長野県伊那北高等学校

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長野県伊那北高等学校(ながのけん いなきたこうとうがっこう)は、長野県伊那市山寺に位置する公立高等学校である。

概要

県内でも有数の進学校であり、国公立大学合格者を毎年多数輩出している。この理由のひとつに土曜日の校内塾の実施がある。

略称はなく「伊那北」と呼ばれている。文化祭は「ペン祭」と称し、その名称は校章に由来する。開始当初は9月に行われていたが、進学への影響から1962年の第6回ペン祭から7月開催へ変更された。その後開催時期が早まり、現在は6月後半に開催。

自由な校風をモットーに、生徒の自覚を尊重する中で、生徒会が中心となり1970年7月1日制服の自由化を実行した。

一般に修学旅行と呼ばれる行事は、本校では「研修旅行」と呼ぶ。1967年に廃止された修学旅行に代わり、教育成果の期待できる研修旅行を生徒が同年に自主的に開催したことが始まりである。目的地については、行き先を生徒が4~5コースの中から選択することができ、各方面へ分散して旅行していた時期もあったものの、近年では学年でまとまって長崎沖縄へ行くことになっている。

2006年度まで2年次は一部の教科を、3年次ではほとんどの教科を選択科目としていたが、必修科目が未履修であることが発覚し、この年の3年生は卒業式を20日延期して補習を行った。

2011年3月に同校のギター部及びその他の生徒が伊那市のライブハウスで集団飲酒をしていたことが発覚した。また、その中には当時の生徒会長及び生徒会副会長2人も含まれていた。

沿革

教育目標

  1. 平和を希求し、真理と正義を探求する資質を養う。
  2. 躍如として学業にいそしむ。
  3. 自主・自立の精神を養い、個性の伸長をはかる。
  4. 自由と正義を重んじ、努力を惜しまない態度を養う。

部活動

主な成績

  • 1955年8月 - 野球部が甲子園へ出場。(1回戦:新庄北1-0(延長11回)、2回戦:城東1-4)
  • 1956年8月 - 野球部が甲子園へ出場。(1回戦:静岡4-1、2回戦:西条2-3)
  • 1961年8月 - 野球部が甲子園へ出場。(1回戦:東北0-2)
  • 1979年12月 - 陸上部が高校駅伝全国大会へ出場。
  • 1980年12月 - 陸上部が高校駅伝全国大会へ出場。
  • 1981年12月 - 陸上部が高校駅伝全国大会へ出場。
  • 1986年8月 - 将棋部が女子団体で全国優勝。
この後、8連覇も達成。(1990年 - 1997年
  • 1997年2月 - スケート同好会、新谷志保美インターハイ女子500m2連覇。
  • 2010年2月 - 英語部が世界高校生ディベート大会(WSDC)に出場。(開催地:カタール ドーハ)

施設・設備

2010年4月に創立90周年を迎えたことを記念し、同窓会によって、研修棟「高志館」が竣工された。この建物は主に、生徒の自習室として使用されている。

出身者

政治

法曹

経済界

学界

文学

芸能

クリエーター

スポーツ

校章・校旗

校章

2本のペン先を交差させた図柄をあらわした「クロスペン」。慶應義塾校章に類似している。デザインについて検討された案には、時代柄2本のペンのうち1つを剣とし、ペンと剣で「文武両道」を象徴する案もあったが、議論の末、ペンは剣よりも強しという理想をあらわす現在の校章に決定された。

校旗

スクールカラーの紫紺の地に、校章を配置。

校歌・応援歌

  • 本校には応援歌が7曲ある。校歌と併せて8曲を上級生が新入生に指導する応援練習は、風物詩となっている。
    • 校歌(作詞:藤村作 作曲:福井直秋
    • 天竜河畔
    • 薫が丘
    • 三千年
    • 恨みをのんで
    • 花咲き揃う
    • 我等が伊那北高校
    • 山秀麗
  • このうち、天竜河畔は愛唱され、学校での各行事で必ず歌われており、校歌よりも歌われている。又、卒業式の最後に肩を組んで歌われている。
天竜河畔には、同校で教鞭をとっていた体育教師、柴 韓治郎が創作した「シバカン体操(柴韓体操、志覇喚体操)」なる振り付けもある。

最寄駅

関連項目

外部リンク