蒲田

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement テンプレート:Infobox Settlement 蒲田(かまた)は、東京都大田区の地名。広義には蒲田駅京急蒲田駅を中心とした地域、または合併前の旧蒲田区全体の地域を指す広域地名としての呼称。狭義としては左記地域の一部に該当するで蒲田一丁目から蒲田五丁目までが設置されている。蒲田一丁目から蒲田五丁目までの人口合計は19,644人(2011年1月1日現在)[1]

羽田空港が近隣にある地域である。

概要

広域地名としては、JR、および東急の駅を中心とした、蒲田・西蒲田蒲田本町の北端を中心とした部分を指すことが多い。このエリア全体で見ると、中心部にJR京浜東北線、隣接して東急池上線、および多摩川線蒲田駅、東端に京急本線空港線京急蒲田駅がある。JR蒲田駅と、京急蒲田は道なりで約830m(徒歩11分)離れている。また、西端の先には、池上線の蓮沼駅がある。

町名としての「蒲田」に所在する鉄道駅は、JRの蒲田駅(東急の駅は西蒲田に所在)、京急本線の梅屋敷駅、京急蒲田駅である。蒲田駅周辺は空襲により太平洋戦争末期に焦土となり、復興の土地区画整理事業により現在の街並みの原型が形成された。街は京浜東北線により東西に分断され、北端は呑川、南端は東京都道311号環状八号線、西端は池上線、東端は第一京浜とする、おおよそ東西1.6km、南北800m程度のエリアに商業地が集中し、近隣に伸びる多摩堤通り、大城通り沿道付近にも一定の商業集積が見られる。都心から外れる地区では有数の繁華街商業地区である。また、東京都区内有数の放置自転車が確認される地域となっている。ランドマークとしてはJR駅東口近くにアロマスクエアおよびアプリコが、JR駅西口付近には、ユザワヤドン・キホーテ、東急駅ビルの蒲田東急プラザがある。また、京急蒲田駅先には大田区産業プラザがある。

駅周辺は繁華街となっているが、商業地を抜けると高校や大学、専門学校なども多く、駅周辺の光景とは正反対の閑静で緑地の多いエリアが広がっている。また、東邦大学医療センター大森病院やクリニックなど医療機関も充実している。

歴史

蒲田は古い地名で、かつては蒲田郷と呼ばれていた。927年延喜式神名帳に荏原郡の社として蒲田の薭田神社が上げられている。中世には、武蔵江戸氏の支流一族である江戸蒲田氏が蒲田郷を領地とした。後北条氏が作成した小田原衆所領役帳にも蒲田氏の一族が蒲田周辺を所領としていたことが記されている。

新編武蔵風土記によると、かつて蒲田は梅の木村と呼ばれ、の名所であった。江戸時代には歌川広重が蒲田の梅を描いており、蒲田梅屋敷と呼ばれた。現在でも蒲田の属する大田区の「区の花」は梅である。

1945年4月15日の空襲(城南空襲)により蒲田駅周辺は太平洋戦争末期に焦土となった。

行政

東口には大田区の行政関連施設が集中しており(後述)、大田区行政の中心となっている。

警察管轄は東西口共に警視庁蒲田警察署だが、消防管轄は東口:蒲田消防署、西口:矢口消防署となる。

教育

当地域には東京都立大森高等学校東京都立蒲田高等学校や、大田区立蒲田中学校や大田区立東蒲中学校、大田区立蒲田小学校などの教育機関がある。

近隣の本羽田には蒲田女子高等学校が立地する。

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、蒲田4-36-9の地点で43万5000円/m2となっている。[2]

その他

明治時代には、東口先(現アロマスクエア一帯)には松竹蒲田撮影所があり、蒲田の名は「映画の都」として全国的に有名となった。現在は蒲田に映画館は2スクリーン存在する。

周辺には黒湯とよばれるメタケイ酸系の鉱泉が多数湧出しており、宿泊施設銭湯などで利用されている。大田区出身ミュージシャンのバクザンが黒湯をテーマに作ったNEW蒲田温泉という歌がある。

羽田空港が近く、京急蒲田駅からは空港線電車が、JR蒲田駅東口からは空港行路線バスが早朝から運行しており、空港アクセス拠点のひとつとなっている。

JR蒲田駅 西口・南口

単に西口と呼ばれることも多い。

駅前はロータリーになっており、並木道が伸びている。東急バスが発着する。東急プラザグランデュオユザワヤ等の大型店が存在する一方、全蓋式アーケード商店街(サンライズ蒲田、サンロード蒲田)が形成されている。パチンコスロット店が密集しており、東京都内屈指の激戦地区である。そのため、景品交換所(TUCショップ)が非常によく見受けられる。2005年12月には、蒲田駅西口商店街に防犯カメラが設置された。東京工科大学蒲田キャンパスや日本工学院専門学校富士通ソリューションスクエアがあるのもこの西口となる。

JR蒲田駅東口〜京急蒲田駅

駅前はモヤイ像、上昇気流等が置かれたロータリーになっており、補助36号線が通っている。京浜急行バスが発着する。20世紀初頭には松竹蒲田撮影所があった。現在はグランデュオマルエツ等の商業施設、大田区役所、区民ホール(アプリコ)、警察署税務署郵便局、年金事務所、労働基準監督署図書館等の行政関連施設が集積している。また、アロマスクエアを始めとするビジネス街も形成されている。

蒲田駅と京急蒲田駅の両駅は道のりで約830m離れており、その道のりには連綿と商店が続いており、京急蒲田駅付近には全蓋式アーケード商店街(あすと)が形成されている。2005年10月には蒲田駅東口商店街に防犯カメラが設置された。

京急蒲田駅東側を京急本線と並走するように通っている第一京浜箱根駅伝のコースであり、空港線が交差する京急蒲田空港線第一踏切道は、かつて選手が電車通過時に止められる可能性がある場所であった。近年は京急が選手の通過を優先する運行形態にしていたため、選手が止められることはなくなっていた。京急蒲田駅を中心とする高架化事業の進展により、2013年の箱根駅伝大会までにこの踏切は廃止された。

地名の由来

  • 湿地に溝を掘ると水が抜けて乾燥地が出来る。これを蒲池と呼ぶがそれが転じた
  • かつてこの辺り一帯は沼地であり、それにちなみ泥深い田地を示す「蒲田」から来ている
  • 飛び越えた所や沼の中の島などを意味するアイヌ語の「カマタ」から来ている

など、諸説ある。昔は「鎌田」とも呼ばれていた。『和名抄』にも記載があり、奈良平安時代から続く古い地名である。

その他

将来計画

立体交差事業

京急蒲田駅東側・南側は環八通り(東京都道311号環状八号線)と京急本線踏切第一京浜京急空港線の踏切、第一京浜と環八通りの平面交差(南蒲田交差点)があり、交通混雑が恒常化している。2002年平成14年)から、京急蒲田駅の改良も含めた踏切解消のための京急線連続立体交差工事が、2001年(平成13年)からは第一京浜と環八通りの立体交差工事(第一京浜が環八通りをアンダーパスする)が進行している。

2012年10月現在、環八通り、第一京浜ともに立体化され、交通混雑が緩和されつつある。

蒲蒲短絡線

蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ路線として蒲蒲線の建設計画がある。2007年現在も大田区は建設推進に意欲を見せている[3]が、建設・開業に向けた具体的な進捗はほとんどない。

蒲田駅改修工事

JR蒲田駅

JR蒲田駅の改修は2007年5月に着手し、中央口は2008年春、南口は2008年夏に完了している。主に以下の点に関して改修工事を行う。

  • 老朽化したコンコース天井の一部を吹き抜け空間とし、清潔感、開放感ある明るい駅空間とする。
  • 駅構内に分散している施設店舗を集約し、窓口、旅行カウンター、指定席券売機を1店舗内に配置した新しいびゅうプラザを開設する。
  • 自動改札機の配置を見直して改札混雑緩和を図る。
  • 旅客トイレを増設し多機能トイレも設置する。女性用にはパウダーコーナーを設ける。
  • 大田区と協力し、東口と西口に各々改札階(2階)と連絡するエレベーターを1基設置。2007年7月に供用が開始された。

東急蒲田駅

東急蒲田駅でも、2008年度中に駅構内の改修工事が行われると発表された。主に、バリアフリー化工事と身体障害者対応トイレの設置が行われた。

駅ビル

蒲田駅ビルは、2007年7月末まで蒲田ステーションビル株式会社(1963年2月11日会社設立)が運営していた。東口側には、「パリオ」(1962年開業)、西口側には「サンカマタ」(1970年開業)が営業していたが、施設の老朽化・陳腐化が激しく、バリアフリー対応も不十分なため、JR蒲田駅改修に合わせて2007年8月1日から2008年度春まで全館一斉休業し、大規模改修に着手した。

そして、2008年4月16日より「GRANDUO(グランデュオ)蒲田」が開業した。GRANDUO蒲田店は、立川店に続き2店目の開業となる[4]

かつて存在した施設等

脚注

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関連項目

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外部リンク

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テンプレート:東京23区の地域

テンプレート:大田区の町名
  1. 蒲田・町名別年齢別人口 - 大田区ホームページ 2011年4月29日閲覧。
  2. 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  3. 大田区東西鉄道「蒲蒲線」整備計画素案
  4. テンプレート:PDFlink