野宮真貴

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テンプレート:Infobox Musician 野宮 真貴(のみや まき、1960年3月12日 - )は、日本女性歌手ミュージシャン

ピチカート・ファイヴの3代目ヴォーカルとして日本国外でも有名。現在ではソロでの音楽活動の他、ナレーターモデルデザイナーなどとしても活躍している。

来歴・人物

北海道白糠郡白糠町生まれ。子供時代は父親の仕事の都合で札幌-東京-室蘭と引越を繰り返し、高校卒業後は英語の専門学校へ進学しバンド活動を始めたものの、デビューには至らず、専門学校卒業後は一時期OLとして働いていた。

1980年代、野宮"ロマン"真貴として、シングル「女ともだち」でデビュー。22歳のときに中原信雄鈴木智文と共にポータブル・ロックを結成。活動を続けると共に、1984年前後にはムーンライダーズの資生堂CM曲「パーキー・ジーン」やシングル「M.I.J.」などでゲストボーカル、ラップ、コーラスを担当。1988年以降の田島貴男ボーカル時のピチカート・ファイヴではゲストコーラスとして参加した。

1990年にピチカート・ファイヴに3代目ボーカルとして加入し、2001年3月に解散するまで、日本とヨーロッパを中心に世界的な活動を行う。解散後はソロ活動を進めるほか、2004年m-floのアルバム『ASTROMANTIC』に参加、2005年に「野宮真貴 loves m-flo」としてシングルを発表するなど、他のアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。

2011年に「30年ぶりに、もう一度デビューする、みたいな気持ち」という気持ちでROAD AND SKY ORGANIZATIONから、ソニー・ミュージックアーティスツに移籍[1]。2012年にはデビュー30周年記念アルバム『30 〜Greatest Self Covers & More!!!〜』をリリース。

作品

ソロ活動以外の作品は関連項目を参照。

音楽

鈴木慶一プロデュース、デビューシングル「女ともだち」と当時ムーンライダーズのライブでも演奏された「ウサギと私」を収録。
1990年・1995年・2005年8月に再発売。2005年版は当時の紙ジャケットを復刻したデザインで、インディーズレーベル“SS RECORDINGS”より発売。
2010年10月30日にビクターエンタテインメントから秘蔵ライブ音源2曲を加えた『ピンクの心+2』のタイトルで発売された(VICL-70095)。
スーパーマリオブラザーズのアレンジアルバム『サウンドマリオブラザーズ』に収録。16BIT SCROLLERSとしてポータブルロックメンバーも変名で参加している。
  • miss maki nomiya sings』(小西康陽プロデュース 2000年7月、ヒートウェーヴ
  • Lady Miss Warp』(2002年11月、ジェマティカ・レコーズ)
  • DRESS CODE』(2004年7月、ジェマティカ・レコーズ)
  • Big Bang Romance』(2005年9月、エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ) ※「野宮真貴 loves m-flo」名義
  • Party People』(2005年10月、エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ)
  • エレガンス中毒』(2008年2月、タワーレコード限定販売) - 菊地成孔提供曲収録
  • 30 〜Greatest Self Covers & More!!!〜』(2012年1月、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ

書籍

  • 『おしゃれ手帖 - Cahier de la Mode』(1999年11月、PARCO事業局出版部、ISBN 4891946008)
2003年12月、朝日新聞社より文庫化。(ISBN 4022614331)
  • 『スター・ストラック - スタアのひとりごと』(2001年3月、PARCO事業局出版部、ISBN 4891946199)
  • 『野宮真貴のAtoZ』(2001年9月、GAP出版、ISBN 490159429X)
  • 『ドレスコードのすすめ - おしゃれ手帖 PART II』(2004年7月、DAI-X出版、ISBN 4812525403)

その他

テレビ出演

エピソード

  • 若い頃、紙おむつを発売していたほぼ全メーカーのCMソングを歌っていたことがある。(2012年2月2日に「笑っていいとも!」のテレホンショッキングのゲストとして出演した際にクイズとして出題された)。

出典

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関連項目

外部リンク

テンプレート:ピチカート・ファイヴ
  1. 野宮真貴からのお知らせ、Miss Maki Nomiya、2011年5月9日。