霞が関

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霞が関(かすみがせき)は、東京都千代田区の地名。現在の麹町は旧麹町区にあたる麹町地域内である。

地理

麹町地域の南西側に位置し、港区赤坂虎ノ門西新橋)との区境にあたる。日本の行政機関庁舎が建ち並んでいることで知られる。

歴史

奥州街道の関所として中世から東国の名所として広く知られており、1364年貞治3年)の『新拾遺和歌集』にも「徒らに名をのみとめてあづま路の霞の関も春ぞくれぬる」として詠まれているが、これが現在の千代田区霞が関にあたるかどうかについては異論もあり、具体的には新宿区霞岳町狭山市下広瀬、多摩市関戸などが候補として挙がっている。

ファイル:Kasumigaseki brick street.jpg
霞が関の煉瓦街(1930年代)

江戸時代までは大名屋敷が並ぶ地域であった。明治時代に大火があり、跡地に外務省海軍省有栖川宮邸などが置かれたことをきっかけに、官公庁施設の集積地(正式には中央官衙地区(ちゅうおうかんがちく)または霞が関一団地の官公庁施設と呼ばれる)としての計画的な整備が進められ、官庁街になる。

これが転じて、「霞が関」という語は、「日本の中央官界」の代名詞としても使われている。また、中でも最も古くから霞が関にある「外務省」の代名詞として、「官邸外交」に対する「霞が関外交」のように用いられることもある。

戦後は米軍の業務、住宅施設が存在していた時期もあった。

1967年4月1日住居表示が施行され[1]1968年に日本初の超高層オフィスビルである霞が関ビルディングが完成している。

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ各町名ともその一部)
霞が関一丁目 1967年4月1日 霞ケ関一丁目、霞ケ関二丁目、霞ケ関三丁目
霞が関二丁目 霞ケ関一丁目、霞ケ関二丁目
霞が関三丁目 霞ケ関三丁目、三年町、永田町二丁目
永田町一丁目 永田町一丁目(大部分)、三年町、霞ケ関一丁目、霞ケ関二丁目、霞ケ関三丁目

施設

ファイル:Keishicho.jpg
警視庁本庁舎
ファイル:Kasumigaeki common gate.jpg
霞が関コモンゲート

霞が関一丁目

霞が関二丁目

霞が関三丁目

交通

鉄道

バス

首都高速道路

脚注

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関連項目

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外部リンク

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  1. 同年4月11日、自治省告示第81号「住居表示が実施された件」