花王ブリーチ

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花王ブリーチ(かおうブリーチ)とは、花王が販売していた、家庭用、塩素系漂白剤の商品名である。

概要

1960年代に、海外視察から帰国した、商品企画部の部長と研究部員の手により商品化されたものである。

当時アメリカヨーロッパでは合成洗剤が普及し漂白剤の開発もされており、将来日本も同様になると判断して漂白剤の製品化を決意、1962年8月に商品化された。

この製品は、白物衣類で合成洗剤では落ちない、科学的に付着した染みや汚れに効果のある仕上げ剤として開発された。当時の漂白は別にお湯を使うのが当然だったが、この漂白剤は洗剤と一緒に洗濯に使えることで洗濯が楽になった。

また当時は、万能型漂白剤として台所や掃除にも使えることをアピールした。

ボトルは漂白を意味する白色で、キャップは青色、ラベル上にはピンクの囲みに青の文字で花王の文字、中段から下にかけては紺色のバックにブリーチの文字が描かれていた。そのブリーチの文字は、上半分が白、下半分がピンク色で、その右下に小さく新漂白剤と書かれていた。また右下に青い楕円の中に、木綿テトロン用と書かれていて、用途的なものが簡単に下に書かれていた。

発売とともに積極的な宣伝広告に出て、当時は競合品が出ていなかったことから売り上げがあった。しかし競合他社が次々と漂白剤を発売、さらに1966年6月ライオン油脂(現、ライオン株式会社)が、塩素系漂白剤ライオンブリーチを発売した。花王側は製品改良の時期とほぼ一致し、また競合他社の類似品や差別化を図るために、1966年7月商品名を花王ハイターに変更した[1]。但し初期は花王ブリーチの字も小さく書かれていて、花王の漂白剤であることを示していた。

メモ

  • ライオンとの漂白剤の競争は最終的に花王に軍配が上がっている。
  • 現在家庭用には発売されてはいないが、業務用には一斗缶入り18kgで販売されている。
  • 新発売時の広告は、新聞広告にも掲載、当時の読売新聞朝日新聞などに掲載された。
  • 新聞広告の内容は、笑顔で白のブラウスを着用した、ショートヘアーの女性がモデルで、コピーは(しみが消えた!! 黄ばみも消えた!! いつでもどこでも 白さがチガウ!!)だった。主婦向けの広告のため衣類の例は、肌着・シーツ・ブラウスの3つ。黄ばみや薄汚れ(黒ずみ)が消える事や、嫌な匂いも消えることも強調。洗剤と一緒に使えることもアピールした。

関連項目

脚注

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  1. なお、これはライオンから仕上げ剤トリオ(塩素系漂白剤・柔軟剤・洗濯糊)が出たために、花王の仕上げ剤の改名が一斉に行われた時期でもあった(花王ブリーチ→ハイター、花王ソフターハミング花王スターチキーピング)。