若草山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 山 若草山(わかくさやま)は奈良県奈良市奈良公園の東端に位置する標高342m、面積33haの

概要

ファイル:Uguisutsuka stereo.jpg
鶯塚古墳のステレオ空中写真(1985年) 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成 写真左方が奈良市街方向。

なだらかな山腹が芝に覆われており、奈良を代表する景観の一つである。山頂には古くから知られる前方後円墳(鶯塚古墳、全長103m)がある。山頂から見る奈良の夜景は、新日本三大夜景のひとつに認定されている。

山頂にある鶯塚古墳から「鶯山」とも呼ばれる。また、菅笠のような形の山が三つ重なって見えることから俗に「三笠山」とも呼ばれ、御蓋山と混同されてきた。さらには「かつて若草山の正式名称は三笠山だった」と言われることがあるが、これは俗説である。江戸時代に南都八景の一つとして 「三笠山雪」 が挙げられていたが、これは若草山の芝の上に積もる雪が真っ白に美しく見えることによる。

ノシバ

若草山は芝に覆われている。この芝はノシバ(日本の一種)と呼ばれる日本固有のシバで、近畿では若草山付近が唯一の自生地とされる。ノシバの種は堅い殻に覆われており、シカがシバの葉と共に種を食べても、シカの歯と胃液による消化などから堅い殻が種を守る。ただ守るだけでなく、シカの胃に入ると、胃液と体温(40度程度)で殻は速やかに溶けて発芽できる状態になり、未消化の種は糞とともに山に散布されることにより、ノシバは発芽する。このサイクルを繰り返し、古来よりこの地で生息してきた。このため、若草山のシバの生育には自然状態ではシカの存在が不可欠である。また、ノシバの葉や茎は踏まれても問題ないが、土壌が人に踏み固められると、固い土が根の生育を著しく阻害するために、シバは枯れる(このため、仮にシバを薬品処理して発芽させても、土壌の管理ができなければ、芝の保護生育は望めない。)近時、ノシバの保護の為、シバ地の拡大と保護が若草山を中心に、自治体やボランティアによって行われている。


若草山の山焼き

ファイル:090124 wakakusa yamayaki.jpg
平城宮朱雀門と若草山の山焼き(2009年1月24日)
ファイル:120128 WAKAKUSAYAMA yamayaki.gif
若草山の山焼きの一部始終(動画)(2012年1月28日)

毎年1月に山焼きが行われる。東大寺興福寺による領地争いを、双方立会いの上で焼き払って和解したのが発端ともいわれてきた[1]が、近年、その説は否定されることも多く定かでない。 冬季の恒例行事となっており、その写真は、奈良を代表する写真として紹介されることも少なくない。江戸時代以前からも行なわれていたらしいが、正式行事となったのは明治になってからで、夜間に行なわれるようになったのは明治後半からである。なお昭和戦前には紀元節(現建国記念の日)の2月11日に行われていたという。 太平洋戦争後は、長らく1月15日の成人の日に行なわれていたが、ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年2008年は成人の日(第2月曜日)の前日(日曜日)に変更になった。しかしそれでは日程がわかりにくく、以前より時期が早くなってススキやシバなどの枯れ方が不足して燃えにくい上、年によっては消防出初式の時期に近くなってしまい(山焼きには多くの消防団員の手が必要となる。民間人である消防団員の大量動員は休日であることが必要。)1月の第3土曜日(最も早い場合は15日になる)への変更が計画された。ところが、花火の打上の時間帯が大学入試センター試験の英語ヒアリングと重なることで、大学関係者からの抗議を受けたため、もう一週間後ろにずらし2009年2012年は1月の第4土曜日に実施されている。なお正式日が天候不順の場合は、翌週あたりに順延されている。


例年、午後6時前後から本焼きが始まるが、その直前の約10分間(2010年は15分間)は花火が若草山1・2段目から打ち上げられる。また当日の昼間にも関連アトラクションが奈良市内で行なわれるのが通例である。ただし昭和天皇逝去直後の1989年は、花火・アトラクションは中止となった。山が本格的に燃え続けるのは、開始後30分~1時間くらい(年によって異なる)。午後9時前後に最終鎮火確認が消防団員によって行なわれる。 燃焼はその年の芝の生育状況、当日の天候により大きく左右される。山焼きを実施したものの、雨等でよく燃えないこともあった(1988年や2008年等)。また過去には、異常乾燥が続いたり、雨続きで行事自体が中止になることもあった。燃え残りが発生した場合は、後日の昼間に再度燃やされている。


山焼きが1月15日であった頃には、小正月行事として若草山麓に奈良市内の家庭から正月の注連飾りなどを持ち寄って「とんど」として燃やすことも行われていた。ハッピーマンデー以後は日程が合わないため注連飾りの焚き上げについては春日大社が1月15日以降の土曜日に「春日の大とんど」として飛火野に火炉を設置して実施してきた。第4土曜日に変更されて以後は、春日の大とんども山焼きと同じ日に実施されている。

山焼きの主な観望場所

奈良市街地をはじめ、奈良盆地北部で観望が可能である。遠くは、橿原市御所市のビル等からでも見ることができる。また金剛山生駒山山上、宝山寺やその直下の旅館街からも観望できる。 中でも観望名所としては、興福寺五重塔近辺の奈良公園、西ノ京の大池(勝又池)、平城宮跡である。大池は薬師寺西塔竣工後、平城宮跡は朱雀門竣工後に観望者が急増した。しかし2010年は、薬師寺東塔解体工事の開始、平城遷都1300年記念事業に伴う平城宮内の大規模工事により、大池・平城宮跡からの観望を断念した者が多かったようだ。

山焼きの写真撮影

山焼きを紹介する写真の中には、若草山全山が燃え、その上空に花火が上がっているものがあるが、これらは長時間露光と多重露出を施したものである(実際問題、火炎の中で花火を上げることはありえない)。実際は、花火打ち上げ後、燃焼場所を徐々に移動しながら、最終的に山全体を焼いている。そこで左記のような若草山の写真撮影には、特有の撮影技法が必要となってくる。その技法は個々人によりノウハウがあり一定しないが、その撮影の難しさが逆に山焼き撮影の魅力となっている。そのため毎年、奈良県内在住者はもちろん全国規模で撮影者が集まり続けている。

撮影の困難さとして、(1)一年に一度だけの一発勝負を強いられる、(2)花火と、徐々に燃えていく山と、市街地の夜景とを同時に撮影するため、露出の設定が難しい、(3)選択する花火と数が重要なポイント、(4)北風や多重露出時のカメラぶれ対策、(5)年によって異なる燃焼速度、(6)場所取りが重要(スウィートアングルが意外に少ない)・・・・の各項目が挙げられる。魅力ある撮影であるが、場所取り(早朝~数日前より)についていけず、新参者がなかなか入りづらい面もある。

山焼きの撮影は、長時間露光が必要なため、かつては、バッテリー性能やノイズ耐力に弱かったデジタルカメラによる撮影は少なく、フィルムカメラの独擅場だった時期があった。しかしそれらの性能向上に伴い、年々デジタルカメラで撮影に臨む者が増えてきている。

開山期間

現在の開山期間は、以下のように決められている。

3月第3土曜日から12月第2日曜日

以前は、下記のような春秋2回の開山と、8月に夏の特別開山が行われていた。

平成22年度 春:3月20日(土)~6月20日(日) 秋: 9月11日(土)~12月12日(日)

なお、ここで言う「開山」とは山麓に複数あるゲートまたは山頂から二重目への通路にあるゲートを通って、一重目・二重目にはいることの出来る期間という意味であり、鶯塚古墳などのある山頂(三重目)へは年間通して入ることが出来る。(新若草山ドライブウェイ=有料=または、春日山遊歩道(北部)を利用)

周辺情報

ファイル:A male deer at Wakakusayama top.JPG
若草山頂上の木陰で休むオス鹿
ファイル:Wakakusa-yakushiji.jpg
大池(勝又池)から望む若草山(塔の背後)と薬師寺

モノレール建設計画

奈良県が、若草山に観光用モノレールを建設する計画であることが明らかになった。若草山を訪れる観光客が年々減少していることに危機感を持った県が、急斜面の一重目に上がる二つの登山道のうちほとんどが階段となる南登山道に沿って農林用モノレールを改良したものを敷設し、6人乗りの車両を2両連結して無料で運行し、高齢者や障害者にも一重目頂上からの眺望を提供する計画を検討している。しかし、若草山の一帯は、文化財保護のための緩衝地帯となっていることから、この計画に対しては、ユネスコの諮問機関・イコモスの日本の国内委員会が強い懸念を示しており、また、計画反対の署名集めも始められている模様である[2]

関連項目

脚注

  1. 「年中行事事典」p579 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
  2. 「山焼き」若草山にモノレール構想 日本イコモスが懸念 朝日新聞 2014年1月25日

外部リンク

テンプレート:奈良百遊山