自由民主党副総裁

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自由民主党副総裁(じゆうみんしゅとうふくそうさい)は、自由民主党の役職の一つ。現任は高村正彦(第13代)。

概説

総裁の次席に位置付けられる役職。副総裁の設置は任意であり、空席であることも多い。党則においては緊急時の総裁代行を除くと、総裁を「補佐する」ことと役員会と選挙対策本部への出席のみが副総裁の権限として規定されており、平常時においては明文上の具体的職掌を持たない。さらに幹事長が選挙対策、国会運営、党務全般を掌握していることから、その職務範囲は必ずしも明確にはされていない。

しかし、歴代の副総裁にはいずれも党の重鎮が就任していることから、副総裁はただの名誉職としてではなく党運営について少なからぬ影響力を発揮することもしばしばである。例えば、1974年に田中角栄が総裁を辞任した際には、副総裁の椎名悦三郎がいわゆる「椎名裁定」を下して三木武夫を後継総裁に指名した。

初期の頃は副総裁の人選は党内調整のために党内の中間派閥の領袖が選出されていた。

大平正芳が総裁となって以降、副総裁の人選は総裁選の当落を左右する為に最大派閥(田中派竹下派→小渕派)から選出される様になった。小泉純一郎が総裁となってからは派閥の弱体化もあり、再び中間派閥の領袖・幹部が起用される例が続いている。

なお、副総裁が総裁代行となった例は、1980年西村英一が、総理総裁だった大平正芳の死去により短期間その役目を務めたことがあるだけである。このとき首相臨時代理官房長官伊東正義が務めており、選挙中でもあったので西村の代行は党務に限定されたものとなった(もっとも、自民党政権で党四役が入閣した例はなく、首相臨時代理を必要とする段階で閣外から新たに入閣させて首相臨時代理とすることも考えにくいため、総理代理と総裁代理は常識的には分離される)。この選挙で西村は現職副総裁ながら落選したが、後任総裁・鈴木善幸の就任後もしばらく副総裁の職に留まった。

2003年の総裁選で再選した小泉純一郎の下で副総裁になった山崎拓の場合は、愛人スキャンダルなどの不祥事で「山崎幹事長ではきたる総選挙に勝てない」との理由から、いわば祭り上げの形で昇格となった。もっとも「選挙の顔」として後任の幹事長となった安倍晋三は当時のキャリアとしては異例の抜擢であり、山崎が幹事長の後見の形で選挙指揮を支援することが織り込まれていた。しかし山崎自身は落選し、直後に副総裁は退任する。上記の西村の例とあわせて現職副総裁の落選例は計2例となり、これは総裁・幹事長の落選例がないことと対照的である。

2010年谷垣禎一の下で副総裁に就任した大島理森の場合は、幹事長として直前の参院選で勝利した功績に報いる一方で党三役の若返りのバランスをとるため、幹事長からの昇格という形がとられた。

2012年の総裁選で勝利した安倍晋三の下で副総裁になった高村正彦の場合は、外務大臣経験者であり日中友好議員連盟会長であることから、尖閣諸島問題などで悪化する日中関係において貢献が期待されて選出された。

歴代自由民主党副総裁一覧

氏名 就任日
退任日
出身 総裁 幹事長
1 60px 大野伴睦 1957年7月
1960年7月
大野派 岸信介 川島正次郎
福田赳夫
川島正次郎
2 60px 大野伴睦 1961年7月
1964年5月
大野派 池田勇人 前尾繁三郎
3 60px 川島正次郎 1964年7月
1966年12月
川島派 池田勇人
佐藤栄作
三木武夫
田中角栄
4 60px 川島正次郎 1967年11月
1970年11月
川島派 佐藤栄作 福田赳夫
田中角栄
5 60px 椎名悦三郎 1972年8月
1976年12月
椎名派 田中角栄
三木武夫
橋本登美三郎
二階堂進
中曽根康弘
内田常雄
6 60px 船田中 1977年11月
1978年12月
船田派 福田赳夫 大平正芳
7 60px 西村英一 1979年1月
1980年11月
田中派 大平正芳
鈴木善幸
斎藤邦吉
桜内義雄
8 60px 二階堂進 1984年4月
1986年7月
田中派 中曽根康弘 田中六助
金丸信
9 60px 金丸信 1992年1月
1992年8月
竹下派 宮沢喜一 綿貫民輔
10 60px 小渕恵三 1994年7月
1995年10月
小渕派 河野洋平 森喜朗
三塚博
11 60px 山崎拓 2003年9月
2003年11月
山崎派 小泉純一郎 安倍晋三
12 60px 大島理森 2010年9月
2012年9月
高村派 谷垣禎一 石原伸晃
13 60px 高村正彦 2012年9月
 
高村派 安倍晋三 石破茂

※…太字は後に総裁に就任した人物

関連項目

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