藤沢町

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藤沢町(ふじさわちょう)は、平成23年(2011年)まで岩手県東磐井郡にあった。現在は一関市の一部。

歴史

沿革

  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、藤沢本郷と西口村が合併して新制の藤沢村が発足。
  • 大正15年(1926年)6月1日 - 町制施行し、(旧)藤沢町となる。
  • 昭和29年(1954年)8月20日 -(旧)藤沢町、 黄海村八沢村および大津保村の一部(大籠・保呂羽)と合併し、新制の藤沢町となる。
  • 平成23年(2011年)9月26日 - 一関市に編入。

一関市との合併協議

  • 2004年(平成16年)に旧・一関市を中心とした両磐地区の合併機運に賛同し、新市への参画に加わる道を模索したが、当時は藤沢町は国営農地開発事業等により債務が過大で、合併した場合に新市への負担が大きいと判断されたことなどから、合併協議に加わることができなかったため、2005年(平成17年)の新・一関市誕生は藤沢町抜きで行われた。以降町は宮城県登米市気仙沼市)と一関市に挟まれ、孤立した状態にあったが、2010年(平成22年)4月に「一関市・藤沢町合併協議会」が設立。2011年(平成23年)3月に岩手県議会で合併議案が可決され、5月に官報で告示された。

行政

首長

  • 歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 斎藤権平 明治22年(1889年)6月3日 明治30年(1897年)5月28日
2 藤本真弘 明治30年(1897年)5月29日 明治32年(1899年)2月25日
3 熊谷左一郎 明治32年(1899年)4月25日 明治32年(1899年)10月11日
4 佐伯秀八郎 明治32年(1899年)10月20日 大正15年(1926年)5月31日
  • 歴代町長

昭和の合併以前

氏名 就任 退任 備考
1 佐伯秀八郎 大正15年(1926年)6月1日 昭和2年(1927年)12月19日 村長より留任
2 高橋孝三郎 昭和3年(1928年)2月25日 昭和4年(1929年)12月10日
3 橋本弥充 昭和4年(1929年)12月16日 昭和8年(1932年)12月10日
4 千葉需 昭和9年(1934年)1月28日 昭和17年(1942年)1月27日
5 及川孝一 昭和17年(1942年)1月28日 昭和21年(1946年)1月27日
6 五十嵐三五郎 昭和21年(1946年)4月10日 昭和21年(1946年)11月12日
7 阿部武彦 昭和22年(1947年)4月7日 昭和30年(1955年)3月31日

昭和の合併以後

氏名 就任 退任 備考
1 岩淵道信 昭和30年(1955年)5月 昭和38年(1963年)5月 元・黄海村長
2 皆川金治 昭和38年(1963年)5月 昭和46年(1971年)5月
3 佐々木要一郎 昭和46年(1971年)5月 昭和53年(1978年)12月
4 佐藤守 昭和54年(1979年)1月28日 平成18年(2006年)12月
5 畠山博 平成19年(2007年)1月 平成23年(2011年)9月25日

姉妹都市・友好都市

海外

2008年(平成20年)3月にクイーンズランド州内の自治体再編が州政府によって行われ、「国際友好親善の町」として提携(1993年7月)していたデュアリンガ町Duaringa Shireが隣接する3自治体と合併し、新たな自治体(セントラルハイランズ市 )として誕生した。このため、両市町では2008年(平成20年)8月29日にオーストラリアで、2008年(平成20年)11月3日には日本で提携調印式を行い、新たな交流を誓い合った。両市町では、前回の提携(1993年)以来相互に中学生、高校生などによるホームステイ交流をはじめ、息の長い草の根交流を続けている。

地域

人口

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教育

  • 藤沢町立藤沢中学校
  • 藤沢町立藤沢小学校
  • 藤沢町立黄海小学校
  • 藤沢町立新沼小学校

産業

農業

畜産

  • 磐井牛の生産地〔千葉牧場(千葉隆一)を中心に磐井牛の肥育が行われている〕

郵便局

  • 藤沢郵便局
  • 黄海郵便局

交通

道路

一般国道

県道

主要地方道
県道

路線バス

岩手県交通が運行している。

2005年(平成17年)まで、上記岩手県交通路線バスの他、宮交登米バス津谷 - 佐沼間の路線バスが藤沢町千松附近を通っていた。

医療

名所・旧跡・観光

関連人物

縄文の炎・藤沢野焼祭の関係者

関連項目

外部リンク