長谷川五郎

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長谷川五郎(はせがわ ごろう、1932年昭和7年) - )は、茨城県水戸市出身のゲーム研究家、ゲーム考案家で、特にオセロを考案したことで有名な人物である。

オセロを考案したことが特に人々に知られているが、他にも88オセロソクラテスミラクルファイブセルゴ大碁(だいご)といったボードゲームも考案しているゲーム研究家である。現在、日本オセロ連盟会長、オセロ名誉十段。オセロの解説書執筆も多数。

経歴

今では「オセロ」として知られるゲームを考案した経緯は、中学生時代にまで遡るという。旧制水戸中学(現茨城県立水戸第一高等学校)に通っていたころ、学校の短い休み時間でも楽しめるゲームが欲しいと思い、碁石を用いて相手の石をはさむと取れるというルールの「挟み碁」を考案したことに始まる、と本人は語る。その後、ルールを変え、石を取り除くのではなく色を反転させるようにし、牛乳瓶のふたを用いて裏表を反転させるように改良して現在の形にたどりついた、と言う。みずからのゲームに「オセロ」という名称をつけることになった由来は、そのゲームを考案した際に何と名付けるかについて父親の長谷川四郎[注 1]に相談したところ、英文学者であった父がシェイクスピアの『オセロ』を取り上げたからだという[1]。その名を出されれば、白人女性のデズデモーナ(=白石)と、その夫の黒人軍人オセロ(=黒石)が緑の平原(=緑の盤面)で勇猛果敢に闘う物語が思い描かれたので、盤面を緑色にしこの名称を使うようになった、という[2]。シェイクスピアの『オセロ』は敵・味方が頻繁に寝返るストーリーの演劇作品である。

学生時代はオセロを普及させることまでは考えておらず、あくまで身近な人と遊ぶために手作りでゲームを作って配っていたが、茨城大学経済学部政経科卒業後、製薬会社の営業職(当時は「プロパー」と呼ばれ、近年では「MR」と呼ばれた)の仕事を始めても仕事先などで自作のオセロを披露していたところ、担当客にあたる医局長からそのゲームを高く評価してもらい、1972年、当時あったツクダオリジナル社の佃社長と企画担当者に面会し、このゲームを育てる夢を語り合い意気投合しあう仲になりゲームとしては破格の長期契約を結び、1973年には日本オセロ連盟を設立し東京で第1回全日本オセロ選手権大会を開催、同社がオセロの販売を開始し、その後は年々ファンの数が増えて2500万人も超え、日本を代表するゲームにまで成長したという。

将棋五段、囲碁五段でもある。

著書

  • How to win at Othello (Jove Publications, 1977) ISBN 0156422158
  • 『オセロ』(あかしや出版、1979/05)
  • 『オセロの打ち方 ― 勝つための基本戦術』(講談社、1981/12) ISBN 4061277596
  • 『オセロ百戦百勝 ― 勝つための技術』 (講談社、1990/07) ISBN 4062048434
  • 『オセロ大観(1)』(近代文芸社、1995年)ISBN 477334718X
  • 『オセロ大観(2)』(近代文芸社、1995年)ISBN 4773347198
  • 『オセロの勝ち方』(河出書房新社、2001年)ISBN 4309264611 
    • 増補版 (2005/5) ISBN 4309268366 
    • 改訂新版 (2006/7) ISBN 4309269087
  • 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』(河出書房新社 (2005/12) ISBN 4309906559
  • 『オセロ教室』(近代文芸社、2008/8) ISBN 4773375825

脚注

  1. この「長谷川四郎」は、シベリア虜囚体験がある作家の長谷川四郎とは別人である。
出典
  1. 中日新聞社 「シティーライフ No.4」 2007年
  2. シリーズ:茨城発・夢ドキュメント (2) オセロ考案者 ~長谷川五郎さん~ (茨城県地域情報紙「常陽リビングニュース」[2005.11.14])2013年1月6日閲覧

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