阿部知子

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テンプレート:日本の国会議員 阿部 知子(あべ ともこ、1948年4月24日 - )は、日本医師政治家衆議院議員(5期)、日本未来の党(政治団体)代表。

社会民主党政策審議会長(第7代)、みどりの風代表代行などを歴任。

来歴

生い立ち~医師

東京都目黒区生まれ。未熟児で体が弱かったため、幼稚園には通えなかった。お茶の水女子大学附属高等学校を卒業し、国際基督教大学に進学するが、1957年岸信介訪米反対闘争で同い年の男子学生が死亡したことをきっかけに、医師を志すようになる。1958年に東京大学医学部に進学し直し、卒業した。東大紛争の最盛期に入学し、東大在学中は社会主義同盟に参加していた。1977年から稲田登戸病院小児科に勤務する。1980年から国立小児病院神経科、1983年から東京大学医学部附属病院小児科にそれぞれ勤務し、1993年から1年間、アメリカ合衆国メイヨークリニック疫学部に留学。1999年から2000年まで、千葉徳洲会病院長。衆議院議員に当選した2000年からは、徳洲会系の湘南鎌倉総合病院に非常勤で勤務し、外来を担当している(新生児から思春期の子どもを診療)。

佐高信らが在籍したフロントや、八代英太田英夫らが結成したMPD・平和と民主運動、田が党首を務めた平和・市民、地方議会に議席を有する市民の党に参加した後、社会民主党に入党する。1998年第18回参議院議員通常選挙に社会民主党公認、自由連合推薦で神奈川県選挙区(定数3)から出馬したが、得票数5位で落選した。なお、自由連合は徳洲会の創始者である徳田虎雄が立ち上げた政党であり、2005年第44回衆議院議員総選挙に際しても阿部を推薦した。

社会民主党時代

2000年6月、第42回衆議院議員総選挙神奈川県第12区から社会民主党公認及び神奈川県医師会公認で出馬し、選挙区では民主党江崎洋一郎自由民主党桜井郁三らに敗れ、得票数は4位であったが重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選した。以後、5期連続で当選を続けているが、全て神奈川県第12区で敗北し比例復活による当選である。2003年、社民党を離党した大脇雅子の後任の政策審議会長に就任し、阿部自身が2012年に離党するまで、9年間にわたり党政策審議会長を務めた。その間は執行部の一員ではあるものの、2007年11月の社民党党首選告示に際しては唯一の立候補者であった福島瑞穂の推薦人に大半の党所属国会議員が名を連ねる中、阿部は推薦人にならず、「護憲のみに偏重した現在の党の活動は改めるべき」と注文をつけ、党内では現実路線を訴えた。党首選後の社民党の役員選考委員会で、福島瑞穂党首は阿部を執行部から外し、辻元清美(元政審会長)を再び政審会長に起用する考えであったが、辻元が固辞したため、結局阿部を政審会長に留任させた[1][2]

2009年第45回衆議院議員総選挙では社民党の公認に加え、国民新党から推薦を得たが、民主党との候補者調整が不調に終わり、民主党は中塚一宏を擁立。神奈川12区では中塚が当選し、阿部は前回総選挙に比べ1万票以上を上乗せした47,538票を獲得したものの、比例南関東ブロックで復活し4選を果たした。

日本未来の党結党

2012年11月15日、社民党を離党する意向を表明し、離党にあたって改めて、党首選挙が1996年の結党以来一度も行われていない閉鎖的な社民党の体質を批判した。11月23日、自身のホームページ上で当面は無所属で活動する意向を表明していたが、11月27日滋賀県知事嘉田由紀子を党首に結成された日本未来の党に参加[3][4]11月30日、日本未来の党神奈川県連の代表に就任した[5]12月1日日本未来の党副代表に起用される[6]第46回衆議院議員総選挙では日本未来の党公認で神奈川12区から出馬し、選挙区では自民党の星野剛士に敗れ次点であったが、比例南関東ブロックで復活し、5選[7]。選挙後、嘉田が日本未来の党の共同代表に阿部を起用する人事案を提示したが、党内の小沢一郎に近い議員らが反発。日本未来の党は、小沢らが主導する形で生活の党を結党(党名変更)し、嘉田、阿部は同党を離党して政治団体である日本未来の党を結成し、共同代表に就任した。その後、滋賀県議会が嘉田知事に対し知事、政党党首の兼任解消要求決議を行ったため、2013年1月20日の結成総会で嘉田の代表辞任と阿部の代表就任が正式了承された[8]

みどりの風への入党

2013年5月13日国会内でみどりの風代表の谷岡郁子と記者会見を開き、日本未来の党代表のまま、みどりの風に入党する意向を表明した[9]。同年5月29日、みどりの風は阿部の入党及び党代表代行への就任を正式に発表[10]。同年7月の第23回参議院議員通常選挙では、代表の谷岡を含む全立候補者が落選し、所属国会議員数が5人を下回ったため、みどりの風は政党要件を喪失。それ以降、みどりの風は政治団体としての活動の実態がほとんどなくなり、同年12月31日に解散した。

政策・主張

戦没者の遺骨収集

戦没者遺骨収集事業に関心を持ち、海外での遺骨収集事業に積極的に参加している。これまでに遺骨収集のためモンゴルインドネシアフィリピンを訪問した。この活動を通じて、自由民主党国会議員にも知己が多い。第二次世界大戦から60年以上が経過しても今なお海外に多くの戦没者の遺骨が散逸して放置され、祖国への帰還が進んでいない現状に強い問題意識を持ち、衆議院厚生労働委員会において繰り返し質疑を行う。また遺骨収集事業に政治が責任と決意を持つべきという考えから、2004年10月27日の衆議院厚生労働委員会において、尾辻秀久厚生労働大臣(当時)に対し遺骨収集推進のための特別措置法の策定を提唱した。

サハリン残留韓国人の救済運動

2011年2月25日東京永田町の衆議院第1議員会館土肥隆一今野東石毛鍈子笠井亮らと、韓国の国会人権フォーラム代表の黄祐呂議員らと協議会を開催。被害を受けたとする韓国人原告の側に立ち日本政府に責任を問う訴訟を行ってきた高木健一弁護士が主導したサハリン残留韓国人の補償と支援に向け、日韓の企業と政府が一定の基金を出し合い、財団を設立する案に合意した[11][12]

臓器移植法

小児科医の経験から臓器移植法の改正、特に河野太郎衆議院議員らが積極的に推進した「本人の同意を必要としない臓器摘出」を可能にする臓器移植法改正案に反対し、その対案として提出された「臓器の移植に関する法律の一部改正法案」の提出者に名を連ねた。また自身のホームページにおいて「私たち医師は、学生時代にまずこの献体された遺体を解剖させていただく時に、人の身体の尊厳と遺志に自ずと手を合わせる。人の身体は物ではない」と述べ、脳死は人の死ではなく、臓器提供については「本人の同意が前提」との立場を採っている。

北朝鮮問題

北朝鮮による日本人拉致問題に関し、社民党に対する批判が高まりを見せる中で、阿部は「当時の日本社会党北朝鮮との過去の関係について検証し、国民に説明と謝罪をすべき」とした上で、与党が主張する北朝鮮への経済制裁に同調する姿勢を見せた。しかし、土井たか子渕上貞雄福島瑞穂保坂展人・辻元清美らの議員らは経済制裁に強硬に反対。その後、阿部は拉致議連への入会を申し出たが、拉致被害者家族会の旧社会党・社民党に対する疑念や不信を理由に拒否された。2002年10月には田嶋陽子大渕絹子参議院議員が北朝鮮による日本人拉致問題をめぐる一連の社民党の対応を批判し、阿部もこれらの批判に賛同はしたものの、田嶋・大渕のように離党には踏み切らなかった。なお、阿部に同調し、北朝鮮への経済制裁を主張した横光克彦第43回衆議院議員総選挙直前に社民党を離党し、民主党に入党した。一方、高校無償化をめぐっては朝鮮学校への適用に賛成し、2013年4月25日に実施された「『高校無償化』制度の朝鮮学校への即時適用と補助金復活を求める院内集会」に参加した[13]

永住外国人への地方選挙権付与

永住外国人の地方選挙権付与に賛成[14]2011年3月に提出された外国人住民基本法案の制定に関する請願の紹介議員を務めた。

選択的夫婦別姓制度

選択的夫婦別姓制度の導入に賛成。2010年にも選択的夫婦別姓の導入など民法の改正を求めることに関する請願を法務委員会に提出した[15]

阪神大震災と自衛隊に関する発言

メールマガジン第253号「国民保護は地方自治から」の中で、1995年に起きた阪神大震災において「国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経た後のことであった」と発言した。この発言に対し「社会党首班の連立政権村山内閣)だったにも関わらず、どうしてそんなことが言えるのか」といった批判の声が出た(ただし、阿部は当時はまだ社会党の議員ではなかった)。自身のホームページで「たくさんのご意見をちょうだいして」と題し、「事実認識のあいまいさに起因する部分もあった」と釈明した[16]

政党交付金

政党交付金(政党助成金)など、政党・政治団体への公費助成制度については、「NPOへの公的支援と同じく、お金の無い人が政治に参加するための重要な手段」と位置づけ、助成金の増額を訴えている。

人物

  • 衆議院議員に当選後も非常勤小児科医として医療に携わっているため、医師不足の問題や、高齢者医療(後期高齢者医療制度)などに対して積極的な発言を行っている。
  • 2003年静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わった[17]
  • 徳洲会系列の病院に勤務した経験から、徳洲会グループの創始者である徳田虎雄との関係が深く、過去の選挙では徳田が設立した自由連合からの推薦・支援も受けていた。
  • 亀井静香野中広務鈴木宗男自見庄三郎などを講演会に招くなどしており、保守政治家との交友が広い。なお亀井も、日本未来の党を第46回衆議院議員総選挙後に離党し、みどりの風に入党した。
  • 社民党在籍時は、党首・福島瑞穂との対立、確執がしばしば報じられ、阿部自身も「社民党に始末書をとられたことがある」と発言している[18]。社民党神奈川県連幹事長の高橋八一は第22回参議院議員通常選挙において、社民党の票分割計画に従わず、比例区で福島瑞穂ではなく保坂展人を応援したことについて、「議員として優秀でも組織のルールに基づいて行動しなければそれなりの対応しかできない」と批判し、次期衆議院議員総選挙で比例南関東ブロックへの重複立候補を認めない方針を示唆していた(結果的には、阿部は選挙前に社民党を離党した)[19]。また高橋は阿部が社民党離党を表明した際にも「12年間一緒にやってきたのに、あまりにも失礼だと思う」と発言した[20]

不祥事

選挙時の徳洲会からの借金・職員派遣

徳洲会系列の病院に勤務した経験があり、2013年11月の時点では、徳洲会グループの創始者である徳田虎雄が療養中の湘南鎌倉総合病院で非常勤の小児科医として勤務している阿部は、徳洲会グループの創始者である徳田虎雄が設立した自由連合が、唯一の所属国会議員であった徳田毅の離党により事実上活動を休止した後も、2012年の第46回衆議院議員総選挙で選挙事務所に徳洲会グループの職員の派遣を受けるなど、選挙支援を受けた[21]。また、総選挙に際し徳田から300万円を借り入れていたことが神奈川県選挙管理委員会が2013年11月27日に公表した政治資金収支報告書で判明した。これについて、阿部の秘書は、「前日に社民党を離党していて金が必要との認識もあり、衆議院解散当日の2012年11月16日、徳洲会の湘南鎌倉総合病院で入院中の徳田に会い、選挙資金として1年以内に返すつもりで、その場で現金で借りた。徳田とは長年の信頼関係があり、借用書は作っていない」、「300万円は2013年10月8日付で2%の金利を付けて徳田に返却した」などと説明している[22]

元公設秘書による訴訟

2004年12月24日、女性Bが阿部の公設第1秘書(当時)だった男性Aと阿部に慰謝料1億円を求める訴訟を起こした。その理由は女性Bが勤務先の国立機関の上司Cにセクシャルハラスメントの被害を受けていたことについて男性Aに相談中に、当の相談相手の男性Aより性的暴行を受けたというもので、このことについて女性Bは阿部にも相談したが取り合ってもらえなかったと主張している。女性Bは2003年3月、元秘書の男性Aを強姦致傷罪の疑いで警視庁告訴した。なお、これについて元秘書Aは「反訴や刑事告訴も検討したい」とし、阿部事務所側も「訴状を見ておらず、コメントできない」としている[23]。刑事手続きでは送検されず、裁判は民事のみとなった。2009年10月28日、元秘書は名誉毀損反訴した。

所属団体・議員連盟

著書

  • 単著
    • 『死を看とる心 / 樹心の会』永田文昌堂、1986年
    • 『見てわかる0〜12か月赤ちゃん育児book』成美堂出版、1998年
    • 『思春期外来診療室』学陽書房、1998年
    • 『子どもがかかりやすい病気の事典』中央公論社、1999年
    • 『眠れない夜はお母さんそばにいて』ゆみる出版、2000年
    • 『いのちの危機に』ゆみる出版、2002年
    • 『赤ちゃんを産む場所がない!?』ジャパンマシニスト社、2008年
  • 共著
    • 阿部知子・保坂展人『どうなる!?高齢者の医療制度』ジャパンマシニスト社、2008年

脚注

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関連項目

外部リンク

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テンプレート:S-ppo |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
行田邦子 |style="width:40%; text-align:center"|みどりの風代表代行
第2代:2013年 - |style="width:30%"|次代:
(現職) |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
嘉田由紀子 |style="width:40%; text-align:center"|日本未来の党代表
第2代:2013年- |style="width:30%"|次代:
(現職) |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
大脇雅子 |style="width:40%; text-align:center"|社会民主党政策審議会長
第7代:2003年 - 2012年 |style="width:30%"|次代:
吉田忠智

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テンプレート:日本未来の党
  1. 中日新聞 2007年12月23日 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007122301000079.html
  2. 朝日新聞 2007年12月23日 [1]
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  11. 韓国新聞・政治-韓日国会議員、東京でサハリン残留韓国人問題を論議/wowkorea.jp[2]
  12. 強制徴用被害者への補償、韓日官民の共同解決を推進(聯合ニュース)[3]
  13. 『朝鮮学校差別問題で院内集会/国会議員など日本人士も参加、180余人 〝許さない!子どもたちへの差別〟』(朝鮮新報)
  14. 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
  15. http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/174/0004/17403260004005c.html
  16. 2007年1月26日Jcastニュース
  17. 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ
  18. 「社民党の異端児」阿部氏がみつめる理想と現実
  19. カナロコ 3月11日(日)6時0分配信
  20. カナロコ 11月16日(金)5時0分配信
  21. 「徳洲会、他党候補も選挙応援 虎雄氏、影響力拡大ねらう」朝日新聞2013年11月14日
  22. 『毎日新聞』(2013年11月27日)「徳洲会 阿部知子議員が300万円借金 金利付けて返済
  23. 朝日新聞、産経新聞(共に関西版)2004年12月25日