許儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年4月15日 (月) 00:21時点におけるEmausBot (トーク)による版 (ボット: 言語間リンク 2 件をウィキデータ上の d:Q10929413 に転記)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

許 儀(きょ ぎ Xu Yi、?-263年)は、中国三国時代武将許褚の子。許綜の父。

父の死後、牟郷侯を相続した。

263年、司馬昭の命により蜀漢侵攻が始まると、許儀は鍾会の軍に従って参戦した。このとき、鍾会の命により橋の架橋を命じられたが、鍾会が橋を渡ろうとしたとき、乗っている馬が脚を獲られたため鍾会は落馬した。鍾会はこれを橋の不備によるものだと怒り、許儀を殺害してしまった。このとき、周囲の面々が鍾会に対し、許儀は許褚の子であるから命だけは助けるべきと嘆願したが、鍾会は受け入れなかったと言う。