自然法

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自然法(しぜんほう、テンプレート:Lang-en-shortテンプレート:Lang-de-shortテンプレート:Lang-la-shortlex naturalis)とは、事物の自然本性テンプレート:Lang-en-shortテンプレート:Lang-de-shortテンプレート:Lang-la-short)から導き出されるの総称である。

定義

自然法とは、事物の自然本性から導き出されるの総称である。 自然法は実在するという前提から出発し、それを何らかの形で実定法秩序と関連づける法理論は、自然法論と呼ばれる。自然法には、原則的に以下の特徴が見られる。但しいずれにも例外的な理論が存在する。

  1. 普遍性:自然法は時代と場所に関係なく妥当する。
  2. 不変性:自然法は人為によって変更されえない。
  3. 合理性:自然法は理性的存在者が自己の理性を用いることによって認識されえる。

自然法の法源とその認識原理

法源

自然法の法源は、ケルゼンの分類に従うならば、自然ないし理性である[1]ギリシャ哲学からストア派までの古代の自然法論においては、これらの法源が渾然一体となっている。

法源としての神

が人間の自然本性の作り手として想定されるとき、自然法の究極の法源はとなる。このことは理性にもあてはまり、が人間に理性を与えたことが強調されるときは、合理的な法としての自然法の究極な法源もまたとなる。この傾向は特にキリスト教自然法論において顕著である。例えば、アウグスティヌスにとって、自然法の法源理性ないし意思であった[2][3]。また、トマス・アキナスにとって、自然法とは宇宙を支配するの理念たる永久法の一部である[4][5]

法源としての自然

ここで自然とは、自然本性一般のことではなく、外的な自然環境のことである。外的な自然が自然法の法源となるのは、専ら外的な自然環境と人間の自然本性との連続性が強調されるときである。これはとりわけヘラクレイトスおよびストア派の自然法論において見られ、そこでは自然学と倫理学とが連続性を保っている。このような場合には、自然法則と自然法がほとんど同義で語られることが多く、何らかの傾向性(例えば結婚は普通雌雄で行われることなど)が自然法とされることもある。

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人間の自然本性を理性的であると解する立場から見れば、理性もまた自然法の法源となる。特に理性を自然法の法源として独立させたのは、近世自然法論者たちである。彼らは自然法を正しい理性の命令と定義して、神的な要素をそこから取り除いている。純粋に理性が自然法の法源となるときには、自然法は実定法以外の合理的な法を意味する。この特徴はとりわけホッブズに見られ、彼は自然法を、単に人間が合理的に思考し、その自然本性としての死への恐怖にもとづいて意思が受け入れるであろうと解している。

自然法の認識原理

自然法の法源制定法判例法でない以上、その認識手段が常に問題となる。基本的に、自然法の認識原理は、その法源の種類にかかわらず理性であると言われる。すなわち、自然法が超自然的な存在によって作られたものであろうとなかろうと、それを発見するのは人間の理性である。理性が人間の自然本性である以上、合理的思考は自然法の認識にとって不可欠となる。ストア派にとって倫理学は論理学と自然学の上に成り立つものであり、密接不可分である[6]

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これに対して、自然法が人間には直接的には認識不可能であるという立場からは、何らかの補助手段を用いることが要求される。その場合、キリスト教自然法論は、神からの啓示を重視する。それは、専ら新約聖書および旧約聖書から得られる指図である。典型的な啓示は、モーセ十戒である。

自然法とその他の法との関係

慣習法との関係

既に初期ストア派クリュシッポスが、ノモス(慣習)とピュシス(自然本性)を対置し、後者を前者に優位させる[7]。ローマ・ストア派の思想に影響されたキケロは、自然法の法源を理性に求めながら次のように述べている。

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トマス・アクィナスの意思を自然法の法源としながら、次のように述べる。

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グロチウスは自然法と万民法とを区別しながら[8]万民法とは「時代と慣習の創造である」という[9]

これに対して、歴史法学派カール・フォン・サヴィニーは、自然法を各民族について相対化しながら、自然法と慣習法とをかなり接近させる[10]

実定法との関係

自然法と実定法との関係には主に2種類あり、ひとつは授権関係、ひとつは補完関係である。前者の場合、自然法は実定法に対する授権者となり、自然法に反する実定法は原則的に失効する。但し、正当な理由があるときには、この限りでない。正当な理由としては、堕落した人類は自然法上の義務を完遂できないことなどが挙げられる。他方で、後者の場合、自然法は実定法が欠缺している領域を補うことになり、その最も重要な適用領域は、国際関係とされていた。これは、特に近代において、国際関係を規律するルールが非常に多くの点で整備されていなかったからである。今日においては、非常に多数の国際条約が締結されており、必ずしもその限りではないが、学説上、自然法の復権を訴えるもの[11]も中には見られる。

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.11.
  2. Augustinus. Contra Faustum. lib.22. §.27.
  3. Herbert A. Deane. The political and social ideas of St. Augustine. New York: Columbia University Press (1963) p.87.
  4. トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第1項
  5. トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第2項
  6. A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.271.
  7. 中川純男=山口義久訳『初期ストア派断片集4 西洋哲学叢書』、京都大学学術出版会、2005年、p.362.
  8. グロチウス著、一又正雄訳『戦争と平和の法』巌松堂、昭和15年、p.22-23.
  9. グロチウス著、一又正雄訳『戦争と平和の法』巌松堂、昭和15年、p.59.
  10. 矢崎光圀「歴史法学派」『法学セミナー』1957年5号、日本評論社、p.8-9.
  11. Hall,S., "The Persistent Spectre: Natural Law, International Order and the Limits of Legal Positivism", European Journal of International Law, Vol.12, No.2, 2001, pp.269-307.