間部詮茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:統合文字 間部 詮茂(まなべ あきとお、1739年6月21日元文4年5月16日) - 1786年7月2日天明6年6月7日))は、越前鯖江藩の第4代藩主。間部家5代。第2代藩主・間部詮方の三男。母は家臣・足立氏の娘。第3代藩主・間部詮央の異母弟。正室は堀田正亮の娘(祥運院)。継室は丹羽長庸の娘(清心院)。子は間部詮熙(長男)、間部詮弥(次男)、仙石久徳(三男)、山名義蕃(四男)、娘(間部詮芳室)。官位は従五位下、下総守、若狭守。

生涯

鯖江で生まれる。明和8年(1771年)に兄が嗣子無くして死去したため、その養子となって家督を継いだ。藩財政再建のため、自ら入国して領内を巡察するなどの積極性を見せたが、天明の飢饉により領内で7597人もの餓死者を出し、借金をして領民を助けなければならないという有様で、藩財政の窮乏化が進んだ。

享年48(満47歳没)。 死後、長男・詮熙が跡を継いだ。

テンプレート:鯖江藩主