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西原寛一
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'''西原 寛一'''(にしはら かんいち、[[1899年]] - [[1976年]])は、[[日本]]の[[商法学者]]、[[関西学院大学]]教授。 == 概略 == 日本を代表する商法学者。[[第六高等学校 (旧制)|第六高等学校]]時代の恩師であり法哲学者であった[[三谷隆正]]の紹介で、[[田中耕太郎]]に師事する。その最大の功績は「[[商法企業法論]]」の確立である。また[[大阪市立大学]][[法文学部]](現在は法学部と文学部に分離)や[[神戸学院大学]][[法学部]]の創設にも関与している。親族に法学者が多く、民法学者の[[西原道雄]]は息子、刑法学者の[[西原春夫]]は親戚である。 == 「商法企業法論」について == 商法企業法論とは、実質的意義の[[商法]]を、企業に特有の生活関係を対象とする私法と考え、体系化する立場。 京城帝国大学赴任当時、実質的意義の商法をどう定義するかに関しては師である[[田中耕太郎]]博士が提唱した[[商的色彩論]]が通説であった。西原はスイス留学時代に知遇を得た[[バーゼル大学]]教授・[[カール・ヴィーラント]]の影響を受け、「商法企業法論」を発表。これによって商的色彩論を克服した。 商法企業法論は現在日本商法学における圧倒的通説(定説)となっている。 ==略歴== *[[1899年]](明治32年):香川県に生まれる。 *[[1926年]](大正15年):[[東京大学|東京帝国大学]]法学部を卒業し、大蔵省銀行局に勤務。 *[[1928年]](昭和3年):[[京城帝国大学]]法文学部へ赴任。 *[[1930年]](昭和5年)2月:ドイツ、スイス、イギリス、およびアメリカへ留学 *[[1932年]](昭和7年)4月:帰国。 *[[1933年]](昭和8年):論文『商法の発展と日商人の地位--特に企業に関連して』([[法学協会雑誌]]51巻5号-6号)にて「商法企業法論」を発表。 *[[1946年]] (昭和21年):[[大阪商科大学]]教授 *[[1963年]] (昭和38年):[[関西学院大学]]教授 *[[1976年]](昭和51年):死去。 ==主な著作== *『商法学』(岩波書店、1965年) *『金融法』(有斐閣、1968年) *『商行為法』(有斐閣、1973年)ISBN 464100529X == 関連項目 == *[[商法]] *[[田中耕太郎]] {{DEFAULTSORT:にしはら かんいち}} [[Category:日本の法学者]] [[Category:商法学者]] [[Category:関西学院大学の教員]] [[Category:大阪市立大学の教員]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:香川県出身の人物]] [[Category:1899年生]] [[Category:1976年没]]
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