阪神百貨店

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阪神百貨店(はんしんひゃっかてん)は、エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社傘下の株式会社阪急阪神百貨店が運営する日本の百貨店である[1]。また、株式会社阪神百貨店は、2008年(平成20年)9月30日までこれを運営していた企業である[2]

歴史・概要

ターミナルデパート設立への序章

1925年大正14年)4月に阪神急行電鉄梅田停留所構内にあった白木屋出張所を契約満了を理由に退去した白木屋の代替の店舗として1926年大正15年)10月1日に当時の阪神電気鉄道梅田停留所構内に白木屋阪神出張店を開業[3]させたのが阪神によるターミナルデパートの始まりである。

大正時代の終わり頃から大阪市営地下鉄御堂筋線の新設計画に合わせて現在地付近への延伸と駅の移転を含む大阪市の構想への対応を求められていた阪神電気鉄道は、その延伸費用の回収のために1929年(昭和4年)に大阪市に百貨店用地の分譲を求め[4]、そのテナントとして南海電気鉄道難波駅に進出していた高島屋[5]1930年(昭和5年)にビルの賃貸の予約の覚書を交わし[4]、直営ではなくテナントの招致によるターミナルデパートの開設を当初は計画し[4]、その計画に基いて1931年(昭和6年)12月には建物の設計まで終えた[5]

その後、1933年(昭和8年)3月には阪神電気鉄道梅田停留所構内の店舗を直営の阪神マートを開業して直営によるターミナルデパート経営の第一歩に踏み出し[6]1937年(昭和12年)1月22日に阪神電気鉄道の役員会で「阪神ビルの百貨店は資本金2百万円の株式会社阪神百貨店を新設し阪神傍系の別会社として経営する」と決定し、その日のうちに創立総会を開いて株式会社阪神百貨店を新設し、一般から公募せずに全株式を阪神電気鉄道が引き受ける完全子会社とすることで事実上直営化する方向へ方針転換をした[5]

そして同年3月に計画地のうち御堂筋沿いの角地を取得したが[5]、1月の百貨店新設の発表に猛反発した阪急電鉄が一日平均1.8万人の乗客で混雑する梅田駅の混雑緩和を目的に昭和初期から計画していた南側への新駅開設に必要だとして[5]、ビルの建設予定地の西半分に当たる約2,000坪を地主から密かに買収してしまった[5][7]ため、大阪市や中央政界・中央官庁などを巻き込んでその土地の取得を巡って阪急電鉄と激しい紛争を繰り広げることになったが、1938年(昭和13年)5月19日に大阪市の決定で無事構想通りの用地取得に成功した[5]

しかし、この間に戦時体制の一環として鉄材の節約を理由に同年7月に百貨店などの高層建築の中止命令が出され[8]、百貨店法による許可も受けていなかった[8]ため構想の実現が不可能になり、1940年(昭和15年)5月26日[9]に地上8階の予定が縮小されて地上4階地下2階として建設された梅田阪神ビルディングの地下1階に[10]阪神マートを移転させて規模を大幅に縮小して開業する[9]ことを余儀なくされた。

ファイル:In front of Osaka Station at night 1950s.jpg
中央が阪神百貨店 大阪駅ホームより
1955年(昭和30年)頃

百貨店の開業

第二次世界大戦後に再び構想の実現に取り組み、その一環として梅田阪神ビルディングの北側地下道の両側に1951年(昭和26年)に全国名菓名物街を開業し[4]、11月1日に売り場を1階まで拡張した際に屋号を阪神百貨店と改め[10]1952年(昭和27年)には1階に京阪神の甘辛の一流店を集めて阪神甘辛のれん街を開設する[10]など、この頃から専門店を誘致した委託部門優先をしていた[10]

そして1957年(昭和32年)4月に改めて2代目の株式会社阪神百貨店を設立し[4]、同年6月1日に地上4階地下2階の新館開館と共に念願の百貨店の開業[9]に漕ぎ着けた際にも、阪神電気鉄道梅田駅から直接入店できる出入り口を設置[4]してターミナルデパートの強みをフル活用しつつ、取引先のノウハウを活用する委託優先・専門店招致の方針を掲げて後発によるノウハウの不足を補う方針で営業を開始した[10]

その後1958年(昭和33年)3月に増床[6]1963年(昭和38年)6月に大阪神ビルが竣工して第二次世界大戦前の当初構想の店舗面積へ拡大し[4]、現在の規模の店舗となった。

小型店の出店による多店化

長らく梅田本店のみの営業を続ける堅実経営で知られていたが、親会社の阪神電気鉄道が阪神西宮駅高架下にに2003年(平成15年)3月18日に開業したエビスタ西宮内に売場面積4,998m²の阪神・にしのみやを開業[11]したのを皮切りに多店化に乗り出し、2006年(平成18年)10月4日には三宮駅前の神戸新聞本社ビルであるミント神戸の地下1階に食品売場のみで売場面積1,276m²のさんのみや・阪神食品館[12]2008年(平成20年)3月20日には阪神電気鉄道御影駅前の御影クラッセ内に売場面積5,900m²の阪神・御影[13]2009年(平成21年)10月20日にはJR尼崎駅前のCOCOE[14]に売場面積5,329m²のあまがさき阪神を相次いで開業し、グループの地盤である阪神間で小規模店による多店化を進めた。

しかし、阪神・にしのみやは初年度に目標を上回る年間売上約57億円を達成した[15]が、阪神・御影2009年(平成21年)3月期で年間売上約29.56億円[16]と目標の50億円[17]を大きく下回ったため、開業から1年半弱の2009年(平成21年)8月5日に不振だった食品売り場の75%にあたる2080m²を兄弟会社の食品スーパー阪急オアシスの経営に切替えて縮小し[18]2010年(平成22年)3月期で年間売上約12.01億円[19]と低迷して赤字になっていたさんのみや・阪神食品館[20]をその期末で一旦休業して同年12月末に営業を再開させずにそのまま正式に閉店[21]2011年(平成23年)7月24日には阪神・御影の2階売場を閉鎖して2度目の規模縮小を行って売場面積804m²まで縮小し[1]あまがさき阪神も赤字でこそないものの2011年(平成23年)3月期で年間売上約36.33億円、2012年(平成24年)3月期で年間売上約37.27億円と初年度の売上高目標40億円を下回り続けており、多店化は必ずしも成功していない。

また、阪神間以外にも2006年(平成18年)7月26日に奈良県大和郡山市イオンモール大和郡山に売場面積約1万m²で出店する計画が発表された[22]が、阪急百貨店との業務提携に向けた経営方針の見直しの一環で出店地域を京阪神地区に注力するとして、同年11月10日に出店計画を撤回している[23][24]

食品販売の強さ

百貨店化する以前の1951年(昭和26年)の全国名菓名物街1952年(昭和27年)の阪神甘辛のれん街など個性と伝統のある店を集める名店街や各地の名物食品を集めて販売した[10]伝統から発展し、2005年(平成17年)3月期で売上高1,095.06億円のうち食料品が415.23億円と40%弱を占めた[6]ほど梅田本店の食品売場の人気は高く、「日本一のデパ地下」(地下食品売り場)と呼ばれることもある。

京王百貨店との提携

2000年(平成12年)から同様にグループの鉄道沿線のターミナルデパートのみを展開し、全国展開していない東京都新宿区京王百貨店と業務提携し、紳士服の共同企画や質流れバザールや全国駅弁うまいもの市などの催事情報の交換を行うようになった[25]

2002年(平成14年)7月からは京王百貨店も「阪神タイガースショップ」を新宿店に開設し[25]2003年(平成15年)阪神タイガース優勝セールを共催した[26]

株式会社阪神百貨店

1937年(昭和12年)1月22日に設立された初代株式会社阪神百貨店[5]は戦時体制の強化に伴って百貨店の開業が出来なかった[8]為消滅し、1957年(昭和32年)4月17日に2代目の株式会社阪神百貨店が改めて設立し直され[6]、本格的な百貨店を開業している。

1966年(昭和41年)12月に株式額面変更のため、1947年(昭和22年)6月30日設立の企業が存続企業となって2代目の株式会社阪神百貨店を吸収合併して3代目の株式会社阪神百貨店となり[6]1967年(昭和42年)10月30日に大阪証券取引所第二部に上場し[6]1969年(昭和44年)2月からは第一部に上場していた[6]が、グループの再編に伴い、2005年(平成17年)10月1日[27][28]付けで阪神百貨店株1に対し阪神電気鉄道株1.80が割り当てられた株式交換によって阪神電気鉄道の完全子会社化される[27]ことになり、2005年(平成17年)9月27日に上場廃止された[28]。(従来は電鉄が発行済み株式の52.4%を保有)

この上場廃止日に村上世彰が率いるM&Aコンサルティング(村上ファンド)が阪神百貨店の株式18.19%を保有していることが判明し、他の株式と同様に阪神電気鉄道株式に交換されて村上ファンドがもつ阪神電気鉄道の持ち株比率が38.1%となった[27]ため、阪急ホールディングス(現・阪急阪神ホールディングス)がホワイトナイトとして村上ファンドが所有していた阪神電気鉄道の全株を取得し、一般の株主から買収した分を合わせると、電鉄の発行済株式の64.76%を保有することとなり、電鉄は阪急ホールディングスの子会社となった。

そのため、同じ阪急阪神東宝グループ阪急百貨店と提携の検討が阪急阪神ホールディングスの統合後[29]からされて、2007年(平成19年)10月1日に阪急百貨店と経営統合してエイチ・ツー・オー リテイリングの完全子会社へ移行した[30]

そして、百貨店の運営会社を1社に統合するため2008年(平成20年)10月1日に株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を吸収合併して商号を株式会社阪急阪神百貨店へ変更し、株式会社阪神百貨店は消滅した[2]

梅田本店の建替え計画

2006年(平成18年)8月に当時の親会社阪急ホールディングスの社長が「統合を象徴する事業」として梅田本店の建替えの検討を発表し[31]2007年(平成19年)3月に2012年(平成24年)度竣工を目途に南隣の新阪急ビルと一体化して全面建て替えを行うとなり(朝日新聞2007年(平成19年)3月22日付)、2008年(平成20年)9月22日には2012年(平成24年)の梅田阪急ビルの完成後に現在の新阪急ビルのテナントをそこに移転させて建て替えを行い、建替え後の新阪急ビルに梅田本店を移転させ、その後に現在の梅田本店のビルを建替える2段階の構想となり[32]2013年(平成25年)に新阪急ビルの工事を始めるとされていた[33]。 しかし、2011年(平成23年)2月に「容積率の緩和に関係する法律の改正も見通せない状況に加えて、オフィスビル市況の悪化もある」「当初描いていたスケジュールをペースダウンし、着工時期を遅らせる方向だ」として延期する方向となっていた[34]

2013年(平成25年)1月、阪急阪神ホールディングスは阪神百貨店梅田本店の建て替えの方針を固め、具体的な手続きに入ったと報じられた[35]。これによると事業費は最大1千億円規模を見込み、隣接している阪神梅田駅の改修も同時に行い、完成には10年を要する一大事業となるとした。これを受けて持株会社のエイチ・ツー・オー リテイリングは阪神梅田本店の建て替えを正式に発表[36]。阪神電気鉄道と合意に達し、建て替えの為の具体的な検討に入るとした。 そして、2014年(平成26年)3月、阪神電気鉄道阪急電鉄は阪神梅田本店が入居する大阪神ビルと隣接する新阪急ビルを建て替え、2018年(平成30年)春頃に百貨店を先行開業させ、2021年(平成33年)秋頃の全面開業を目指すとした。2014年秋頃から西側の百貨店の営業を続けながら東側の解体を始め、東側建て替え後に西側を建て替える。売り場面積は現在と同程度の53000平方メートルになる予定[37]

沿革

  • 1933年(昭和8年)3月 - 阪神電気鉄道の旧梅田停留場に白木屋阪神出張店を開業[3]
  • 1933年(昭和8年)3月 - 阪神電気鉄道の付帯事業として旧梅田停留場に阪神マートを開業[6]
  • 1940年(昭和15年)5月26日 - 阪神マートを本店の現在地に移転[9]
  • 1951年(昭和26年)11月1日 - 売り場を1階まで拡張し、屋号を阪神百貨店と改称[10]
  • 1957年(昭和32年)4月17日 - 阪神電気鉄道から百貨店事業を分離独立するため、2代目の株式会社阪神百貨店を設立[4]
    • 6月1日 - 地上4階地下2階の新館開館に合わせて、阪神電気鉄道より営業譲渡を受け、本格的な百貨店を開業[9]
  • 1958年(昭和33年)3月 - 増床[6]
  • 1963年(昭和38年)6月 - 大阪神ビルが竣工し、現在の阪神百貨店梅田本店の規模になる[4]
  • 1967年(昭和42年)10月30日 - 大阪証券取引所第二部に上場[6]
  • 1969年(昭和44年)2月 - 大阪証券取引所第一部に上場[6]
  • 1978年(昭和53年) - アルファベットの「H」と「S」、四つ葉のクローバーをモチーフにした草刈順デザインの現行ロゴに変更。
  • 1995年(平成7年)5月 - 台湾高雄市に漢神百貨を開業[38]
  • 2000年(平成12年) - 京王百貨店東京都新宿区)と提携[25]
  • 2003年(平成15年)2月23日 - 熊本県熊本市にくまもと阪神を開業[39]
  • 2005年(平成17年)9月27日 - 上場廃止[28]
  • 2006年(平成18年)7月26日 - 奈良県大和郡山市イオンモール大和郡山への出店計画発表[22]
    • 9月22日 - 株式会社阪急百貨店と包括的業務提携。
    • 11月10日 - イオンモール大和郡山への出店計画を撤回[23]
  • 2006年(平成18年)10月4日 - 三宮駅前のミント神戸にさんのみや・阪神食品館を開業[12]
  • 2007年(平成19年)10月1日 - 株式交換によりエイチ・ツー・オー リテイリング株式会社の完全子会社となり、阪急百貨店と経営統合[30]
  • 2008年(平成20年)3月20日 - 阪神電気鉄道御影駅前の御影クラッセに阪神・御影を開業[13]
    • 10月1日 - 運営会社合併により、株式会社阪急阪神百貨店の運営となる[2]
  • 2009年(平成21年)8月5日 - 阪神・御影の食品売り場の75%を阪急オアシスの経営に切替[18]
    • 10月20日 - JR尼崎駅前のCOCOEにあまがさき阪神を開業[14]
  • 2010年(平成22年)4月1日 - さんのみや・阪神食品館を休業[21]
    • 12月末 - さんのみや・阪神食品館を正式に閉店[21]
  • 2011年(平成23年)7月24日 - 阪神・御影の2階売場を閉鎖して売場面積804m²に縮小[1]

直営店舗

梅田・尼崎・西宮・御影の4店である。

梅田本店

テンプレート:商業施設 現在も阪神百貨店の売上の約90%を稼ぎ出す圧倒的な主力店舗で、大阪ステーションシティなどの開業に伴う競合激化で売上高は2011年(平成23年)3月期の約960.45億円[40]から2012年(平成24年)3月期は約923.5億円[1]に減少したものの2010年(平成22年)3月期の約921.85億円[19]を上回り、エイチ・ツー・オー リテイリング全体でも阪急百貨店うめだ本店に次ぐ売上と売場面積を誇っている[1]

アクセス

阪神電車梅田駅が最も近い。直上である。地下鉄西梅田駅梅田駅にもほぼ隣接。東梅田駅からもそう遠くない。車の場合は、駅前第2ビルなどの駐車場を利用することになる。

売場の特徴

梅田店地下1階の「スナックパーク」は、1957年(昭和32年)から続く有名なイカ焼き[41]をはじめ、ちょぼ焼き(たこ焼きの元祖といわれている)、野菜焼(キャベツ焼き)えきそば(姫路駅名物の黄そば)カレーライス寿司、麺類などがそろったフードコートで値段が安く人気がある。また地下食料品売り場(デパ地下)は充実しており、梅田店の売り上げの半数近くを占める。このことから関西地方では『高級派の阪急百貨店』、『庶民派の阪神百貨店』と言われている。 ちなみに、阪神百貨店で有名な鮮魚コーナーとさかな屋の寿司を経営している会社は、株式会社阪神髭定である。 他に地下2階の阪神梅田駅コンコース脇には、各種飲食店が並ぶ「フードテリア」(PiTaPaiDが利用可能)もある。


ファイル:阪神タイガースショップA.png
8階 阪神タイガースショップ 球団マスコットのトラッキーの人形が来店客を出迎えてくれる

8階には阪神タイガースショップがあり、ファン以外にも大阪土産を求める客で年中にぎわっている。近年の好調な成績により、売り場面積とレジの台数が拡張された。年始には選手直筆サイン入りグッズが入ったタイガース福袋を販売している。

なお阪神タイガースショップは、2003年(平成15年)2月23日に開店した「くまもと阪神」(2011年(平成23年)2月23日より「県民百貨店」に改称)、および2009年(平成21年)10月20日に開店した「あまがさき阪神」にも設けられている。

2011年(平成23年)に30~40歳代の女性向けのブランドを新規導入して衣料・雑貨売場の改装を行ってOL向けの売上確保を目指すなど、新たな顧客層の開拓も目指している[42]

かつては5階に、百貨店としては珍しい高級オーディオ専門コーナー「オーディオファイル」が設けられていたが、2009年(平成21年)3月3日に閉鎖された。

梅田本店は「しあわせをつつむグリーンのクローバー」のコマーシャルソングが流れていた頃は、「おおさか・うめだ・いちばんち」に所在していたが、住居表示の実施に伴い梅田一丁目13番となり、CMでは使われなくなった。2006年(平成18年)現在でも不動産登記上の地番は1番地であるので、土地としては大阪市北区梅田一丁目1番地の地番の土地上に建っている。

過去には8Fには松下電器(現在のパナソニック)のショールームが1テナントとして構えていた時期もあり、そこでMBSラジオの土曜深夜番組「ハローナショナルショールーム」や「文珍のアクセス塾」の公開録音が行われていた。

また、館内のトイレではフロアごとのコンセプトを持ったトイレに改修されている場所が増えている他、衛生面や快適性を向上させるために全館の全ての大便器小便器サニタイザーが取付けられている。

屋上遊園地と屋上庭園

現在も以前からの屋上遊園地が一部残っている[43]ほか、建築家の安藤忠雄などが参画[43]して2006年(平成18年)4月に造られた枝垂れ桜シマトネリコオリーブユーカリなど50種類以上を植えた約1,500m²の屋上庭園[44]がある。

夏季には屋外テレビで阪神戦を中継も行われるビアガーデンが開かれ、阪神タイガースファンが集まることでも知られている[43]

ライバル関係

御堂筋を挟んだ向かい側の阪急百貨店うめだ本店は、食料品・衣料品の両面において最大の競争相手であったが、2007年(平成19年)10月1日には持株会社「エイチ・ツー・オー リテイリング」のもとで経営統合し、さらに翌年2008年(平成20年)10月に運営会社が合併し、「阪急阪神百貨店」が発足してからは、兄弟店舗の関係にもなっている。

経営統合・合併以降は、共存共栄できるように、相互の戦略的差別化の一方、相互の協力関係が必須になると考えられ、2007年(平成19年)4月1日には経営統合に先行し、お互いが発行したカードで相手の百貨店での使用の際も優待を行うようになったほか、2009年(平成21年)8月の改装では建て替え工事に伴って売り場面積が縮小する阪急百貨店梅田本店から婦人服の一部売場を移し、ヤング向けの品ぞろえを拡充させて補完しあい[45]2011年(平成23年)5月11日からは初めて阪急百貨店梅田本店との大規模な共同催事「初夏の阪急・阪神大食品祭」を開催するなど徐々に協力を始めている[46]

同店周辺においては、北側のJR大阪駅ビル(大阪ステーションシティ・サウスゲートビルディング)内の大丸梅田店が、2011年(平成23年)4月19日に増床リニューアルオープンしたことで、店舗面積では大丸の後塵を拝することになった。また同じ2011年(平成23年)5月4日には、JR大阪駅北口のノースゲートビルディングに、JR西日本グループと三越伊勢丹ホールディングスの合弁となる、「JR大阪三越伊勢丹」が開業したことで、百貨店同士の競争も激化が予想されることになった。

ハービスOSAKAや、阪急・阪神経営統合を機に同じグループとなったHEPファイブHEPナビオなどの高級衣料品・ブランド店の入居する各ショッピングセンターは、競争相手というより、百貨店を補完する存在である。なお、家電量販店ヨドバシカメラマルチメディア梅田については、商品面での競合は少ない、と考えているようである。

にしのみや店

テンプレート:商業施設 阪神電気鉄道が西宮駅高架下に2003年(平成15年)3月18日に駅直結で開業したエビスタ西宮[11]内に売場面積4,998m²[1]で開業。

店内で作る「できたて総菜」や和洋菓子など阪神百貨店が得意とする食品売場いわゆるデパ地下を強みとし[47]阪神大震災で従来あった総合スーパーや市場が潰れて大型店の競合が少ない地域性[47]をバックに順調に売上を伸ばし、初年度に目標を上回る年間売上約57億円を達成した[15]が、2008年(平成20年)3月期は約52.54億円[48]2009年(平成21年)3月期は約50.25億円[16]2010年(平成22年)3月期は約47.36億円[19]2011年(平成23年)3月期は約46.60億円[40]2012年(平成24年)3月期は約45.79億円[1]と売上が減少が続いているが、阪神百貨店の支店の中ではトップの売上を維持している。

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あまがさき阪神

テンプレート:商業施設 JR尼崎駅前の麒麟麦酒工場の跡地に建設された「COCOE(ココエ)」の核テナントとして[49]2009年(平成21年)10月14日にプレオープンし[50]、10月20日に「“おいしいフードマルシェ”と“キッズママのおしゃれカジュアルストア”」というコンセプトを掲げて正式に開業した[51]

梅田本店から近いため周辺5キロの小商圏と見込み[52]、若いファミリー層が多い地域性を考慮して子育て中の母親世代と子どもをターゲットとしている[14]

リーマンショック後の景気低迷下での開業となったため、既存店より低価格商品を拡充した商品構成とし[52]、売上の70%を稼ぐことを目標とした1階の食品売場[52]は梅田本店の食品売場の強さを生かし[53]つつ、105円均一パン店や500円以下の弁当など低価格商品も拡充し[52]、2階も2000円前後の子ども衣料など低価格商品もそろえた衣料品売場を設けながらも、売場からガラス越しに授業風景を見ることが出来る子どもに人気のダンススタジオやダンスファッション売場や阪神タイガースショップ、子供向けメニューの充実したカフェなどを導入して[52]、カジュアルだがお洒落で楽しい売場作りを目指した。

しかし、2011年(平成23年)3月期で年間売上約36.33億円[40]と初年度の売上高目標40億円[51]を下回ったため、婦人服売り場の拡張などのてこ入れを行い[54]2012年(平成24年)3月期には年間売上約37.27億円[54][1]と少し伸ばした。

阪神とはいえ、阪神尼崎駅前ではないので注意が必要である。

御影店

テンプレート:商業施設 神戸市立御影工業高校跡地に建設された商業施設「御影クラッセ」の核店舗として1・2F部分に2008年(平成20年)3月20日に売場面積5,900m²で開店した[13]

地元の人が「毎日通える百貨店」をコンセプトに団塊世代の主婦を主なターゲット[17]としてがんこフードサービズの新業態1号店を含む総菜[55]、菓子、生鮮食品などの揃う[17]梅田本店と同様のいわゆるデパ地下形式[18]の食品売場を1階に置き、食品に強い阪神百貨店らしさをアピールし[55]、2階は婦人服や生活雑貨を中心とした売場構成[17]として開業したが、肝心の食品売場の不振が深刻で2009年(平成21年)3月期で年間売上約29.56億円[16]と目標の50億円を大きく下回ったため、開業から1年半弱の2009年(平成21年)8月5日に不振だった食品売り場の75%にあたる2,080m²を兄弟会社の食品スーパー阪急オアシスの経営に切替えて縮小する[18]大規模なてこ入れが早くも行われることになった。

しかし、2010年(平成22年)3月期は約17.88億円[19]2011年(平成23年)3月期は約13.53億円[40]と低迷して赤字が続いたため、2011年(平成23年)7月24日には阪神・御影の2階売場を閉鎖して2度目の規模縮小を行って売場面積804m²[1]となって百貨店とはいえない規模にまで縮小し、「御影クラッセ」の核店舗でなくなった。

こうした売場縮小の影響もあり、2012年(平成24年)3月期の年間売上約8.82億円[1]となっている。

テンプレート:See also

提携して阪神の商標を使った百貨店

1989年(平成元年)に漢陽建設などの地場資本と提携して台湾高雄市に5%を出資して現地の読みで「はんしん」となる漢神百貨を設立し[38]1995年(平成7年、中華民国暦84年)5月に開業させたほか、地元財界が中心となって出資して設立した県民百貨店(熊本市)が岩田屋撤退後の施設と人員を引継いだ際には営業支援契約を結んで7.5%を出資し[39]、当時の社長三枝輝行が非常勤取締役に就任する[56]と共に3人の幹部社員を派遣して業務支援をし[57]2003年(平成15年)2月23日にくまもと阪神として開業[39]させるなど、マイナー出資付きの業務提携で阪神の商標を使った百貨店を開業させた。

高雄漢神百貨店

業務・資本提携を行っている台湾高雄市の百貨店[38]。英字ロゴは「阪神」と同様の「HANSHIN」。出資比率は5%[38]のみで持分法の適用対象外である。

高雄市前金区と高雄市左営区(アリーナショッピングプラザ)に店舗を構える。

なお、高雄市内には阪急百貨店も出店している。

県民百貨店

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地元財界が中心となって出資して設立した県民百貨店熊本市)が岩田屋撤退後の施設と人員を引継いだ際には営業支援契約を結んで7.5%を出資し[39]、当時の社長三枝輝行が非常勤取締役に就任する[56]と共に3人の幹部社員を派遣して業務支援をし、2003年(平成15年)2月23日にくまもと阪神として開業[39]

当初5年だったものを県民百貨店側の要望で3年間延長していたが[57]2011年(平成23年)2月23日からは営業支援契約の満了に伴い、法人名と同じ県民百貨店へ改称し、阪神の商標の使用を終了した[39]

なお、引き続き7.5%を出資している[39]が、高島屋「ハイランドグループ」に加盟する[57]など阪神の系列から事実上離脱している。

過去にあった店舗

さんのみや・阪神食品館

テンプレート:商業施設 2006年(平成18年)10月4日[48]三ノ宮駅前の商業施設・ミント神戸の地下1階[21]の全フロア[58]を使用して食にこだわる主婦層や通勤、通学客をターゲットにデパ地下のノウハウを生かして[15]パン、洋菓子、総菜など[59]百貨店らしい高級食材をそろえ[15]て開業した。

しかし、2008年(平成20年)3月期は約14.63億円[48]2009年(平成21年)3月期は約13.34億円[16]2010年(平成22年)3月期で年間売上約12.01億円[19]と低迷して赤字になりながら年々売上が減少していたため、2010年(平成22年)4月1日から一時休業[21][59]して、改装や賃料引き下げ交渉などを行ったが黒字化の目処が立たず[60]、同年12月31日にそのまま正式に閉店した[40][21][60]

その後2011年(平成23年)9月22日に、後継店舗としてKOHYO三宮店が開業した。

プロ野球の優勝・応援セールの扱い

  • 1985年(昭和60年)に、阪神タイガースセントラル・リーグ優勝、並びに日本シリーズ優勝を決めた際、阪神グループである同社では、それぞれ「セントラルリーグ・優勝記念セール」「日本シリーズ・優勝記念セール」が開催された。
  • その後2003年(平成15年)、および2005年(平成17年)に、同球団がセントラル・リーグ優勝を決めた際は、「セントラルリーグ・優勝記念セール」が開催された。
  • 2008年(平成20年)10月には、前年2007年(平成19年)10月に経営統合した持株会社の「エイチ・ツー・オーリテイリング」傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールとあわせて、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪神百貨店・阪急百貨店の各店で開催された。
  • また2010年(平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。

過去の関連会社

かつては大阪ダイヤモンド地下街ディアモール大阪)の株式の40.0%を保有して持分法適用関連会社としていた[6](阪神電気鉄道20.0%を保有し、合計60.0%する阪神電気鉄道の連結子会社[61])が、2005年(平成17年)10月1日に阪神電気鉄道の完全子会社化後の再編で全株式を親会社に譲渡したため、阪神電気鉄道の完全子会社となっている[62]

脚注

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 テンプレート:Cite report
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  3. 3.0 3.1 テンプレート:Cite book
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 4.8 テンプレート:Cite book
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 テンプレート:Cite journal
  6. 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 テンプレート:Cite report
  7. テンプレート:Cite news
  8. 8.0 8.1 8.2 テンプレート:Cite news
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 テンプレート:Cite book
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 10.6 テンプレート:Cite journal
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  22. 22.0 22.1 テンプレート:Cite news
  23. 23.0 23.1 テンプレート:Cite news
  24. テンプレート:Cite news
  25. 25.0 25.1 25.2 テンプレート:Cite news
  26. 親会社の京王電鉄よみうりランドに出資している関係上、読売ジャイアンツと親密である。
  27. 27.0 27.1 27.2 テンプレート:Cite news
  28. 28.0 28.1 28.2 28.3 テンプレート:Cite news
  29. テンプレート:Cite news
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  61. テンプレート:Cite report
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関連項目

外部リンク

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