金丸義信

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テンプレート:Infobox プロレスラー 金丸 義信(かねまる よしのぶ、1976年9月23日 - )は、日本プロレスラーである。山梨県甲府市出身。全日本プロレス所属。愛称は「マルさん」。

毎日放送アナウンサー武川智美とは従姉弟の間柄にある。

経歴

山梨学院大学附属高校時代は野球部に所属し、1994年春の選抜高校野球に控え投手として出場経験を持つ。[1]ジャンボ鶴田後援会関係者の口添えでジャイアント馬場と面談し、高校卒業と同時に全日本プロレスに入門。なかなか体重が増えず、一時はレフェリー転向も検討されたが、馬場の「体が小さい者にしかできない動きを研究せよ」という教えを励みに初志を貫き、1年半の練習生期間を経て1996年7月6日、浅子覚&志賀賢太郎組戦でデビュー(パートナーは井上雅央)。

デビュー当初は空中殺法を中心とした軽快な動きが特徴で、1997年10月12日に行なわれた「格闘技の祭典SPECIAL」では、三沢光晴の代理として2代目タイガーマスクに扮し出場。3代目タイガーマスク(金本浩二)とタッグを組み、初代タイガーマスク(佐山聡)・4代目タイガーマスクと対戦した。

小橋建太(当時「健太」)の最初の付き人を務め、1998年9月に小橋率いるバーニング入り。また、当時全日本マットに参戦していた邪道外道とタッグを組み(この際、出身地にちなんだ「甲州街道」と命名されるが、実際には使用されず)、彼らの狡猾な動きを身につけることにより、空中殺法一辺倒だったファイトスタイルに変化が生じることになる。2000年5月、(第1次)バーニング解散と同時に付き人を卒業、秋山準率いる軍団に入る(後のスターネス)。

2000年6月、三沢らの全日プロ大量離脱に追従し、三沢が旗揚げしたノアに移籍。旗揚げ興行前の7月28日には井上雅央と組んで邪道&外道を破り第7代WEWタッグ王者となった。

2001年6月24日、初代GHCジュニアヘビー級トーナメント決勝戦でフベントゥ・ゲレーラを破り初代王者となった。その後2002年2004年に同王座を獲得している。

2002年8月29日には菊地毅と組んで獣神サンダー・ライガー&田中稔組を破り、IWGPジュニアタッグ王座を獲得した。

2005年6月5日には杉浦貴と組んでGHCジュニアヘビー級タッグ選手権に臨み、丸藤正道&KENTA組を破って第2代王者となった。この時金丸は第9代GHCジュニアヘビー級王者でありノア史上初のジュニア2冠の同時保持を成し遂げた(相方の杉浦も後に同時保持を成し遂げた)。だが同年7月18日の東京ドーム大会のジュニアヘビー級選手権試合でKENTAに破れ王座から陥落した。

2006年泉田純至に代わって選手会長を務めた。

2007年前半は年始早々からジュニアタッグ王座から陥落し、目立った活躍はなかったものの、その間ジュニアのシングル挑戦に照準を絞り肉体改造を行い減量に成功。同年10月27日の日本武道館大会で第13代王者のムシキング・テリーを破り4度目の王座を獲得。再びジュニア戦線に躍り出た。

2009年KENTAの負傷離脱を受けて開催されたGHCジュニアヘビー級王者決定トーナメント(JCBホール)に見事優勝し、第19代チャンピオンに輝く。

2010年3月と4月に防衛戦を行うが、危なげない試合内容で防衛を果たす。しかし、KENTA、鈴木鼓太郎が負傷離脱中であり、丸藤もIWGP戦に集中しているため、GHCジュニアヘビー戦線を盛り上げることができずにいる。KENTAに「ベルトを持っているだけのチャンピオン」と酷評されるが、9月26日にそのKENTAをタッチアウトで葬り、6度目の防衛に成功。 10月には平柳玄藩と組んで第4回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に出場。

2012年12月、年内をもってプロレスリング・ノア退団が会社より発表、12月24日有明大会を最後に退団した。

2013年1月に行われた決起集会で、小橋からバーニングを託された秋山準をリーダーに、潮崎豪、鈴木鼓太郎、青木篤志で再結成した。

1月26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し、参戦を発表。

2月23日、全日本後楽園大会のメインイベントで近藤修司を破り、第35代世界ジュニアヘビー級王者となった。

7月5日、全日本プロレスに正式入団(再入団)。

2014年1月26日、全日本神戸大会で秋山準と組んで鈴木鼓太郎&青木篤志を破り、第93代アジアタッグ王者となった。

エピソード

  • 全日本時代、日本武道館で選手のサイン入りボール投げのイベントが行われた際、金丸は野球で鍛えた肩を生かしてボールを2階席や3階席にまで投げ込み、ファンを喜ばせていた。
  • KENTAに「自分が勝っているのにタッチアウトとはこれいかに」と突っ込まれたことがある。
  • ファイトスタイルにおいては、中盤の足攻めや、ミサイルキック、ムーンサルトなど、武藤敬司を彷彿とさせる動きを見せたかと思えば、ラフファイトも交えていくというバランスの取れた選手である。
  • 全日本時代には邪道・外道、ノアではVOODOO-MURDERSマッスル・アウトローズと組み「外敵の内通者」的な立場となることも少なくないが、一方ではライガーからJrシングル、日高郁人&藤田ミノル組からJrタッグ王座(パートナーは杉浦)を奪還する大役も果たしており、ファンからもここ一番での切り札的な存在と見られている。
  • しかしながら外敵繋がりで言えばなぜか金丸は他団体の選手に自身からベルトを奪取される場合が多い。GHCジュニアヘビー級王座を計5回、ジュニアタッグ王座を計2回、他団体に流失させた(唯一外敵以外に奪取されたケースはWEWタッグベルトを本田・丸藤組に、第9代GHCジュニア王者時にKENTAに負けたときのみ)。
  • 坊主・長髪・パーマ等、頻繁に髪型を変える。
  • 2007年8月2日入籍。

タイトル歴

全日本プロレス
防衛回数は7回
プロレスリング・ノア
防衛回数は2回→3回→5回→5回→6回→3回
防衛回数は2回→1回→6回→1回
新日本プロレス
FMW

主な得意技

タッチアウト
現在のフィニッシュ・ホールド。旋回式垂直落下ブレーンバスター。技名は金丸が高校時代野球部だったことからきている。
垂直落下式ブレーンバスター
金丸は起き上がり式で2連発でブレーンバスターを放つこともあるが、普段は一発だけ放つ。
ディープインパクト
コーナーからの飛びつきDDT。命名は技の開発当時に公開中だった洋画のタイトルから(競走馬ディープインパクトとは何の関係も無い)。コーナーからの飛びつき式以外に雪崩式ブレーンバスターの切り替えしとして使用することもある。本来の落とし方はDDTの形で頭をロックしてそのまま相手と一緒にコーナーから飛び相手の頭を叩きつける「道連れ式」とも言うべきもの(いわゆる「雪崩式DDT」とは自分と相手の位置が逆になる)だが、近年はリング内に立つ相手にコーナーポストから飛び付いて決めるパターンが中心。
アストロシザース
飛びつき挟み込みヘッドシザースホイップ。スペル・アストロが得意としていた。
飛びつきスイング式DDT
相手に飛びついて変則的に回転してからDDTに移行する。ショルダースルー、もしくは風車式バックブリーカー(ケブラドーラ・コン・ヒーロ)で跳ね上げられた瞬間の返し技として出す場合が多く、まれにDDTではなく首固めに丸め込むこともある。
ムーンサルトプレス
ジュニア選手らしい高く滞空時間の長いきれいなムーンサルトである。
ハリウッドスタープレス
ムーンサルトプレスほど多用されないが、「隠し武器」的な飛び技。形はムーンサルトプレスに準ずるが、コーナーから尻餅をつく要領で腰を落としながら開脚、両サイドのトップロープに自分の両腿をぶつけ、その反動を利用して高速・低空で飛ぶ。オリジナルは全日本プロレス在籍時代に常連外国人であったRVDことロブ・ヴァン・ダムで、さらにその原型となったのはRVDのパートナーであるサブゥーアラビアンプレス(こちらはコーナーに上がらず、直接トップロープに上り両足を揃えて尻餅→回転、という流れ)。
ドラゴンスクリュー
金丸の場合は、蹴りを仕掛けてきた相手の足を捕って決めることが多い。
金丸クラッチ
相手の片手と片足を絡めとっての変形エビ固め。
延髄斬り
全日本に再入団してからこの技を使用している。
急所攻撃
反則攻撃としては定番だが、レフェリーの死角の突き方や仕掛けるタイミングなど、ある意味芸術の域、という声も。
フライングボディアタック
相手へ飛びかかっていく際に奇声を上げるのが特徴。
ロンドンブリッジ(with 杉浦貴)
金丸のムーンサルトプレスを杉浦がジャーマン・スープレックスの要領でアシストする。通常のムーンサルトプレスより勢いと威力が増している。杉浦とのヨーロッパ遠征中に編み出した合体技。初出はGHCジュニアタッグ選手権の日高郁人&藤田ミノル戦。見た目のインパクト、威力ともに強烈ながら今までに先述の試合と東京愚連隊戦の2回しか使用されておらず、いずれもこの技でピンフォールを奪ったことは無い。

入場テーマ曲

  • FLYING COOL(全日本時代)
  • MAXIMUM (Version2.1) 現テーマ

関連項目

脚注

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外部リンク

テンプレート:全日本プロレス テンプレート:世界ジュニアヘビー級王座

テンプレート:GHCジュニアヘビー級王座
  1. 同級生に、元プロ野球選手の五島裕二がいる。