西日本旅客鉄道鷹取工場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ファイル:TAKATORI.jpg
建屋内部(イベント時に撮影)
ファイル:TAKATORI02.jpg
構内(イベント時に撮影)

鷹取工場(たかとりこうじょう)は、かつて兵庫県神戸市須磨区に設けられていた、西日本旅客鉄道(JR西日本)の車両工場である。

概要

山陽本線JR神戸線鷹取駅の北側に位置していたが、阪神・淡路大震災により工場自体が被害を受けたことと、跡地を市街地復興事業に資するため、2000年平成12年)3月31日に100年間の歴史を閉じた。

閉鎖後は兵庫県揖保郡太子町の網干電車区に機能を移し、網干電車区および明石電車区の検修部門と合わせ、網干総合車両所として統合された。

所属車両

鷹取工場は和田岬線で使われていたオハ64・オハフ64キハ35・キクハ35形車両基地でもあった。工場が閉鎖された後、車籍上は網干総合車両所に転属となったが、検修施設は翌2001年(平成13年)7月の和田岬線電化まで同所の鷹取支所として残されていた。

車体に記されていた略号

所属車両の車体に記されていた略号
所属組織の略号と、鷹取の電報略号である「タカ」から構成されていた。国鉄分割民営化後は、近タカ(「近」は近畿圏運行本部の意味)であった。その後の組織改正により「本タカ」(「本」は本社直轄の意味)となり、1993年6月に神戸支社が発足して「神タカ」(「神」は神戸支社の意味)であった。
整備済み車両の車体に記される略号
TT

歴史

創設から戦前まで

創設は1900年明治33年)3月1日山陽鉄道が開業当初から兵庫駅構内に開設していた兵庫工場が手狭になり拡張の余地もなかったための代替施設として設けられた。

国有化に伴う鉄道院への承継後1909年(明治42年)12月20日に兵庫工場を吸収統合、また1915年大正4年)4月1日には大阪・神戸間鉄道開業以来の歴史を有する神戸工場の組織を吸収して支工場とし、翌1916年(大正5年)4月6日には完全統合した。その他鉄道省の組織変遷の中で、多度津・米子・池田(大阪府)の各工場が鷹取工場の支工場や派出所とされた時期もあった。

1942年昭和17年)9月11日、全国23の工場が一斉に改組されて名称が鷹取工機部に改められた。

戦争の影響

1945年(昭和20年)6月5日神戸大空襲によって壊滅的な打撃を受け、疎開先として加茂・和田山・加古川に派出職場を作るなどした。その後機能低下を補うため1946年(昭和21年)1月20日になって兵庫県加古郡荒井村(現在の高砂市)の旧大阪陸軍造兵廠の播磨製造所跡に鷹取工機部の高砂分工場を設置、1947年(昭和22年)3月1日には高砂工機部として独立した。

なお高砂工機部(後の高砂工場)は1985年(昭和60年)4月1日に閉鎖され、その業務は鷹取工場へと集約された。

戦後

1952年(昭和27年)8月5日、全国一斉の工機部から工場への名称変更に伴い鷹取工場の名称が復活した。

1973年(昭和48年)9月1日、組織上の位置づけが大阪鉄道管理局の地方機関に変更された。鷹取工場は従来支社制が採られている時期には関西支社の地方機関であり、支社制が採られていない時期は本社直轄の地方機関であり、その位置づけは大阪鉄道管理局と並列的であった。ところがこの時の組織改正においては、首都圏本部及び4総局の管理下にある工場を除き一斉に鉄道管理局の地方機関とする位置づけに変更された。

蒸気機関車の製造・検修に輝かしい実績を残してきた鷹取工場だが、話題としては、国鉄80周年記念行事の一環として、明治初期に米国から輸入され北海道開拓に活躍した義経号の動態復元工事に携わった。蒸気機関車全盛期を過ぎてからは時代の流れに応じてディーゼル機関車電気機関車にも対応するようになり、後年には岡山電車区などに所属する電車の検修業務も行っていた。

震災

1995年平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で被災し、工場や入場していた車両も被害を受けた。特に入場中のC57形蒸気機関車1号機ボイラーなどが大きく損傷し「再起不能」とまで言われたが、懸命の復旧作業で見事営業運転に復帰させ鷹取工場の技術を示した。

このように長い歴史を築いてきた屈指の名門工場だったが震災の痛手は余りにも大きく、また神戸市からの強い要請にも配慮することとし、閉鎖されることとなった。

終焉

終業式典が挙行された2000年(平成12年)3月29日には、この日最後の検査をすませた221系6両の出場記念式典も併せて執り行われた。

跡地利用

跡地は駅前広場・バスターミナル・神戸市立だいち小学校・復興住宅・その他の市施設・病院スーパー・民間マンション・妙法寺川左岸公園などへの再開発が進んでいるほか、JR西日本が売却せず社員福利厚生用の神戸総合グラウンドや鷹取駅に直結する30階建の分譲タワーマンションとして整備された区域もある。

跡地は神戸市須磨区に属するが、一時期に局舎建て替えのため長田郵便局の仮設局舎(窓口業務を行わない、郵便物の集配業務のみを行う業務棟)があった。

なお、日本貨物鉄道神戸貨物ターミナル駅荷役ホーム設置場所が鷹取工場跡地であると混同されがちだが、ここは元々鷹取駅の管理に属する操車場だった一帯である。

鷹取工場が登場する作品

  • 妹尾河童『少年H』(講談社1997年
    • 小説中では“鷹取機関区”と表現されている。妹尾少年とその友達の遊び場として書かれている。また、神戸大空襲で鷹取工場が標的とされたことについても小説内で言及されている。

参考文献

  • 日本国有鉄道鷹取工場 編『蒸機とともに一世紀』(1970年)
    • 創立70周年を記念、本工場で検修、製造した蒸気機関車を形式別に図録のようまとめた内容に工場の歴史も書き綴ったもの。
  • 旧国鉄鷹取工場の記録集 33年ぶり「復活」 - 神戸新聞 2003年8月26日
  • 安保彰夫「100年の歴史にピリオド 鷹取工場 1900〜2000」
  • 鉄道ファン』2000年5月号、No.469、交友社、p.75 - p.87。

関連項目

テンプレート:ウィキ座標2段度分秒