長期暦

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長期暦(ちょうきれき、テンプレート:Lang-en-short,テンプレート:Lang-es-short)とはメソアメリカ文明でおそくとも紀元前1世紀頃から使用されはじめた長期間の時を表現するである。一般的にマヤ暦と呼称されることもある。マヤ諸都市の石碑に刻まれていたことでひろく知られるようになった。

マヤの暦全般については、「マヤ文明#マヤのカレンダー」を参照

長期暦のサイクル

1日であるキン、20キンの「月」であるウィナル、18ウィナルの「年」であるトゥン、更に20トゥンを1カトゥンとし20カトゥンを1バクトゥンとする単位で構成され結果として187万2000日(13バクトゥン、グレゴリオ暦の365.2425日で除すると約5125年)の周期となっている。そのため、石碑に長期暦で日が刻まれた場合にその日を特定できるという特徴を持っている。石碑に長期暦の日が刻まれたり墓の壁画に長期暦の日付けが刻まれたりしていると、歴史学上又は考古学上の貴重な資料となる。

ただし、近年騒がれている周期に終わりがあるかのような解釈については、マヤ古来のものでなく西洋的な見方であるとして否定的な見解もある[1]

西暦との対応関係

西暦との対応については以前はスピンデン対照法(Spinden Correlation)という換算法とGMT対照法(GMT Correlation。GMTは、グッドマン-マルティネス-トンプソンの略)という2つの換算法の間で論争があったが、現在はGMT対照法が2,3日のズレはあるがほぼ正しいという結論に落ち着いている。

起源及び最古の資料

長期暦の最も古い資料は7バクトゥンを表すもので(cycle7の資料と呼ばれる)、7バクトゥンのはじまる紀元前354年頃から紀元前30年くらいの時期にcycle7の資料が集中する付近に住むチャパス州北部とタバスコ州に住む先住民ソケーオアハカ州北東部に住む先住民ミヘーの人々によって発明されたと推察されている。ラ=モハーラトゥシュトラの小像に刻まれている碑文や銘文がかれらの言語を当てはめると解読できると主張する学者もいるからである。

確実に最古の日付けが刻まれているとされるのは、メキシコ・チャパス州のチャパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)の石碑2号である(7バクトゥン16カトゥン)。3トゥン2ウィナル13キン6ベン(18シュル=紀元前36年。以下、長期暦の単位を「.」で略す)の日付けが刻まれている。ただしグアテマラアバフ=タカリクの石碑2号の日付けはカトゥン以下が欠損しているためはっきりしないが、カトゥンの「位」が6であれば7.6.0.0.0.として一番古くて紀元前235年までさかのぼることになる。また仮に16であっても7.16.0.0.0.であれば、紀元前38年になるので最も古くなる可能性を持っている。7.16.19.17.19であれば紀元前18年に当たる。

以下紀元2世紀のものまで挙げると、

注釈

  1. マヤ・カレンダー(NAGA K'U 奥義学校)

関連項目

外部リンク

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  • 暦相互変換システム(マヤの長期暦をグレゴリオ暦に変換するだけでなく、あらゆる暦同士を変換できる)
  • maya calendar(グレゴリオ暦の日付を入力するとマヤ長期暦に変換する)


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