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[[画像:Miaodau1.JPG|300px|thumb|苗刀1]] [[画像:Miaodau2.JPG|250px|thumb|苗刀2]] '''苗刀'''(みょうとう、ミァオタオ、miáo dāo)は、[[倭寇]]が使った[[日本刀]](恐らくは[[大太刀]])を元に[[明]]の頃から製造されている長大な[[倭刀]]、もしくはそれを扱う[[中国武術]]。長さが有る割に細く、軽量に造られているため、苗刀(苗の如き刀)という。日本刀と比べると、[[柄]]が鍔もとに向かって細くなるなど、若干形状が変化している。 倭寇が明の軍隊を苦しめた要因を多くの者は日本刀の性能に求めたが、一部の者は日本[[剣術]]の技の身軽さや素早さ体捌きにあると考えた。 倭寇の撃退に成功した明の将軍・[[戚継光]]は、対倭寇戦で得た[[陰流|陰流剣術]]の目録を研究し『辛酉刀法』を著した。また、戚継光は倭刀や鳥銃([[火縄銃]])を装備した兵を含む部隊(同じ装備の兵ごとに部隊を分けるのではなく、多様な装備を持つ兵を一定の比率で混在させたもの)をどのように運用するかを研究し、北方民族の侵入を撃退することに成功した。 武術としての苗刀は、[[1621年]]に程宗猷が『単刀法選』を著したことに始まる。程宗猷は、[[剣術|日本の刀術]]を学んだという劉雲峰なる人物に学んだという。次いで、[[1644年]]に呉殳が『単刀図説』を著した。現在まで伝わる苗刀の技法は、この二書の内容がもとになっている。苗刀は[[劈掛拳]]に併伝されていることが多い。 近代に至り、[[1927年]]に中央国術館で「二路苗刀」という[[套路]](形)が制定された。 また、[[意拳]]の一部の系統で「双把剣」という刀術を伝えている。これは後に[[太気拳]]を開いた[[澤井健一]]が伝えた[[剣術|日本剣術]]であるが、苗刀のような長大な[[刀]]は使用しない。 == 関連項目 == *[[刀剣]] *[[武術]] *[[中国拳法|中国武術]] *[[中国武術一覧]] == 外部リンク == *[http://www.d7.dion.ne.jp/~shuken/miaodao.html 苗刀] *[http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ 歴代日中刀剣術交流史] *[http://www.gaopu.com/111T.html#09 中国武術・武器博物館 苗刀] [[Category:中国武術|みようとう]] [[Category:日本刀|みようとう]]
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