金瓶梅

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金瓶梅』(きんぺいばい)は、明代長編小説で、四大奇書の一つ。著者は笑笑生(生没年など不詳)。研究によると、万暦年間(1573年1620年)に成立したといわれている。

『金瓶梅』は『水滸伝』の外伝と位置づけられる作品である。水滸伝の武松のエピソードを入り口とし、そこに登場する武松の兄嫁の潘金蓮が、姦通した後殺されずに姦夫の西門慶と暮らし始めるという設定となっている。ストーリーが水滸伝から分岐した後は、富豪の西門慶に、金蓮も含めて6人の夫人やその他の女性がからみ、邸宅内の生活や欲望が展開してゆく。水滸伝同様に北宋末を舞台とするが、綿密かつ巧みに描写されている富裕な商人の風俗や生活には、代後期の爛熟した社会風俗が反映している。

タイトルの「金瓶梅」は主人公である西門慶と関係をもった潘金蓮、李瓶児、龐春梅の名前から一文字ずつ取ったものだが、それぞれ金(かね)、酒、色事、を意味するとも言われる。

あらすじ

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第四話-西門慶と潘金蓮が武大の隣家で逢引をしている場面。部屋の外で座っている人物が手引きした隣家の老女。

河北清河県の大金持ちで放蕩者の西門慶は正妻の呉月娘以下4人の夫人がいるにも拘わらず、蒸し餅[1]売りの武大の妻、潘金蓮と密通して夫の武大を殺し、彼女を第5夫人にする。「水滸伝」ではここで西門慶と潘金蓮が武大の弟、武松によって成敗されるが、この作品では西門慶は逃げのび、武松は誤って別人を殺めてしまい、西門慶の働きかけもあって孟州に流される。西門慶はさらに隣家に住み未亡人となった李瓶児を第6夫人に迎え、潘金蓮の女中の龐春梅をはじめとする女中たち、使用人の妻たち、芸者たちとも関係を持ち情欲の限りをつくす。

その間に西門慶は役人と癒着、町の提刑所(検察と裁判を扱う役所)の長官となり、権力をかさに悪行を重ねる。その一方で商売も運送業や呉服屋で成功を収める[2]。潘金蓮は西門慶を相手にすねたり、怒ったり、また、西門慶の夫人たちや愛人たちと喧嘩をしたり、嫌がらせをしたり、彼女らの不満をあおったりして、さまざまな出来事を引き起こす。そのうちに李瓶児に待望の男児が生まれるが、嫉妬した潘金蓮は彼女や男児に嫌がらせをつづけ、最後には男児を猫に襲わせ死なせてしまう。子を亡くして失意の中、李瓶児は西門慶に対し、潘金蓮を警戒してほしいと言い残し病死する。

そのような不幸があったとはいえ、西門慶はすべての成功を手にしたのだが、潘金蓮は、西門慶が不思議な僧侶から貰った媚薬を、それとは知らず限度以上に西門慶に与えてしまい、西門慶は死んでしまう。西門慶の商才と権力に依存していた家業は破綻し、一人また一人と西門家を去っていく。潘金蓮は不祥事が露見して西門家を追い出される。同じ時期に孟州から戻ってきた武松に色目使いをするが、武松は兄の敵としてようやく潘金蓮を成敗する。

やはり西門家を追い出された春梅は名家に嫁いで他の女たちを見返すが、西門慶の娘婿で、かつて西門慶の家に住んでいた陳経済との再会で転落が始まる。陳経済が殺された後、夫も戦死し、春梅の生活は次第に自堕落なものになっていき、最後には使用人と関係している最中に急死する。

一方、西門家には正妻の呉月娘と西門慶の死後誕生した西門慶の子である孝哥(母は呉月娘)、その他義理堅い使用人たちだけが残されていた。ある夜、昔知り合った不思議な僧侶の寺に呉月娘らが滞在した。その時、僧侶の導きにより西門慶以下亡くなった者たちがそれぞれ別の地で生まれ変わって新しく生を受ける場面を目撃する。次の朝、実は孝哥は西門慶の生まれ変わりであることをその僧侶に示され[3]、その僧侶の勧めで、西門慶の前世の罪から救うために孝哥を仏門に入れる。呉月娘自身は頼りになる番頭に西門を名乗らせて、西門家の事業を継続させ、長生きして人生を全うした。

作品は次のような結びの詩でしめくくられる。 テンプレート:Quote

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作者

現存する最古のテクストである『金瓶梅詞話』の序に書いてあることから、作者は蘭陵の笑笑生とされるが、詳細は未だわからない部分が多い。「蘭陵」は山東省の地名で、文章にも山東省の方言語彙も見られることから、一般的には山東省の人と考えられている。その一方で、当時の大文人の王世貞が、当時権勢を振るっていた厳嵩厳世蕃親子を弾劾するために書いたとも言われるが、王世貞は江蘇省の人である。また、現在の上海語に近い呉語と共通する方言語彙も多く現れる[4]ことから呉語地域の出身者という見方もある。なお、蘭陵は名酒を産することで有名なことから、「蘭陵の笑笑生」とは「酒を飲みながら、笑って書いた」くらいの意味のペンネームであり、必ずしも蘭陵の人とは限らないのではないかと中国文学者の日下翠は述べている[5]

特徴

金瓶梅では、先行する水滸伝の世界ではほぼ省かれていた女性、愛欲、金銭、仔細な日常描写といった要素が全面的に展開されている。その描写は非常に詳しく、食べ物、飲み物について具体的に列挙されていたり、人物の容姿、着ているものやアクセサリー、その柄やデザイン、色の合わせ方、化粧の様子なども詳細に描写されていたり、会話や金銭の受け渡しなど人々の振る舞いが活写されている。あまりに詳しく書いてあるので、読んでいてうっとうしく思うという感想さえもたれるほどである[6]。また四大奇書の中でも、街で多数の演者により語られてきた講談を基に編集された『西遊記』『水滸伝』『三国志演義』とは異なり、一人の人物が緻密に構成して書き上げたという点で中国の白話小説でも画期的なものである[7]。『金瓶梅』は『水滸伝』のプロットを利用しているほかにも、男女の色事を題材とした一回ものの講談を基にした「話本」、これを模した白話短編小説の「擬話本」、事件や裁判を描いた「公案小説」、元曲などの引用や影響も多くみられる[8]

評価

写本で出回っていたころから、すでに好意的な評価から否定的な評価まで様々であった。上梓当時は禁書とされたが、その赤裸々な性描写や痛烈な社会批判の内容ゆえに広く読まれた。それゆえ「『金瓶梅』を出した本屋は傾く」といわれた。しかし、読者は増え、満洲語日本語にまで訳されて読まれるようになった。中国文学史上、それまでの水滸伝や三国志演義などの波乱万丈のストーリーを特徴とする小説からの転換点にあたり、その後の儒林外史紅楼夢などの小説に大きな影響を与えた。現在では、作品に貫徹する批判精神に富んだリアリズムを以って「中国近代文学のさきがけ」と高く評価されている。また、当時の口語資料・社会資料としても興味深い。

テクスト

現在残っているテクストには、『金瓶梅詞話』の系統(『詞話本』)と、明の時代の終わりごろに改定され、その後清の時代を通じて主流になった『第一奇書本』の系統がある。16世紀終わりから17世紀の始めにかけての文人達の日記や書簡に、筆写された金瓶梅に関する記述が見つかるので、オリジナルが完成した後しばらくの間は筆写の形で広まっていったものと考えられている。しかし現在写本は残っていない。

異論もあるが、最初に出版されたのは万暦38年(1610年)とされている[9]。現在残っている最古の金瓶梅は版本である十巻・全百回の『金瓶梅詞話』で、万暦年間から天啓年間に発行されたものである。禁書とされたためもあり散逸してしまったのだが、1932年に『金瓶梅詞話』の完全な版が発見されたのである[7]。これは、序に万暦丁巳(万暦45年、1617年)とあることから万暦本と呼ばれる。現在はこれをもとにして出版されている。現存する『金瓶梅詞話』は以下のもののみである。

この詞話本の系統が筆写本と近い関係にあるといわれているが、誤字・脱字・衍字・重複・脱落が多く、そのため意味不明な箇所も多い、とても難解なテキストである。

明の時代の終わり、17世紀半ばごろの崇禎年間に改訂版が出版される。例えば『新刻繡像批評金瓶梅』[10]というような題名の本である。これらの改訂版では、食べ物や着る物の詳細な描写や、唄や会話など、筋に関係なさそうな記述を削り、挿絵を入れ(例えば「あらすじ」の節の挿絵が崇禎本のもの)、詞話本で意味不明だった箇所を改め、読みやすいものにしている。この改訂版が出版された後は、この改訂版が主流になる。清代になってこの改訂版の系統が『第一奇書金瓶梅』などというタイトルで出版されるようになったので、これらを『第一奇書本』という。

詞話本と第一奇書本では構成も多少違っている。詞話本ではまず項羽虞妃劉邦戚氏のエピソードを引き合いに出して、以下に悲劇的な結末を迎える男女関係の話をすることを予告した後、武松の虎退治のエピソードでメインストーリーに入る。一方、第一奇書本では西門慶が仲間と義兄弟の契りを結ぶ場面から始まり、虎退治をした後の武松が清河県にやってくる。詞話本には義兄弟のエピソードは無く、第一奇書本の改訂者は主人公の西門慶の悪徳な側面を強調し、それを作品のバックボーンに据えようとしたのかもしれない[11]。また、第53回と第54回の内容が全く違っている。第84回には水滸伝第32回のエピソードをなぞり、呉月娘が王英にさらわれ宋江に助けられる場面があるが、これは第一奇書本では削除されている。そのほか、詞話本の山東方言が削られている、あるいは各回の表題と冒頭の詩が違うという違いがある。

登場人物

西門慶(せいもん・けい、さいもん・けい)
薬を商う新興商人で、道楽者。才覚と悪知恵によって事業を拡張、出世し、色欲の限りを尽くす。
潘金蓮(はん・きんれん)
仕立て屋の娘。足が小さいことから金蓮と名づけられた[12]。女中として出された家の主人との情事がばれて、武大のもとに嫁がされる。西門慶と愛し合い、第五夫人として嫁ぐ。音曲に造詣がふかく、楽器の演奏もよくこなす。
武大(ぶ・だい)
潘金蓮の前の夫。前妻との間の娘が一人いる。 蒸し餅の行商をするが、醜男で、まじめなことが取り柄。西門慶と潘金蓮に毒殺される。
武松(ぶ・しょう)
武大の弟。人食い虎を素手で退治して有名になる。『水滸伝』では西門慶・潘金蓮に復讐を遂げるが、『金瓶梅』では最初と最後にしか登場しない。
呉月娘(ご・げつじょう)
西門慶の正夫人。奥向きを統率する。まじめな性格で、正夫人らしい威厳をたもち、西門慶も粗略には扱わない。
李嬌児(り・きょうじ)
西門慶の第二夫人。妓女出身で、西門家の家計を取り仕切る。金には意地汚い。
孟玉楼(もう・ぎょくろう)
西門慶の第三夫人。多額の持参金を持って嫁いできた資産家の寡婦で、西門家内の争いからは一歩距離を置く。 常識的でバランスの取れた性格の持ち主で、潘金蓮とも仲がよく、潘金蓮と呉月娘の喧嘩をうまく収めたりする。
孫雪娥(そん・せつが)
西門慶の第四夫人。西門慶の娘の使用人出身で、料理場などを取り仕切る。スープを作るのが上手い。すでに西門慶の寵愛を失い、さしたる財産も持っていないことから、他の5夫人より低く扱われている。
李瓶児(り・へいじ)
西門慶の第六夫人。隣の花家の妻であったが、西門慶と愛し合い、花家の邸宅や財産を持って嫁いでくる。潘金蓮ともうまくやっていきたいと思うが、潘金蓮にライバル視されているのでうまくいかない。
龐春梅(ほう・しゅんばい)
潘金蓮にあてがわれた使用人。闘争心が強く、潘金蓮とは信頼し合う仲。
陳経済(ちん・けいさい)
西門慶の娘婿で商人。終盤の主要人物で、出世と転落を繰り返し、龐春梅と関係を結ぶ。

邦訳

金瓶梅を基にした作品

森鴎外が、学生時代を回想した小説』には、主人公が金瓶梅の白文(漢文原本)を古本屋で購入するシーンがある。また、作中で友人岡田が女性の飼っていた小鳥の危機を救う場面は、西門慶と金蓮の出会いを意識したといわれている。

1968年には日本で、1974年には香港で映画化されている。著名なところでは日本版には伊丹十三が、香港版にはジャッキー・チェンが出演している。2008年にも香港で映画化された。

明末から清代にかけて、仇英や唐寅や、様々な春画家たちの春画の題材になった。

脚注

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参考文献

  • 井波律子『中国の五大小説.下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』岩波新書、2009年、講演体
  • 『金瓶梅 第1巻』小野忍・千田九一訳、岩波文庫、1973年、巻末解説
  • 日下翠『金瓶梅 天下第一の奇書』中公新書、1996年

関連項目

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外部リンク

  1. 原文では「炊餅」。これを「蒸し餅」と訳すのは岩波文庫の『金瓶梅』(小野忍・千田九一訳)に倣った。
  2. 西門慶の商売の様子が詳しく描かれていることから、作者自身も手広く商売をしていた経験があると考えることもできる(日下、pp.170-173)。
  3. 西門慶が別の地で生まれ変わることが分かったすぐ後に、孝哥は西門慶の生まれ変わりであると書かれている。話が全く矛盾しているが、日下は、西門慶という人物は水滸伝の登場人物である西門慶としての側面と作者自身の投影である側面があり、それぞれの側面ごとに別の結末ができてしまったのであろうとしている(日下、pp.163-165)。
  4. 『「金瓶梅」中的上海方言研究』,褚半農,2005年,上海古籍出版社
  5. 日下、pp.36-39
  6. 例えば、『金瓶梅 第1巻』村上知行編訳、新版ちくま文庫、2000年、巻末解説を参照。
  7. 7.0 7.1 井波律子『中国の五大小説.下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』(岩波新書、2009年) p124-127
  8. 井波律子『中国の五大小説.下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』(岩波新書、2009年) p188-190
  9. 小野によれば万暦45年以降(小野、千田、pp.284-285)。
  10. 北京大学図書館が所蔵しているものは崇禎本と呼ばれる。
  11. 日下の説(日下、pp.168-169)。
  12. 当時の女性美の要素のひとつが足の小ささであった。金瓶梅にも西門慶の愛人の一人が潘金連より足が小さいことを自慢する場面がある(第二十二回)。