落語協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:混同

一般社団法人 落語協会(いっぱんしゃだんほうじん らくごきょうかい)は、東京落語家講談師などが組織する一般社団法人。2014年6月から四代目柳亭市馬が会長。

興行

  • 奇数月上席(かみせき)1日〜10日 - 上野 浅草 ※初席、ゴールデンウィーク
  • 奇数月中席(なかせき)11日〜20日 - 上野 新宿 池袋 ※二の席
  • 奇数月下席(しもせき)21日〜30日 - 上野 浅草 池袋
  • 偶数月上席(かみせき)1日〜10日 - 上野 新宿 池袋
  • 偶数月中席(なかせき)11日〜20日 - 上野 浅草 ※お盆興行
  • 偶数月下席(しもせき)21日〜30日 - 上野 新宿 池袋
他に、上席・中席には国立演芸場の定席がある。
初席は浅草東洋館でも芝居を打つ。一枚のチケットで観客は浅草演芸ホール・東洋館両方に入場できる。
浅草のお盆興行は「住吉踊り」。
上野の初席は特別興行(3部制)。上野のお盆興行は特別興行。
池袋の毎月下席は通常の寄席でなく、日替わり特別企画(落語協会特選会)

概要

沿革

  • 1923年9月1日 (関東大震災で東京は壊滅。旧来の「会社」と対立する諸派(睦会ら)の体制では立ち行かなくなる)
  • 1923年10月 -「会社」も諸派も解散し、東京落語界が大同団結し、全員が合同して落語協会を設立する(設立に奔走した5代目柳亭左楽が会長となる)
  • 1924年5月 - 協会分裂。会長の五代目を含む多くが脱退し「睦会」を再興。
  • 1927年 - 協会分裂。人気の頂点にあった柳家三語楼#初代が一門ごと脱退し全く同名の落語協会を設立した。
    • 以後、旧来の落語協会を「東京落語協会」と、三語楼一門の協会を「三語楼協会」と俗称するようになる。
    • 1930年 - 三語楼協会崩壊。初代三語楼は単独で東京落語協会に復帰(1932年に再度脱退)。
  • 1940年5月 - 日本芸能文化連盟が結成、その構成団体として講談落語協会が結成される。結社としての落語協会は活動を停止し、全員が講談落語協会に加盟
  • 1945年 - 終戦後に講談落語協会が解散し、落語協会が事実上復活
  • 1946年10月 - 「落語協会」として新たに発足。
  • 1977年12月15日 - 旧法のもとで法人格を取得。社団法人落語協会となる。
  • 1978年 - 協会分裂(いわゆる落語協会分裂騒動)。
  • 1983年 - 協会分裂。立川談志一門が脱会。
  • 2003年 - 自前の施設における協会自身による落語興行「黒門亭」がスタート。
  • 2008年12月1日 - 民法が改正され、特例社団法人となる。
  • 2012年8月1日 - 一般社団法人に移行[1]。これに伴い、社団法人落語協会から、一般社団法人落語協会に改称。

役員

落語協会歴代会長

講談落語協会会長

歴代会長・副会長

(落語協会として再発足して社団法人になるまで)

社団法人における歴代会長・副会長

所属会員

(落語家は、亭号別)

講談師

真打

二ツ目

前座

  • 柳家緑太、柳家フラワー、柳家花どん、柳家さん坊、柳家圭花、柳家小はぜ、柳家小かじ
  • 三遊亭ございます、三遊亭しあわせ、三遊亭ふう丈、三遊亭わん丈、三遊亭歌むい、三遊亭歌実
  • 林家けい木、林家なな子、林家つる子、林家扇兵衛、林家あんこ、林家たま平
  • 柳亭市助、柳亭市丸
  • 入船亭ゆう京、入船亭辰のこ
  • 金原亭駒松
  • 春風亭ぽん吉、春風亭朝太郎
  • 鏡味仙成

色物

鏡味仙三郎社中(理事)、江戸家猫八林家正楽あした順子・ひろし林家ペー(台北,たいぺい,たいぺーなど)[2]ニューマリオネット、柳家亀太郎、近藤志げる、松旭斉静花、三遊亭小円歌、宝家利二郎、東京二、鯉川のぼる、ぺぺ桜井、昭和のいる・こいる、アサダ二世、林家二楽、松旭斉美智・美登、大空遊平・かほり三増紋之助大瀬ゆめじ・うたじ、翁家和楽社中、すず風にゃん子・金魚、翁家勝丸、柳家紫文、柳貴家小雪、花島世津子、笑組綾小路きみまろ小野栄一マギー隆司ロケット団、柳家小菊、伊藤夢葉、ホームラン、ホンキートンクひびきわたるカンジヤマ・マイム、結城たかし、ダーク広和、東京ガールズ、丸山おさむ、とんぼ・まさみ、ストレート松浦、江戸家小猫、のだゆき

おはやし

植田ひさ、森本のり、根岸きく、金近こう、小口けい、戸辺まさ、戸村ゆう、田中ふゆ、丹羽こと、太田その、中村しず、金山はる、長澤あや、千葉しん、恩田えり、岡田まい、松尾あさ

関連項目

外部リンク

テンプレート:笑点