警視総監

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警視総監(けいしそうかん、英称:Superintendent General)は、警視庁の長の職名、かつ、日本における警察官階級の最高位の名称。定員は1名。首都の治安に対する重責を担う。

歴史

近代警察制度の黎明期である1874年1月15日、東京に内務省の機関として東京警視庁が設置され、その長には、後年「日本警察の父」と呼ばれた川路利良が任命された。長官の呼称は「警視長」「大警視」と名を変えたが、1881年1月14日警視庁が再び設置された際に「警視総監」と定められた。

内務大臣に直属し、内務次官警保局長とともに「内務省三役」と呼ばれた重職であり、勅任官である高等官一等または二等(陸海軍中将または少将と同格。府県知事と比較しても上位または同格)の者が補された。とくに一等官在職6年以上で警視総監である者は、親任官待遇の対象となった。貴族院議員に勅選されるなど退任後も栄達した者が多い。

内務大臣の指揮監督を受け、東京府1943年から東京都)の警察消防と内務大臣が特に指定する衛生事務を管理し、各省の主務に関する警察事務については、各省大臣の指揮監督を受けた。

敗戦後、1947年に制定された警察法(昭和22年法律第196号)は国家警察制度を改め、「自治体警察」(市町村警察)と「国家地方警察」の二本立てとしたが、特別区(旧東京市)の区域は、特別区が連合して自治体警察を置くものとした(警察法第三章第四節)。このため都は1948年3月2日、「警視庁設置等に関する条例」(昭和23年東京都条例第22号)を公布し、自治体警察の名称を「警視庁」、長である警察長の名称を「警視総監」と定めた。1948年3月7日、警察法施行に伴い、高級官吏であった警視総監は消滅し、その名は地方公務員(特別区の警察長)の職名として残された。

1954年7月1日、警察法の全部改正(昭和29年法律第162号)に伴い都道府県警察が誕生、「都警察に警視総監を」置く(警察法第48条)ことが再び定められ、国家公務員(警察法第56条)であり、警察官の階級の最高位(警察法第62条)であるとされた。

地位

一般職国家公務員で、地方警務官たる警察官である。階級では最高位(ただし、階級制度の外に置かれる警察官として警察庁長官がある)。現警察法施行後、いわゆるキャリアでない者が就任した例はない。

道府県警察本部長と同じく、「警察庁の所掌事務について」は警察庁長官の指揮監督を受ける。また、内閣総理大臣が警察法第71条による緊急事態の布告を発した場合は、その布告の実施に関して警察庁長官の指揮命令に服する。

俸給は「指定職7号俸」が国庫から支給される。これは指定職最高の8号俸が適用される一般職の警察庁長官、事務次官宮内庁次長金融庁長官などに次ぎ、内閣府審議官財務官海上保安庁長官と、特別職陸上幕僚長海上幕僚長航空幕僚長らと同等。[1]

階級章は警視監までのそれとは異なり、制服上衣両肩の肩章にそれぞれ金属の日章4個を1行に配置する[2]。識別章はない。

定例で天皇進講をするほか、交代に際しては、新旧警視総監は皇居に招かれ、天皇が出席して「お茶」を供される[3]

定年

定年は62歳。退官後は、原則的に70歳以降の春秋叙勲で、警察庁長官であった者と同じく瑞宝重光章を授与される。[4]

任免

国家公安委員会都公安委員会の同意を得た上内閣総理大臣の承認を得て、任免する(警察法第49条第1項)。また、都公安委員会は国家公安委員会に対し、懲戒または罷免に関し必要な勧告をすることができる。道府県警察本部長の任免は道府県公安委員会の同意を得るが、警視総監の任免は「首都の警察の長という重要な地位」[5] であるため内閣総理大臣の承認も要件としている。[6]

現行の警察法の政府案においては、警察庁は大臣庁として立案され、警視総監の任免権は国務大臣である警察庁長官が国家公安監理会(内閣総理大臣の所管)の意見を聞いて行うこととなっており、都公安委員会は常時警察庁長官と国家公安監理会に対し、警視総監の考課を具状し、罷免懲戒を勧告し得ることとされていた。また警視総監は警察庁次長とともに警視監(新設の階級)をもって充当するとされていたが[7]、これらは国会での審議の過程において修正された。

職務

警視庁の長として、警察法その他の法令または条例、国家公安委員会または都公安委員会の規則により職務が規定され、また事務を委任されている。以下にその例を挙げる。

  • 都公安委員会の管理に服し、警視庁の事務を統括し、所属の警察職員を指揮監督すること。
  • 警視庁の警視以下の階級にある警察官及びその他の職員を(都公安委員会の意見を聞いて)任免すること。
  • 緊急の必要がある場合に、都公安委員会委員長に対して、都公安委員会の臨時会議の開催を要請すること。
  • 警視庁組織規則を施行するため必要な事項を定めること。
  • 警視庁本部の各部、課、部の附置機関、警視庁警察学校、方面本部、犯罪抑止対策本部及び警察署に配置する職員の定員を定めること。
  • 副署長を置く警察署を定め、警察署の分課及びその他内部の事務分掌について定めること。
  • 警察教養に関し必要な事項を定めること。
  • 道路交通法に基づく免許の保留及び停止、仮免許の付与及び取消を行うこと。
  • 暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律に基づく仮命令、指示等を行うこと。
  • ストーカー行為等の規制等に関する法律に基づく警告、仮命令、援助を行うこと。
  • 警視庁本部の所掌事務に係る一定規模の契約行為につき、都公安委員会に代わり事務を行うこと。

名称

都道府県には都道府県警察が置かれている(警察法第36条)が、このうち警視庁の長である警察官の職名及び階級名が警視総監である。

道府県警察の長の職名は「道府県警察本部長」(警察法第48条)であり、警視監及び警視長の階級にある警察官が充てられる[8]。一方、警視総監は、国家公安委員会の任命により、階級が警視監から警視総監に昇任すると同時に当然に警視庁の長である警視総監になる。[9] つまり、階級名と職名が一致する唯一の警察官である。

なお、警視庁には、警視総監を助け庁務を整理する職として副総監が1名置かれる。(警察法施行令別表第一の第二)「副総監」は職名であり、警視監の階級にある警察官が充てられる。警視総監に事故があるときまたは欠けたときは、臨時に警視総監としての職務を行う。

処分

懲戒処分は、国家公安委員会が任命権者として、国家公務員法に基づき処分する。2013年1月までに3名が受けている。

  1. 1978年に発生した北沢警察署警察官による清泉女子大学生殺害事件により土田國保が戒告の懲戒処分を受けた事例
  2. 1997年に発生した城東警察署による覚醒剤所持捏造事件により前田健治が戒告の懲戒処分を受けた事例
  3. 2007年に発生した立川警察署警察官による女性射殺事件により矢代隆義が戒告の懲戒処分を受けた事例

歴代の警視総監

  • その前身である職にあった者を含む。
  • 一時期存在した大阪市の警察長であった「大阪市警視総監」は含まない。
  • 前任者・後任者の交代が同日でない場合のみ、退任日を付記する。退任日が付記されていない場合は後任者の任命年月日までが在任期間となる。

大警視 (ただし、1874年8月4日-1874年10月15日の期間は「警視長[10]

氏名 任命年月日 退任後の主な公職
1 川路利良 1874年1月24日-1879年10月13日 (在任中死去)
2 大山巌 1879年10月16日-1880年2月28日 陸軍大臣参謀総長元帥
3 樺山資紀 1880年10月23日 海軍大臣海軍軍令部長内務大臣文部大臣台湾総督

警視総監 (歴代の数は「大警視」からの通算)

氏名 前職 任命年月日 退任後の主な公職
3 樺山資紀 近衛参謀長 1881年1月14日 海軍大臣内務大臣
4 大迫貞清 静岡県令 1883年12月13日 鹿児島県知事
5 三島通庸 栃木県令 1885年12月22日
-1888年10月23日
(在任中死去)
6 折田平内 福島県知事 1888年10月24日 貴族院議員
7 田中光顯 元老院議官 1889年12月24日 宮内大臣
8 園田安賢 警視副総監 1891年4月3日 貴族院議員、警視総監再任
9 山田為暄 大分県知事 1896年9月27日 貴族院議員
10 園田安賢(再) 警視総監 1898年1月14日 北海道庁長官
11 西山志澄 衆議院議員(現職) 1898年7月16日 衆議院議員
12 大浦兼武 宮城県知事 1898年11月9日 警視総監再任
13 安楽兼道 内務省警保局長 1900年10月19日 貴族院議員、警視総監再任
14 大浦兼武(再) 警視総監 1901年6月2日 農商務大臣、内務大臣
15 安立綱之 内務省警保局長 1903年9月22日 貴族院議員
16 関清英 長野県知事 1905年9月10日 貴族院議員
17 安楽兼道(再) 警視総監 1906年1月17日 警視総監再任
18 亀井英三郎 宮城県知事 1908年7月20日 貴族院議員
19 安楽兼道(再) 警視総監 1911年9月4日 警視総監再任
20 川上親晴 京都市長 1912年12月21日 熊本県知事、貴族院議員
21 安楽兼道(再) 警視総監 1913年2月21日 大日本人造肥料株式会社会長
22 伊沢多喜男 新潟県知事 1914年4月16日 貴族院議員、台湾総督東京市長、枢密顧問官
23 西久保弘道 北海道庁長官 1915年8月12日 東京市長
24 岡田文次 樺太庁長官 1916年10月9日 貴族院議員
25 岡喜七郎 内務省警保局長 1918年9月30日 貴族院議員
26 堀田貢 内務省土木局長 1922年6月12日 内務次官
27 赤池濃 内閣拓殖局長官 1922年10月24日 警視総監再任
28 湯淺倉平 内務省警保局長 1923年9月5日 会計検査院長宮内大臣
29 赤池濃(再) 警視総監 1924年1月7日 貴族院議員
30 太田政弘 愛知県知事 1924年6月11日 台湾総督
31 宮田光雄 内閣書記官長 1927年4月20日 貴族院議員・大政翼賛会興亜総本部長
32 長岡隆一郎 内務省社会局長官 1929年6月25日 貴族院議員
33 丸山鶴吉 東京市助役 1929年7月3日 貴族院議員、宮城県知事、東北地方総監
34 高橋守雄 台湾総督府総務長官 1931年4月14日 肥後製糸株式会社社長
35 長延連 兵庫県知事 1931年12月13日 東京乗合自動車会社社長
36 長谷川久一 東京府知事 1932年1月12日  
37 大野緑一郎 内務省地方局長 1932年1月29日 朝鮮総督府政務総監、貴族院議員
38 藤沼庄平 東京府知事 1932年5月27日 内閣書記官長、警視総監再任
39 小栗一雄 福岡県知事 1934年10月26日 陸軍司政長官
40 石田馨 神奈川県知事 1936年3月13日 高松宮別当、宮内省御用掛
41 早川三郎 広島県知事 1937年1月8日 愛知県知事
42 横山助成 東京府知事 1937年2月10日 貴族院議員、広島県知事
43 斎藤樹 静岡県知事 1937年6月5日 台湾総督府総務長官
44 安倍源基 内務省警保局長 1937年12月24日 警視総監再任
45 萱場軍蔵 岡山県知事 1939年1月11日 内務次官
46 池田清 大阪府知事 1939年9月5日 海軍司政長官、大阪府知事
47 安倍源基(再) 警視総監 1940年1月19日 内務大臣
48 山崎巌 内務省警保局長 1940年12月23日 内務大臣自治大臣国家公安委員会委員長
49 留岡幸男 内務省地方局長 1941年10月20日 北海道庁長官
50 吉永時次 広島県知事 1942年6月15日  
51 薄田美朝 鹿児島県知事 1943年4月22日 衆議院議員
52 坂信彌 農商省農政局長 1944年7月25日 警視総監再任
53 町村金五 新潟県知事 1945年4月9日 北海道知事、自治大臣、国家公安委員会委員長
54 坂信彌(再) 警視総監 1945年8月19日 大商証券株式会社社長
55 高野源進 広島県知事 1945年10月11日 弁護士
56 藤沼庄平(再) 内閣書記官長 1946年1月15日
東京都長官兼任)
枢密顧問官
57 鈴木幹雄 島根県知事 1946年6月8日 内務次官
58 廣岡謙二 石川県知事 1947年2月4日 国防会議事務局長
59 門叶宗雄 島根県知事 1947年6月9日 防衛事務次官
60 齋藤昇 内務次官 1947年10月20日 厚生大臣運輸大臣
61 田中榮一 東京都経済局長 1948年3月7日 外務政務次官
古屋亨 警視庁総務部長 1954年6月29日
(警視総監代理)
自治大臣、国家公安委員会委員長
62 江口見登留 内閣官房副長官(事務) 1954年7月1日 国民政治協会会長
63 川合壽人 近畿管区警察局長 1957年1月11日 日本住宅公団監事
64 小倉謙 警視庁警務部長 1958年9月19日 農地開発機械公団理事長
65 原文兵衛 警視庁警務部長 1961年2月24日 参議院議長
66 中原歵 警察庁警務局長 1965年1月8日 (財)日本道路交通情報センター理事長
67 秦野章 警察庁警務局長 1967年3月7日 法務大臣
68 本多丕道 警察庁警務局長 1970年7月7日 首都圏整備委員会委員
69 槇野勇 警視庁副総監 1972年6月27日 (財)日本道路交通情報センター理事長
70 土田國保 警察庁次長 1975年2月1日 防衛大学校
71 國島文彦 警察庁警務局長 1978年2月25日 運輸審議会会長
72 今泉正隆 警察庁警務局長 1980年2月9日 自動車安全運転センター理事長
(財)全日本交通安全協会理事長
新交通管理システム協会会長
(財)警察協会会長
73 下稲葉耕吉 警察庁次長 1982年5月20日 参議院議員
法務大臣
74 福田勝一 警察庁付 1984年10月1日 中央選挙管理会委員
75 鎌倉節 警察庁次長 1985年10月9日 (社)日本自動車連盟会長
宮内庁長官
(財)全日本交通安全協会理事長
(社)全国警友会連合会会長
76 大堀太千男 警察庁警務局長 1988年1月22日 阪神高速道路公団理事長
(財)交通事故総合分析センター理事長
77 仁平圀雄 警察庁次長 1990年12月18日 (社)日本自動車連盟会長
(財)日本交通管理技術協会会長
78 安藤忠夫 警察庁警務局長 1992年9月18日 内閣危機管理監
(社)全日本指定自動車教習所協会連合会会長
79 吉野準 警察庁次長 1993年9月10日 (財)日本道路交通情報センター理事長
(財)保安電子通信技術協会会長
(財)日本相撲協会監事
80 井上幸彦 警察庁次長 1994年9月9日 (財)日本盲導犬協会理事長
81 前田健治 警察庁官房長 1996年12月3日 自動車安全運転センター理事長
82 野田健 警察庁官房長 1999年8月26日 (財)日本道路交通情報センター理事長
内閣危機管理監
(財)公共政策調査会理事長
83 石川重明 警察庁官房長 2002年8月2日 (財)日本道路交通情報センター理事長
弁護士
84 奥村萬壽雄 警察庁警備局長 2004年1月19日 (財)全日本交通安全協会理事長
85 伊藤哲朗 警察大学校長 2006年1月19日 (財)日本道路交通情報センター理事長
内閣危機管理監
内閣官房参与
86 矢代隆義 警察庁交通局長 2007年8月6日 (財)日本道路交通情報センター理事長
87 米村敏朗 警察庁官房長 2008年8月7日 内閣危機管理監
内閣官房参与 
88 池田克彦 警察庁警備局長 2010年1月18日 原子力規制庁長官
89 樋口建史 警察庁生活安全局長 2011年8月5日 駐ミャンマー大使
90 西村泰彦 警察庁警備局長 2013年1月25日 内閣危機管理監
91 高綱直良 警察庁刑事局長 2014年1月22日


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警視総監表彰(警視総監賞・警視総監感謝状含む)

警視総監表彰は、警視庁警察表彰取扱規程に定められており、大きく部内表彰と部外表彰にわけられる。部内表彰はおよそ4種にわけられ、警察功績章、賞詞、賞状、賞誉があり、部外者(都民等、警視庁警察官以外の者)に対する感謝状がある。厳密には警視総監表彰と警視総監賞は区別されるが、概ね総監表彰は総監賞と略称・通称する場合も多い。

参考文献

  • 『警視庁史 明治編』、警視庁史編さん委員会
  • 『警視庁史 大正編』、警視庁史編さん委員会
  • 『警視庁史 昭和前編』、警視庁史編さん委員会
  • 『警視庁史 昭和中編(上)』、警視庁史編さん委員会
  • 『警視庁史 昭和中編(下)』、警視庁史編さん委員会
  • 『警視庁百年の歩み』、警視庁創立100年記念行事運営委員会

関連項目

脚注

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外部リンク

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  1. 人事院規則9-42(指定職俸給表の適用を受ける職員の俸給月額) 別表の備考1は「当分の間、外局の長官、会計検査院事務総局次長、内閣府審議官、公正取引委員会事務総長警察庁次長総務審議官外務審議官、財務官(中略)地球環境審議官及び経済社会総合研究所長については、指令で別段の定めをした場合には、この表のロの項又はニの項に掲げられているものとする。」とし、これに基づき人事院が俸給を別に定めている。詳細は参議院ホームページ 質問主意書 第177回国会(常会)答弁書第158号を参照せよ。
  2. 警察庁長官は「警察庁長官章」(長官を示す標章であり階級章ではない。日章5個)を同様に着ける。
  3. 宮内庁ホームページ 天皇皇后両陛下のご日程 。進講は一部の年を除き年度毎に行われている。道府県警察本部長では、行幸行啓、「お成り」における随従・送迎や警察本部長会議参集時の拝謁等特別の場合を除き、皇室関係の日程は見当たらない(新旧警視総監への「お茶」(皇室の用語。実際には酒食が供される)は2010年2月8日に行われた例から公表されている)。
  4. 栄典制度改正前の2003年4月29日の叙勲までは勲二等旭日重光章が授与されていた。なお、警察庁各局長警察大学校長、大阪府警察本部長、北海道警察本部長等で退官した者への叙勲はいずれも瑞宝中綬章が贈られる。
  5. 衆議院会議録 第019回国会地方行政委員会第24号
  6. 改正前の警察法第52条の2第2項はこの点について、「前項の(特別区公安委員会が特別区の警察長を罷免する)場合においては、特別区公安委員会は、内閣総理大臣の意見を聴かなければならない」としていた。
  7. 衆議院会議録 第015回国会地方行政・法務委員会連合審査会第1号
  8. 例えば、大阪府警察の長は大阪府警察本部長であり、警視監が国家公安委員会から「大阪府警察本部長を命ずる」発令を受け就任する。
  9. 官報(第5613号)平成23年8月8日8頁によれば、警視総監の発令は「警視総監に任命する」という任命辞令のみで、補職辞令はない。道府県警察本部長の場合、例えば昇任と同時に発令する際は、「警視長に任命する」「青森県警察本部長を命ずる」などと、任命辞令に続き補職辞令が併記される。
  10. 1874年8月4日以前も、制度上は東京警視庁の長は警視長(3等)で大警視(5等)は次位であったが、警視長は任命されず、川路が事実上のトップとして大警視に任命された。川路は1874年8月4日付けで警視長に昇任、1874年10月15日には警視長から改められた大警視(3等)に引き続き任命されている。