ特大号』では59問3:09.24で優勝した(前半終了時でも41問2:28.56でトップ)。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 ヤクルト 24 44 40 6 9 3 0 1 15 1 0 0 0 0 3 0 1 13 0 .225 .295 .375 .670
テンプレート:By2 14 8 8 1 1 0 0 0 1 1 0 1 0 0 0 0 0 3 0 .125 .125 .125 .250
テンプレート:By2 58 39 34 6 5 0 0 1 8 1 0 0 0 0 5 2 0 12 1 .147 .256 .235 .492
通算:3年 96 91 82 13 15 3 0 2 24 5 0 1 0 0 8 2 1 28 1 .183 .264 .293 .556

記録

  • 初出場:1985年5月11日、対阪神タイガース4回戦(明治神宮野球場)、6回裏に大川章の代打として出場
  • 初打席・初安打・初本塁打・初打点:同上、6回裏に工藤一彦からソロ ※史上20人目の初打席初本塁打
  • 初先発出場:1985年5月12日、対阪神タイガース5回戦(明治神宮野球場)、1番・三塁手として先発出場

背番号

  • 4 (1985年 - 1989年)

関連情報

CM

映画

  • オイジョン(Oyijon) ヨウジ役 2001年のウズベキスタン映画

現在の出演番組

テレビ
ラジオ


ポッドキャスト

過去の出演番組

テレビ
ラジオ

関連項目

脚注

  1. 青島 健太|プロ野球チームをつくろう!ONLINE 2
  2. 青島健太プロフィール 講演依頼.com|講演会の講師紹介
  3. テンプレート:Cite news

外部リンク

テンプレート:TBSオールスター感謝祭チャンピオン