辻村寿三郎

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辻村寿三郎(つじむら じゅさぶろう、1933年昭和8年)11月11日-)は、日本の人形作家、人形操作師。アートディレクター。旧名は辻村ジュサブロー。 

年譜

その他その異才ぶりを遺憾なく発揮し、数々の創作人形の発表、人形芝居の上演、舞台衣裳デザインなど精力的な活動は行う。日本を代表する人形作家でありながら人形の世界にとどまらず、総合的なアーティストとして各方面より大きな注目を集めている。また人形館(ジュサブロー館)では作品展示の他、アトリエを公開しファンとの交流を図っている。現在人形町で唯一人の人形職人である。

なお文楽人形遣いの2代目桐竹紋十郎に人形制作のいろはを教わった[1]

創作の原点

ある日学校の先生が、「親のない子、手を上げろ」三百余人のその中で、みっちゃんひとり手を上げた。11歳、私は大陸から引き上げ広島の小学校におりました。戦争のまっ只中、しかし広島はまったく空襲を受けませんでした。その理由は後で分かりましたが。8月の暑いさかりになりますと、夾竹桃の紅と純白の花が、校庭に咲き乱れた様子と、その校庭のまん中に大きな柳の木と、その下で遊んだ兄とその妹、「みっちゃん」としかおぼえていないけれど、その2人に逢ったときの姿が、原爆の焼け跡のように、私の目のうらに、しっかりと焼き付いているのです。その時の同級生の女の子を、戦後になってたずねたことがありました。私達が住んでいたあたりは、すっかり焼けて、その友達の居所も分からず、ひとづてでやっと逢えた時の様子が、いまだに忘れられません。みっちゃんの兄貴の名前は、すっかり忘れてしまったけれど、その時彼は高等1年でまだ子供だったけれど、焼け跡の中から出てきた時の彼は、まるでみっちゃんのお父さんのように見えたものです。

                ―「ヒロシマよりこころをこめて」 1965年度・制作作品コメント

九州とのつながり

2005年、辻村が行橋市で行われたあるイベントに呼ばれた際、人形操作を披露。その様子に感動した人達の中にいた地元の人形創作グループから指導を依頼される。辻村はつい、「呼ばれれば指導に行くよ」と発言してしまった。結果、行橋市では2006年から辻村が講師を務める人形教室が開講した。これは全国初の試みであり、わざわざ遠方から学びにくる人もいるという。

辻村は2006年10月にNHK北九州放送局で放送された『なんしよ~ん!?北九州』の「亜紀的茶館」コーナーにゲストとして出演、ギャグを交えた独特の話法で人形の世界、上記のことにまつわるエピソードを語ったほか、人形操作の技も披露した。また、局のキャラクターである“北九さん”に人形作家の視点からの分析を求められた。

2014年 同じ九州出身である漫画家、尾田栄一郎と漫画「ONE PIECE」の画集「COLOR WALK6『GORILLA』」で対談。主人公とその仲間たちの人形を製作した[2]

著書・作品写真集など

  • 『辻村ジュサブロー作品集「新八犬伝」』日本放送出版協会、1974
  • 『辻村ジュサブロー人形作品集』写真:牧直視 文化出版局 1976
  • 『辻村ジュサブロー作品集「真田十勇士」』高木素生写真 日本放送出版協会 1977
  • 『辻村ジュサブロー万華鏡花』高木素生写真 美術出版社 1980
  • 『人形曼陀羅 自伝随想』求竜堂 1980 のち中公文庫、日本図書センター「人間の記録」
  • 『吉原 失なわれた「文化」を求めて 辻村ジュサブローの世界』監修 八重洲企画 1981
  • 『兎夢』美術出版社 1987
  • 『ジュサブロー満漢全飾』美術出版社 1988
  • 『ジュサブロー : Jusaburo Tsujimura』同朋舎出版 1994
  • 『寿三郎と作る小さな人形たち』日本放送出版協会 1999
  • 『寿三郎の愛しいぬいぐるみ メルヘンの世界』日本放送出版協会 2005

脚注

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  1. NHK教育テレビ知るを楽しむ」2009年3月『人形が教えてくれた』辻村寿三郎 より
  2. テンプレート:Cite web

関連項目

外部リンク