辛酉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
辛酉革命から転送)
移動先: 案内検索
干支
1
甲子
2
乙丑
3
丙寅
4
丁卯
5
戊辰
6
己巳
7
庚午
8
辛未
9
壬申
10
癸酉
11
甲戌
12
乙亥
13
丙子
14
丁丑
15
戊寅
16
己卯
17
庚辰
18
辛巳
19
壬午
20
癸未
21
甲申
22
乙酉
23
丙戌
24
丁亥
25
戊子
26
己丑
27
庚寅
28
辛卯
29
壬辰
30
癸巳
31
甲午
32
乙未
33
丙申
34
丁酉
35
戊戌
36
己亥
37
庚子
38
辛丑
39
壬寅
40
癸卯
41
甲辰
42
乙巳
43
丙午
44
丁未
45
戊申
46
己酉
47
庚戌
48
辛亥
49
壬子
50
癸丑
51
甲寅
52
乙卯
53
丙辰
54
丁巳
55
戊午
56
己未
57
庚申
58
辛酉
59
壬戌
60
癸亥
十干十二支

辛酉(かのととり、しんゆう)は、干支の一つ。

干支の組み合わせの58番目で、前は庚申、次は壬戌である。陰陽五行では、十干は陰の十二支は陰ので、比和である。

辛酉の年

西暦年を60で割って1が余る年が辛酉のとなる。

中国の前漢から後漢に流行した『緯書』(煬帝により禁圧され散逸、三善清行による「革命勘文」(『群書類従』 第貮拾六輯 雜部 所収)に『易緯』、『詩緯』の逸文が残るのみ)には、庚申に続いて辛酉も干支ともに金性であり、かつ辛は陰の気なので、人の心がより冷酷になりやすいとされた。辛酉は天命が改まる年とされ、王朝が交代する革命の年で辛酉革命という。日本において辛酉の年に改元する習わしは、政治的変革が起るのを防ぐ目的で、三善清行の提唱により平安時代の昌泰4年(901年)の辛酉の年に元号を「延喜」と改めたことから始まった。前年の庚申年と2年続けて改元が行われることが多い。これは明治になるまで続けられた。ただし、中国ではこのような例はない。

明治時代の学者那珂通世は、神武天皇の即位の年代について、「革命勘文」にある鄭玄の注「天道不遠 三五而反 六甲爲一元 四六二六交相乗 七元有三變 三七相乗 廿一元爲一蔀 合千三百廿年」を挙げ1260年に一度(干支一周の60年(1元)×21元=1260年=1蔀)の辛酉の年には大革命があるとし、推古天皇9年(601年)がその年に当たり、この年の1260年前である西暦紀元前660年に神武天皇が即位したとされたとする説を立てた。

また、「革命勘文」の鄭玄の注では1320年と記述されることから60年×22回=1320年周期説もあり、その場合は辛酉の3年後甲子年が革令(甲子革令)の年であり、白村江の戦いの翌年西暦664年(甲子)を基点として、西暦紀元前660年とされる。

辛酉の年
1千年紀 2千年紀 3千年紀

辛酉の月

西暦年の下1桁が3・8(十干が)の年の8月が辛酉のとなる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月白露から寒露の前日まで)を適用する場合もある。

辛酉の日

選日

辛酉の日は八専の7日目(間日を除く)である。

関連項目

外部リンク