逢沢一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:統合文字 テンプレート:日本の国会議員 逢沢 一郎(あいさわ いちろう、1954年6月10日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(9期)、衆議院議院運営委員長(第76代)、自民党岡山県連会長。

自民党国会対策委員長(第51代)、自民党幹事長代理、衆議院議院運営委員長(第67代)、衆議院予算委員長等を歴任。

松下政経塾出身者では初の国会議員であり、また初めて政務次官に就任した人物である[1]

祖父逢沢寛逢沢英雄も衆議院議員を務めた。

来歴

岡山県御津郡御津町(現岡山市北区)生まれ。岡山大学教育学部附属中学校慶應義塾志木高等学校慶應義塾大学工学部(現理工学部)管理工学科を卒業。1980年松下幸之助が設立した松下政経塾に入塾(第1期生)。1985年卒塾。

1986年第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧岡山1区から出馬し、初当選。以後、9期連続当選。1992年宮澤改造内閣通商産業政務次官に任命され、松下政経塾出身者の中で初めて政務次官に就任した[1]

小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年第41回衆議院議員総選挙では岡山1区から自民党公認(新党さきがけ推薦)で立候補し、新進党現職の元郵政大臣日笠勝之を大差で破り4選。1997年衆議院外務委員長に就任。

2000年11月の第2次森内閣不信任決議案の提出をめぐる騒動(いわゆる加藤の乱)に際しては、所属していた宏池会会長の加藤紘一に従い、内閣不信任案の採決を欠席。宏池会分裂に際しても加藤派(加藤の議員辞職後は小里貞利谷垣禎一が会長を務めた)に参加した。

2003年第1次小泉再改造内閣外務副大臣に任命され、第3次小泉内閣まで務める。イラク日本人人質事件では現地対策本部長を務め、イラクの隣国であるヨルダンに赴き、情報収集にあたった。外務副大臣在職中に第43回第44回の2度の衆議院議員総選挙が行われたが、いずれも岡山1区で菅源太郎菅直人民主党衆議院議員の長男)を大差で下した。2005年に党幹事長代理に就任。2006年安倍内閣発足に伴い衆議院議院運営委員長に就任。2007年には閣僚級のポストである衆議院予算委員長に就任した。

2009年第45回衆議院議員総選挙では自民党に猛烈な逆風が吹き荒れ、逢沢も岡山1区で民主党の高井崇志の猛追を受けるが、高井を4077票差で破り、8選(高井も重複立候補していた比例中国ブロックで復活。これは岡山1区で次点以下の候補者が初めて当選した例である)。2010年9月、自民党国会対策委員長に就任。2011年9月に国対委員長を退任し、自民党総裁特別補佐に就任。

2012年9月に谷垣禎一の自民党総裁退任に伴い、自民党総裁特別補佐を退任。同年10月に宏池会を脱退し、谷垣による勉強会「有隣会」に参加。

2013年10月15日、2度目の衆議院議院運営委員長に就任。

人物

  • 松下政経塾の第1期生。政経塾出身の代議士第一号であり、1986年の初当選以降、1993年に出身者が大量に国政進出するまでは唯一の国会議員であった。第95代内閣総理大臣野田佳彦は同期であり、現在も党派を超えて親しい関係にある[2][3]
  • 松下政経塾出身者の中でも面倒見の良さで知られ[4]、松下政経塾の後輩である福山哲郎1996年第41回衆議院議員総選挙で落選した際は、所属する党派が異なるにもかかわらず、福山の地元である京都府を訪れ、福山を激励した[5]
  • 自民党内の閣僚未経験者では、当選回数は最多の9回を数える[1]。通常閣僚経験者が就任することが多い党幹事長代理、議院運営委員長、外務委員長、予算委員長、国会対策委員長は勤めており、極めて異例。
  • 自民党内では、自民党総裁を務めた谷垣禎一の側近として知られる。宏池会分裂に際しても谷垣に従い、その後谷垣が自民党総裁になった際には、国会対策委員長や総裁特別補佐を歴任している。
  • 2009年第45回衆議院議員総選挙後、自民党が長年にわたり使用してきた国会正面側の国会議員控室を明け渡すよう民主党に要求されたが、自民党が正面側控室を継続して使用したい考えを示した(後に明け渡している)[6]
  • 2010年11月29日、参議院本会場における天皇皇后が出席した議会開設120年記念式典で最高裁判所長官竹崎博允が式辞を読み上げていた際、電源の切り忘れにより携帯電話の着信音を鳴らせてしまった[7]
  • 例外的に夫婦の別姓を実現させる会に賛同していたが、民主党の民法改正案に対しては、「選択的夫婦別姓制度を盛り込んだ民法改正反対に関する請願」を提出して反対した[8]

資金提供・献金

所属団体・議員連盟

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

  1. 転送 Template:S-start


テンプレート:S-par |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
佐田玄一郎
高木毅 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院議院運営委員長
第67代:2006年 - 2007年
第76代:2013年 - |style="width:30%"|次代:
笹川堯
現職 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
金子一義 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院予算委員長
2007年 - 2008年 |style="width:30%"|次代:
衛藤征士郎 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
関谷勝嗣 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院外務委員長
1996年 - 1997年 |style="width:30%"|次代:
中馬弘毅 テンプレート:S-off |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
茂木敏充矢野哲朗 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 外務副大臣
2003年 - 2005年
阿部正俊谷川秀善と共同 |style="width:30%"|次代:
塩崎恭久金田勝年 テンプレート:S-ppo |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
川崎二郎 |style="width:40%; text-align:center"|自由民主党国会対策委員長
第51代:2010年 - 2011年 |style="width:30%"|次代:
岸田文雄

  1. 転送 Template:End

テンプレート:外務副大臣 テンプレート:衆議院予算委員長 テンプレート:衆議院議院運営委員長 テンプレート:衆議院外務委員長

テンプレート:自由民主党国会対策委員長
  1. 1.0 1.1 1.2 当選七回で大臣の経験なし 逢沢一郎「入閣」は一族の悲願 週刊文春
  2. テンプレート:Cite news
  3. テンプレート:Cite news
  4. ドジョウバブルはいつ弾けるのかフォーサイト2011年9月9日
  5. BSフジLIVE プライムニュース、2011年9月10日
  6. 2009年9月9日朝日新聞
  7. 両陛下ご臨席の式典に携帯の着信音 自民の逢沢国対委員長失態 産経新聞 2010年11月29日
  8. 第174回国会衆議院 - 法務委員会 - 14号 平成22年06月16日
  9. パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日