近鉄3000系電車

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テンプレート:鉄道車両 近鉄3000系電車(きんてつ3000けいでんしゃ)とは、近畿日本鉄道が保有していた通勤形電車である。

概要

省エネ車両の試作車であり、2012年まで近鉄が保有していた唯一のオールステンレス車両である。

製造当時具体的な案件としてあった京都市交通局京都市営地下鉄烏丸線乗り入れに対応すべく、様々な試作要素を盛り込んで1979年近畿車輛で製造された。当時はバッド社特許の関係で、日本国内では東急車輛製造以外のメーカーではオールステンレスカーの製造は不可能であったが、近畿車輌では東急車輛製造とは異なる方法を(特許に抵触しない範囲で)採用することによってオールステンレスカーの製造を行った。そのため、東急車輛製造以外の手によるオールステンレスカーは日本国有鉄道1985年にオールステンレスカーを採用するまでは本系列が日本国内で唯一の存在であった[1]

車種構成

本系列は以下の各形式より構成される。

これらを組み合わせて4両編成[2]を組成し、必要に応じク3502を切り離すことで、製造当時の京都線運用に存在していた3両編成での運用ニーズに対応可能としている。

なお、上述の通り本系列は試作車であったため、4両1編成[3]のみが製造されている。

車体

基本的な構体寸法は当時奈良・京都線向けに量産中の8600系後期製造グループ[4]の設計を基本とし、これの材質をステンレス鋼で置き換えたものとなる。

ただし、材質的に硬く、曲げ加工の難しいステンレスの特性から、妻部はごくわずかに後退角のついた三面折妻構造の切妻に近い形状とされ、屋根肩部の曲率と側板腰部の絞りも極力単純かつ強度確保が容易な形状に変更されている。

このため、外観は丸い前照灯に角ばった車体という組み合わせから、8000系アルミ試作車である8074F[5]に近い印象を与え、さらに9000系以降の拡大断面にも通じる形状となっている。

外板は側面腰板と幕板にコルゲート加工を施した薄板を使用することで軽量化を図っており、外装は基本的に無塗装である。ただし、当時北総開発鉄道(現・北総鉄道7000形より採用が始まった着色フィルム[6]が前面や側面窓周辺の平板部に貼付され、無機的な印象を緩和する配慮が行われている。ただし後に汚れた際の補修がやりにくいとの理由で塗装に改められている。

内装や空調などは同時期製造の8600系に準じているが、運転台コンソールは、全電気指令式ブレーキの採用で空気配管が撤廃されるなど、大幅に機器構成が変更されたこともあり、デスクタイプとなり、横軸2ハンドル(マスコン + ブレーキハンドル)式が採用されている。

車体長は他の近鉄通勤車と同じ20000mmであるが、全長は京都市営地下鉄烏丸線への乗り入れの関係から京都市交通局10系電車と同じ20500mmと近鉄標準の20720mmよりもやや短い。

主要機器

主制御器

京都市との乗り入れ協定において低発熱の車両を運行することが取り決められたため、主回路制御には、近鉄最初で最後の採用例となった、三菱電機CFM-228-15RDH電機子チョッパ制御サイリスタチョッパ制御)装置がモ3001に搭載された。

これは三菱電機製の逆耐電圧2500V級逆導通サイリスタを二重二相接続として主回路を構成するもので、合成周波数は482Hzである。ただし、主回路や素子、それに主電動機の特性から、そのままでは中高速域の走行特性が要求に満たなかったため、力行時に弱め界磁率35・45%の2段階弱め界磁制御を併用し、かつノッチ最終段では主回路のチョッパと主平滑リアクトルを短絡して内部抵抗を除去することで電動機の性能を最大限に発揮する構成となっている。

当時、すでに各社で電機子チョッパ車の実用的な採用が始まっていた。しかし電機子チョッパ制御は素子製造の歩留まりが低かったこともあり、製造コストが高く、量産による制御装置の廉価な供給も期待できないという認識もあった。また、この方式を採用することで得られる最大のメリットの一つである回生制動についても、制動時に主回路で昇圧チョッパ回路を構成する関係で、特に高速域からの回生制動時に発生電圧が架線電圧を上回って失効しやすいという問題があった[7]

しかも、主回路から漏洩する誘導電流による信号関係の誘導障害の問題もあり、運用に対してかなりの事前検討を要した。

本系列が製造された1970年代後半の日本の各鉄道会社では、電機子チョッパ制御方式は最高速度が低く高密度かつ高加減速運転を実施する地下鉄などには、発熱の少なさを含め好適であるが、高速運転を行う郊外電車には必ずしも適さない方式であるという認識がもたれるようになっており、近鉄でも地下鉄乗り入れ用試作車として全線区への展開を含め、その特性を見極める意図で本方式を試験採用したものであった。

もっとも、本系列での長期運用試験の結果は必ずしも思わしいものではなく、費用対効果の観点から、電機子チョッパ制御方式の本格採用は見合わされた。以後、近鉄ではVVVF制御方式の実用化まで、高速運転に好適でかつ製造・改造コストも低廉な界磁チョッパ制御方式や界磁位相制御方式の採用が進んだ。

主電動機

上述の制御器の特性から、在来車の主電動機として採用されてきた三菱電機MB-3064-ACはそのまま使用できないため、新規に三菱電機でMB-3240-A直流直巻式整流子電動機が設計された。この電動機は以後、電機子チョッパ車を近鉄標準軌全線区へ展開することを想定して設計されており、幅広い速度域に対応する必要があったことと、大阪線桜井以東での抑速制動常用も考慮して、端子電圧340V時1時間定格出力165kWと従来よりも20kW出力アップが図られている[8]

駆動装置はWNドライブ、歯数比は17:84である。

台車

当時近鉄で一般に採用されていた、車体直結式ダイアフラム形空気バネ台車である近畿車輛・KD-84(電動車用)・84A(制御車用)をそれぞれ装着する。

これは特急車用のKD-83系を基本とするが、積空比の大きな通勤電車用として乗客の多寡にかかわらず床面高さを一定に保ち、また乗り心地の改善を図ることを目的として、空気バネの大直径化を行ったものである。

ブレーキ

近鉄では初採用となる、全電気指令式空気ブレーキである三菱電機MBS-2Rを採用した。

これは3本の指令線で7段階に直通ブレーキ弁の圧力制御を行うもので、1968年の大阪市交通局大阪市営地下鉄7000・8000形を嚆矢として各社で採用が進んでいたものである。

近鉄の場合、各編成の機動的な増解結運用を実施している関係で従来車で採用していたHSC電磁直通ブレーキとの互換性のない、この種の新システムの導入が難しく、他社に大きく遅れての初採用となった[9]

なお、回生制動時には演算を行い、ブレーキ力の不足分をこの空気ブレーキで補足する機能も搭載されている。

改造

ブレーキシステムに在来車と互換性がなく、運用上ネックとなっていたため、1991年に手戻りではあるが、在来各形式と共通のHSC-R電磁直通ブレーキに改造され、運転台も8600系と同様の構成に変更された[10]。これにより在来車との連結も可能となった。この際、モ3002は運転台の撤去を行い、4両固定編成化されたが、8400系8459号車や8600系8167号車とは異なり、ステンレス鋼製で改造が難しく、撤去された運転台部分の前照灯や乗務員扉など外見はそのまま残された。

その後、2002年に車体更新を施工された際、側面に方向幕を取り付け、中間運転台の前照灯・尾灯が撤去された。しかし、乗務員扉はそのまま残され、その部分への座席の延長は行われていない。 車体更新時に内装の壁紙を5800系と同様のラベンダーブルーに改装しているが、転落防止幌の設置や新型ATS設置・デッドマン装置更新工事は廃車まで施工されなかった。 テンプレート:-

運用

電機子チョッパの誘導障害試験や他の車両とは異なる運転台であったため習熟運転を行うなどの各種試験の後、1979年3月より営業運転が開始された。

本系列の運用実績は概ね良好であったが、当初の開発目的である京都市営地下鉄烏丸線への乗り入れは、同線の京都 - 竹田間開業が用地取得の難航などの事情から当初計画から大きく遅れたため、本系列の竣工からおよそ10年後の1988年6月にようやく実現した。

この間、三相交流誘導電動機を使用するVVVF制御が電車の制御システムとして実用段階に入っており、また近鉄では車体についても大型押し出し形材によるアルミ合金製車体が標準採用されるようになっていたため、本系列で採用された直流整流子電動機の電機子チョッパ制御や、オールステンレス車体を乗り入れ用新造車でそのまま踏襲する必要性は事実上皆無となっていた。

このため、京都市営地下鉄烏丸線竹田延長開業に伴う相互乗り入れの開始に際しては、京都市交車と取り扱いを極力共通化すべく配慮して設計された、アルミ合金製車体を備えるVVVF制御車である、3200系を新造してその任に充てることとなった。

本系列については、ATCの車上装置を搭載しないなどの保安機器の仕様の相違などから京都市営地下鉄烏丸線への乗り入れが叶わず、晩年まで主に京都線橿原線天理線の全線と奈良線大和西大寺 - 近鉄奈良間で運用された。

奈良線の生駒越えに必要な抑速ブレーキは他の奈良線区所属車同様に標準装備されていたが、電機子チョッパ車運行に際して必要とされる沿線地上設備の誘導障害対策が施されなかったため、奈良線の大阪難波 - 大和西大寺間ではダイヤが乱れて代車の手配がつかない場合や、通常の車両が検査で不足した時の代走など、特別な事情がない限り原則的に運用に充当されることはなかった。また阪神なんば線乗り入れ対応工事もなされなかった。

また、奈良線区各線でも生駒線[11]田原本線[12]には乗り入れなかった。

京都・橿原線で急行運用に入る場合は、一部運用を除き奈良線区所属の2両編成車を連結して6両編成で運行された。さらに京都線の京都 - 新田辺、奈良線の大和西大寺 - 近鉄奈良、天理線の平端 - 天理等の区間では準急(京都線のみ)や各駅停車でも6両編成での運用が存在した。

休車・廃車

ファイル:近鉄3501前頭部.JPG
3501前頭部
きんてつ鉄道まつり2013

2010年以降は制御装置の不具合が幾度か発生したことから、ほとんど運用しなくなっていた[13]が、2012年2月20日に西大寺検車区から高安検車区へ回送され、休車となった。同年6月6日には高安検修センターの解体線に移動し、その後ク3501を除く3両が解体された[14]。さらに同年7月10日までにク3501についても先頭部を残した上で残りが解体された[15]。先頭部の一般公開が2012年のきんてつ鉄道まつりより行われている。

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:近畿日本鉄道の車両

  1. ただし、東急車輛製造との共同設計として、アルナ工機富士重工業で東武9000系が1981年、東武10000系が1983年に、日本車輌製造で京成3600形が1982年、京王7000系が1984年に製造されている。
  2. ク3501-モ3001-モ3002-ク3502の順に編成。
  3. 電算記号(他社でいう編成記号)はSC01である。
  4. 8621・8622F
  5. L69、1968年竣工。現在は廃車
  6. マルーン(マンセル記号5R3/14)に着色
  7. このため、本系列は連続下り勾配区間を擁する奈良線での運用を考慮して、抑速制動を搭載するが、抑速回生制動中に失効が発生した場合に備え、これを発電制動へ自動的に切り替えるための抵抗器が別途搭載されている。
  8. ただし、その後の新造車は複巻電動機を使用する界磁チョッパ制御へ移行したため、1C8M方式用のMB-3270-A(端子電圧340V時1時間定格出力160kW)と1C4M方式用のMB-3277-AC(端子電圧675V時1時間定格出力160kW)が量産され、このMB-3240-Aは以後製造されていない。
  9. このため本系列は在来の電磁直通ブレーキ車とは併結運用が不可能であり、長く限定運用を強いられた。
  10. この時にノッチ設定を他の奈良線区車両に合わせて進め保ち式に変更している。
  11. ワンマン非対応のため。
  12. 大型車の編成が3両編成が上限、かつワンマン非対応のため
  13. 消えた車輌写真館(ネコ・パブリッシング「鉄道ホビダス」公式サイト)
  14. 鉄道ピクトリアル』 2012年9月号(電気車研究会) p.115「近畿日本鉄道 -3000系が惜しくも廃車-」
  15. 鉄道ピクトリアル』 2012年10月号(電気車研究会) p.98「近鉄 その後のク3501」