臣民

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:独自研究 臣民(しんみん、英:subject)は、君主国において、君主に支配される者としての人民を指す語。「a British subject」なら英国民を指す。

「臣民」の対義語で、主権参政権を持つ人民を公民市民(いずれも英語では“citizen”)という。

概念

大日本帝国では、大日本帝国憲法に「臣民」という語が用いられ、天皇皇族以外の、国民を指して用いられた。但し、皇族でも軍人としては「臣民」であるとされ、現役海軍将校だった頃の高松宮宣仁親王が、紀元二千六百年式典の際に「臣・宣仁」と称した例がある。太平洋戦争後はこの呼称が公的に用いられることはなく、私的に用いられることも極めて稀で、吉田茂昭和天皇に対し「臣・茂」と称した程度。

国民を「臣民」という呼び方は、「君主の従属者」(統治対象)という意味を伴う。このため、君主国でも絶対君主制国家の方が、より「臣民」という呼称を用いる頻度が高くなる。制限君主制国家の場合には、国民主権民主主義)が憲法で明記されている場合、「国民」や「公民」と呼ばれる例が多くなる。

近代以降、単に主権的権力の客体を意味し、例えばルソーカントといった思想家は、人民が臣民であると同時に市民であることが共和制国家の条件であるとした。この場合、政体は君主制とは限らない。政体が共和制であっても、人民は法の下にある限り、法に支配される臣民であり、同時に主権者たる市民でもある。

臣と民

中国文化及び儒学においては、臣と民は全く異なる存在であった。「臣」とは朝廷に仕える士大夫即ち政府高官であり、「民」とは朝廷に統治される民衆であって、皇帝は臣の輔弼のもとに民を統治するものとされた。そのため、行動様式も倫理も、臣と民では根本的に異なっていた。例えば、国家が滅んだ際、民が新国家の民となるのは普通のことであったが、臣がそれを行うと「弐臣」として厳しく批判された。

日本でも江戸幕府が倒れ近代に入ると、大日本帝国憲法で「臣民」という語が登場し、民衆は「大日本帝国臣民」として、天皇の下に等しく平等となり(四民平等)、同一の倫理を求められることとなった。この場合の「臣民」は、政府高官であれ被治者であれ、同じく天皇に従属すべき者として「臣民」という名称が用いられた。戦後になると、日本国憲法で「国民」という語が用いられ、主権者とされた。

イギリスの国籍法では現在でも臣民(British Subject)の語が用いられ続けている。

関連項目