長岡一也

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長岡 一也(ながおか かずや、1939年 - )は元アナウンサーで現在は競馬ジャーナリスト。

来歴

武蔵中学校・高等学校千葉大学文理学部卒。1961年に日本短波放送に入社し、アナウンサーとして主に競馬中継を担当。日本ダービーのレース実況を16年間担当した。 競馬マスコミに携わる傍らで、聴取者投稿による詩の紹介を番組化した「私の書いたポエム」を1975年からセルフプロデュースで開始。大橋照子と共に出演し、30年を超える長寿番組として現在も出演している。

1987年に日本短波放送を退社後は、番組制作会社に所属。引き続き競馬に携わっており、自身が担当した「中央競馬ワイド中継」 では、東京と中山のメインレースを実況。日曜日の番組内第2部冒頭で、メインレース映像と共にその名調子を披露してきた。それ以外には、地上波キー局で中継出来ない代替放送時(最近の例では2009年10月4日スプリンターズステークス、及び2010年1月11日フェアリーステークス)や放送時間外のマーチステークス2009年のみ)と目黒記念2006年から2010年まで)とユニコーンステークス2010年のみ)を実況をしている。

2012年5月までは、『LIVE&REPORT 中央競馬中継』にて中山メインレース(重賞競走)の実況を担当していた[1]ほか、携帯電話各社の公式サイト「競馬総合チャンネル」で、長岡が実況する、東日本主場の日曜メインレース実況を動画配信している(競馬映像コース、有料)。 現在、70歳を過ぎて競馬実況を務める唯一のアナウンサーである。過去には彼の他にも杉本清樋口忠正が70代まで実況を務めていた事はあるが、いずれも2008年の日本ダービーをもって勇退している。

また、いやだようの筆名で「アチャラカ王国物語」なる小説も執筆したことがある。

週刊競馬ブックにて「マイクエッセー 競馬つれづれ帳」を連載したこともある(2006年3月6日発売号まで。丁度1000回目で終了した)。

エピソード

自身もワイド中継の放送がない時間(15時台)に馬券を購入しており、公式サイトでは「重賞の扉」という展望コーナーも設置している[2]。 また、番組に関しても氏の意向を取り入れており、レースの展開に関わらず「勝者を称える」ことを常に心がけているという[3]

自己紹介をするとき「ながおかかずや」と言わずに「ながおかずや」と言うことがある。恐らく発音のし易さを考慮しているものと思われる。

熱狂的な阪神タイガースファンである[3][4]

2001年頃からワイド中継のHPやnetkeiba.comでコラムの連載を開始したが、2007年1月17日までのコラムは「です・ます」調で、それ以降は「で・ある」調で記述している。またこの頃からはレースの展望・回顧よりも、競馬に深く関わる言葉をテーマにしたコラムを掲載することが多くなった。

主な実況歴

現在出演の主な番組

過去の出演

著書

  • いつも隣に競馬がいた -競馬中継三十年-(ミデアム出版社 1990年10月発行) ISBN 978-4944001187

脚注

  1. 「中央競馬ワイド中継」では映像を番組独自で撮っていたが、当番組ではJRA公式映像に合わせて実況を行なっている。また宇野が司会担当時は実況はせず、JRA公式映像にラジオNIKKEIの音声を加えた物が流れる。
  2. 特集・競馬新聞「専門誌と縁の深い人・長岡一也さんに聞く」
  3. 3.0 3.1 netkeiba.com スペシャルインタビュー・長岡一也さん
  4. 自身が司会を務めた中央競馬ワイド中継において、吉岡司がレギュラー解説者であった頃は、吉岡も長岡と同じく熱狂的阪神ファンであったため、OPで吉岡紹介の際に競馬の話題よりも阪神談義になることが多かった。ただし、吉岡が降板して以降、レギュラー陣に阪神ファンが不在であるからなのか阪神の話題を番組内で触れることが滅多になくなった。2003年に阪神タイガースがセリーグ優勝をした際に解説の星野英治に「星野さんと同じ苗字の星野監督がやりましたね」と興奮気味に話したものの、話題を振られた星野はプロ野球には全く関心がなかったため、話が全く盛り上がらず、これ以降は阪神の話題を番組内で出していない。
  5. ただし、中山・東京でGI開催の時は長岡が表彰式の司会を務めるため、この場合の番組司会は宇野和男が担当する。

外部リンク